ほんきっき

アスペルガー夫に悶絶する新妻のほんきにっき

アスペルガー夫は妻の流産には到底、対応できない

大変お久しぶりです。

 

前の記事から3ヶ月も経ってしまった。

 

いろいろと困難なことが多々あり、一息ついたので、

ようやく筆不精なりにとろとろ書いていきたいと思う。

 

さて、タイトルでどんな困難があったかはお察しいただいているだろう。

 

我が家に降りかかってきた出来事、それは。

 

 

 

流産だ。

 

 

 

 

少々辛い内容になるかもしれないので、あまり読みたくない方は避けていただければと思う。

 

今回の記事は、アスペルガー夫がどう流産という出来事に対して行動したかについて書いてみたい。

 

またそれだけでなく、流産の不安や、流産手術、流産後の経過などについて、同じ状況の女性の方が知りたい情報もお届けできればと思っている。

 

 

 

 

時はさかのぼって、2019年年末。

 

表面上はそろそろ妊娠4ヶ月に入るという12月末に、実家に帰ってゆっくりしていた。

 

そのころの私には、ずっと不安に感じ続けていることがあった。

 

それは、「もしかして流産しているのではないか」という不安。

 

12月に入って、まだしっかりあるであろう「つわり」がピタッとなくなった瞬間があった。

 

それは、妊娠3ヶ月目の2019年12月10日くらいだった。

 

しかし、次の検診は2020年1月6日。

 

1ヶ月あまりもの間を、「流産してしまったのでは」という不安を抱えながら過ごすこととなった。

 

そのころの私は、とにかく情報を集めようと、インターネットを検索しては情報収集していた。

 

・つわりがなくなったら流産の可能性があるのか

・流産していたら、なにか症状があるのか

・心配な場合、早めに受診してもいいのか

 

こんなことを日々調べてはいたのだが、その度に困り果てていた。

 

結局、「人それぞれ」という結論なのだ。

 

つわりがなくなっても妊娠は継続している人も多いし、中には実際には流産していたという人もいる。

 

流産していた場合、腹痛などの症状が早く出る人もいれば、ずっと無症状の人もいる。

 

そして、みんなそうやって流産していないかを不安に思うものだから、心配しすぎないこと、ということがよくインターネット上には書いてあった。

 

そういう情報を見ればみるほどわからなくなった。

 

「自分が心配しすぎなんだろうか」

 

と、心配しないように、あまり考えすぎないように心がけていた。

 

それでも、1ヶ月も先の検診を待つのが苦しいので、なにか紛らわせるものはないか、と探していた。

 

そして、あるアイテムを見つけ、購入することにした。

 

それは、

 

「エンジェルサウンズ」

 

胎児超音波心音計 エンジェルサウンズ Angelsounds JPD-100S (ピンク)

 

胎児超音波心音計、というものだ。

 

 

レビューを見ると、本当にたくさんのママたちが、検診を待ちきれず、

流産を心配して購入していた。

 

お腹にあてると、赤ちゃんの心音が聴ける、というアイテムだ。

 

これはいい、と思った。

 

これで心音が聴こえさえすれば、もう心配から解放されるのだ。

 

きっと、この商品さえ手に入れれば、安心して生活できる、と期待していた。

 

 

その期待が、見事に裏切られることとなる。

 

その頃はもう流産していたのだ。

 

ようやくその商品が届き、いくら頑張って心音を聴こうとしても、なんにも聴こえない。

 

聴こえるのは、ザーザーという雑音。

 

そして聴こえたかと思っても、結局は自分の脈の音らしかった。

 

 

そこで、いよいよ不安が強くなってきた。

 

「本当に流産しているかもしれない」

 

 

そんな状態のまま、2019年の年末を過ごした。

 

家族親戚と会い、赤ちゃんが産まれるのを楽しみにする親や親戚の声を聞くたび、微妙な反応をしていた。

きっと、皆をがっかりさせることになるだろう。

そんな心持ちで、年越しを迎えた。

 

実家にいたため夫はほったらかしだった。

電話で話すたびに、少しずつ彼にも警告し続けていた。

 

「もしかして流産しているかもしれないよ」

「あんまり期待しないほうがいいよ」

「流産する確率は、15%とも言われてるからね」

 

と、ふきこみ続けていた。

 

しかし、返ってくる言葉は、

 

 

「そんなに顔がまるいなら大丈夫でしょう」

 

 

こんなイラッとするものばかりだった。

 

 

 

年が明けて2020年のお正月。

 

つわりを感じなくなって、3週間以上が経っていた。

 

調べてみても、流産してからそれほど長い間、腹痛などの症状がないケースはなさそうに思えた。

 

だから、きっと自分は大丈夫なのだろうと、言い聞かせることにした。

 

 

そして待ちに待った、1月6日の検診。

 

本当は、4ヶ月に入り、エコーで赤ちゃんの動画撮影などができる頃となっていた。

 

激混みの待合室で1時間待ち、ようやくの検診。

 

どうか生きていますように、

そんな気持ちで診察室に入り、ベッドに寝る。

 

お腹にジェルを塗られ、お腹にエコーを当てた。

 

先生のうなり声が聞こえる。

 

「うーん、、、ちょっと確認できないですね、、」

 

「経膣エコーにしましょう。まだ小さくて確認できないようなので」

 

笑顔の看護師に連れられて別室に。

 

 

そうして再度、エコー画面を確認した先生が、かなり言いにくそうに、鈍い声を発した。

 

「うーん、大きさが成長していなくて、、

 

心臓の動きも確認できないですね、、

 

おそらく、大きさから言うと、前回の診察からすぐ後に成長が止まってしまったようで、、」

 

やっぱり、流産していたのだ。

 

 

そう聞いて、こう思った。

 

 

「あぁ、やっぱりか」

 

 

ショックだったが、相当な覚悟はできていた。

でも、予想は外れて欲しかった。

 

思った通りの結果だった。

 

 

その後、淡々と先生の説明を聞いた。

 

その説明によると、1ヶ月前検診の、なんと次の日に亡くなったようだった。

9週目だった。

 

 

つまり、赤ちゃんはほぼ1ヶ月、流産したままお腹にいたということだった。

 

それを聞きながら、

 

「そんなに長い間お腹にいて、よくなんの症状もなかったな」

「つわりがなくなったのは、やっぱり流産していたからなんだ」

「女の勘って、まんざらでもないな」

 

と、考えていた。

 

先生も、淡々と話を聞く私は少しこわかったかもしれない。

 

自分でも、こんなに冷静に居れるものなんだ、と不思議に感じていた。

 

 

まだ赤ちゃんが小さかったこともあり、「稽留(けいりゅう)流産手術」をすることとなった。

 

その後看護師さんと別室で、手術の日程について相談した。

 

看護師さんが第一声、「大丈夫?」と優しく声をかけてくれ、ようやく少し涙が出た。

 

手術日は、明日か、1週間後のどちらかだと言う。

 

私は迷いなく、明日でお願いした。

 

看護師さんは少しびっくりした様子で、

「心の準備とか、旦那さんとの相談とか、大丈夫?」

と言われた。

 

私は、1ヶ月も待ったので、これ以上待てない、と思った。

 

急な腹痛に襲われたりしてもいやだ。

 

なので、検診、流産発覚、翌日に手術と、目まぐるしく状況が変化することとなった。

 

 

 

さぁ、ここからがアスペルガー夫との本題だ。

 

まず、どう夫に報告するか。

 

急に電話でこの事実を伝えても反応に困るかな、と思い、こうメールで伝えることにした。

 

 

「メールで取り急ぎごめんだけど、やっぱりダメだったんだよね

 1ヶ月前の検診の直後で流産していたみたい

 9週目で成長が止まってるって

 明日手術になったよ

 また電話できたらしてきて」

 

 

 

さて、どんな返事が返ってくるだろうか。

 

 

 

「あら

 そうなんだ〜」

「後から電話するわ」

「あーそうかー」

 

 

という返事だった。

 

 

うん。

 

やっぱり、微妙すぎる。

 

「あら、そうなんだ〜」って、おかしくないか。

 

まぁ、まともな返事がくるとも思ってなかったけど。

 

やっぱり、ガッカリさせてくれるのがアスペルガー 夫だ。

 

 

そして、その夜は9時以降絶食、絶飲を言い渡されていた私は、早く寝ようと黙々と手術に向け準備をしていた。

 

 

夜、夫が帰ってきた。

 

夫は、なんて言ったらいいかわからず、一生懸命言葉を探しているようだった。

 

「残念だったね、っていうのもおかしいけど、そうか〜って感じだよね」

 

と、内容のあるようなないような言葉を発していた。

 

あまり多くは話し合わず、淡々と明日の手術について、承諾書にサインしてもらったり、説明書に目を通してもらったり、実務的な作業に努めていた。

 

そして、びっくりすることに、現実逃避の一環なのか、彼は一生懸命テレビを見ていた。

 

帰れま10をみながら、

「一位はなんだと思う?」

などとのんきに話しかけてきた。

 

私は、彼に殺気を覚えながら、明日の手術に向けての準備で気を紛らわしていた。

 

 

 

そして手術当日。

昼からの出勤で大丈夫だという夫を、一緒に病院に連れていった。

 

産婦人科など、アスペルガー 夫が嫌う居心地の悪い場所だとはわかっていたが、夫に気を遣う余裕はなかった。

 

夫は、女性ばかりの待合室で、案の定居心地が悪そうに、ソワソワソワソワとしていた。

 

待合室で数十分待ち、手術の説明に呼ばれた。

夫と一緒に説明を聞き、ようやくベッドの半個室に連れていかれた。

 

隣には、もう一人、おそらく同じような手術を受けるでろう女性がいるようだった。

 

 

夫はひたすらバツが悪そうに、トイレに行ったりしながら、一言も声を発しなかった。

 

「大丈夫?」

とかあるだろう。

と思うのだが、アスペルガー 夫には到底できない気遣いだった。

 

病院にいて、妻はこれから手術で、という人生初体験の状況に、彼の脳みそはフリーズしていた。

過去の事例がないため、掛ける言葉もわからなければ、自分がとるべき行動もわからない。

壊れてカクカクとしか動かない、人形のおもちゃのようだった。

 

「そろそろ行くわ」

と、彼はいそいそ仕事に出かけていった。

 

「頑張ってね」と言おうとして、口をつぐんだ。

そんなバツの悪い様子だった。

 

 

そこから、痛々しい手術が始まった。

 

ベッドで、点滴や何かの注射を受ける。

そして、手術室へ。

手術台で、点滴から麻酔を入れる。

「眠くなってきますからね」

という先生の声から数秒後には意識が遠のく。

 

 

「終わりましたよ」

と声をかけられる。

一瞬の出来事のように感じた。

 

もう終わったなんて信じられない。

それほど、あっと言う間の出来事だった。

 

看護師さんに抱えられ、フラフラとベッドに横たわる。

 

昨日の夜から水分を口にしていないので、喉がカラカラだった。

でも、動けない。

 

何時間か、眠っただろうか。

なんとかフラッとしながらお手洗いへ。

そして自販機で水を買い、ようやく喉を潤した。

 

頭が痛くて、ボーッとした。

もう少し寝たところで、だいぶと麻酔が覚めたようだった。

 

タクシーで帰ることにした。

吐き気などはないが、しんどかった。

 

「体調はどう?」など、夫からメールが来ていた。

 

「しんどい」

と返すと、

「了解」と返事がきた。

 

 

了解?

というのもどうかと思うが、、

重い頭では、すでにどうでもよかった。

 

 

 

その夜は、麻酔のせいか、それほど体調が悪い感じはしなかった。

 

夫には、生々しく手術の様子を伝えると受け止めきれないだろうと思い、

おおまかなことだけ伝えることにした。

 

また、夫は、なんて声をかけたらいいかわからないようだった。

 

 

 

次の日もそれほど体調はわるくなかったのだが、

2、3日後から、なかなかの不調が始まった。

 

とにかく、腹痛がひどい。

子宮収縮剤という薬を飲んで、子宮を元通りに戻すそうなのだが、

そのせいかお腹が時々きゅーーっと締め付けられて痛い。

 

また、薬の副作用か、太腿がとても痛くて、歩けないほどだった。

歩くのが痛いので、外出できず、家にいて腹痛と闘う日々だった。

 

そんな不調が1週間以上続いた。

 

その様子を真正面でしっかり見ているはずの夫なのだが、面白いほど見てみないふりをしているようだった。

 

そしてその様子に、1週間ほど経って、だんだん私のイライラが募ってきた。

 

「大丈夫?」の一言もないのだ。

 

ふつう、目の前でお腹を抑えて痛がっていたら、「大丈夫?」だろう。

 

なんで、そんな人間として当たり前の行動がとれないんだよ。

 

だんだん、思いやりのかけらもないように感じる夫の行動に、不満が蓄積していた。

 

手術後で、精神的に不安定なのもあるだろう。

 

でも、そんな時だからこそ、いつも以上にいたわってほしいものだ。

 

 

 

1週間たっても、一言も「大丈夫?」がないことに、いよいよ不満が爆発した。

 

「普通さぁ、こんなに苦しんでたら、大丈夫?とか声かけない?

 そういうことってできないわけ?」

 

かなりの苛立ちと嫌悪感を込めて、夫に伝えた。

 

すると、返答はこうだった。

 

「大丈夫?って思ってるに決まってるじゃん!!

 でも俺には、なんて声かけたらいいかわからない!

 もちろん、痛がってるのもわかってるし、しんどそうなのもわかってる!」

 

ということだった。

 

私はすかさず反論して、

「大丈夫?って思ってるなら、声に出したらどうなの!?

 思ってるだけでは全く伝わらないよ!」

 

と言った。

 

 

 

そこから、彼なりの苦悩を語り出した。

 

「手術も痛そうで、俺なら耐えられないけど、そんなことがあって、

 俺はもう、なんて声をかけたらいいかわからなくて」

「大丈夫かなといつも思ってるし、気にかけてるよ!!」

 

 

そんな話になったので、ついでに手術前日のことも恨み節でぶつけてみた。

 

「手術の前の日、自分は全く関係ないみたいにテレビみて、一位なんだと思う?

 とか話しかけてきてさ、そんな思いやりがない行動ってほんとがっかりした」

 

と言うと、夫の言い分はこうだった。

 

「おれなりの気遣いだったんだ!

 手術の話するのもダメだと思ったし、全く関係ない話をするのが思いやりだと思ったの!」

 

 

びっくりした。

テレビを一生懸命見て現実逃避することが、彼なりの「思いやり」だったそうだ。

 

 

それは、分かり合えないのも納得だ。

 

 

でも、彼なりに今回の流産で、いろんな思うことがあったようだった。

 

「俺は、今回ダメでほんとうに残念だったけど、あなたと二人の人生でもいいと思うし、

 また子供がいつかできたらそれもいいと思う。

 今回、子供ができて本当に嬉かったけど、どちらでも俺は幸せだと思ってる」

 

と、思いが溢れ出したかのように、私に色々な思いを語ってきた。

 

 

私はこう思った。

 

アスペルガー夫にとっては、今回の流産はいい勉強となっただろう。

 

「子供ができるのは当たり前ではなく、奇跡」であること。

「無事に生まれるということは、奇跡」であること。

 

こういったことを今回学び、きっと次に妊娠したときには、流産の危険性を認識してくれるだろうし、子供が生まれたら、その奇跡を大事にしてくれるだろう。

完全ではなくても、少なくとも今よりは。

 

そして、彼だけではなく、もちろん私にとっても一緒だ。

 

 

前例がないと行動がとれないアスペルガー夫にとって、今回の流産という出来事は衝撃的だっただろう。

 

全く正しい行動、言動が取れるはずもなく、思う存分妻を失望させる。

 

期待はしていなくても、手術を受ける本人である妻側にとっては、いたわりの言葉や優しい言葉をかけられないという状況は、とても辛いものだった。

 

そんな辛い出来事を、アスペルガーの夫を持ちながらもなんとか乗り越えた、というだけで、自分を褒めてあげたいとも思う。

 

 

今、流産手術からおよそ3ヶ月が経った。

 

辛かった腹痛も、太腿の痛みも遠い過去の話となった。

体調もすこぶる順調で、もうすぐまた妊活を再開できる時期となった。

(手術後、2回生理が来るのを待って、子宮を元に戻しましょうと、先生から言われていた)

 

アスペルガー 夫とこんな経験をした人は多くないかもしれないが、何か参考になればいいと思う。

 

また、今流産の不安がある方や、流産手術の予定がある方、を手術を経験された方にとっても、少しでも情報の足しになればと思う。

 

越えられない冬はない。

 

そういう気持ちで、生きていきたいと思う。

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