ほんきっき

アスペルガー夫に悶絶する新妻のほんきにっき

変わらないアスペルガー、少しだけ変える自分

nanaさまにいただいた素敵なコメントからヒントをいただき、

今日はこのテーマについて書いてみたい。

 

 

アスペルガー夫を変えるか、自分が変わるか、別れるか」

 

 

発達障害の配偶者を持つ方なら、必ず当たる壁ではないだろうか。

 

相手を変えることはできるのか。

できなければ、自分が変わるしかないのか。

それとも、別れるべきなのか。

 

 

 

このテーマに関して必ず通る道として、

第五ステップに分けるとこういう感じかと思う。

 

 

 

第一ステップ

 

アスペルガー夫を変えようと頑張る」

 

第二ステップ

 

アスペルガー夫が変わらないことを知る」

 

第三ステップ

 

「自分の考え方を変えようと努力する」

 

第四ステップ

 

「それでも腑に落ちなくて、別れようかと別れる」

 

第五ステップ

 

「別れる」

または

「我慢して付き合い続ける」

 

 

こういう道を辿る過程で、皆、気づくのではないだろうか。

 

まずもって、アスペルガーは、変わらないことを。

 

 

残念ながら、「障害」なのだ。

病気のように、治る、治らないという次元のものではない。

 

一生付き合っていく必要がある「特性」だ。

ただ、「マシ」になる可能性はある。

 

でもそのためには、彼らにこちら側が身を削って、

「教え込む」必要がある。

 

彼らは、自分が持っている「データ」を頼りに、行動している。

 

「人が目の前で泣いていたら、大丈夫と声をかけなさい」

 

こういうデータを、

過去に親や先生などからインプットされていたかどうか。

それ次第だ。

このデータがなければ行動できないし、

データがあればそれに沿って行動できる。

 

データをたくさん教え込まれて育っていれば、かなり「マシ」だろう。

でも、これまで、自分の子供が発達障害だと気づくケースは少なかった。

近年、だんだんと「発達障害」という分野について、

少しずつわかってきただけで。

本来、未知の領域なのだ。

研究も進んでいなければ、今だにわからないことだらけ。

 

そんな未知の分野の、未知な特性について、

しっかり知っていた親も、先生も、いなかった。

 

だから、今世の中にいるアスペルガーの人たちも、データの蓄積が弱い。

 

親が、しっかり教え込むべきだったかもしれないが、

そんなことは難しかっただろう。

 

そうやって「少し変わっている」と思われるだけで、

スクスク成長してきたアスペルガーの人々。

結果、大人になり、恋愛や結婚で、

相手が困る行動を惜しげもなくとり続け、相手を困惑させる。

 

 

相手が怒ってても、なぜ怒っているか理解できない。

なんて声をかけていいのかもわからない。

 

相手が泣いていても、なぜ泣いているか理解できない。

慰め方もわからない。

 

 

だから、パートナーは、一緒になってから、

まず一番に「アスペルガーを変えようと頑張る」ことになる。

 

 

「悪いことをしたら、ごめんなさいって言うんだよ」

「人が痛がっていたら、心配する声をかけるんだよ」

「太った?とか女性に言うと傷つくから、言っちゃだめだよ」

 

 

こうやって、事あるごとに、根気強く教え込んでいく。

 

でも、次の日には、またびっくりするようなことをやらかしてくる。

がっくり肩を落としながら、それでもまた、根気強く教え込む。

 

「物を投げちゃいけないよ」

「人にプニプニだね、とか言わないの」

「ゴミが落ちたら拾うの」

 

こんな、当たり前のことを、必死で大の大人に教え込むことになる。

 

 

気分は、幼稚園の先生。

 

 

なんで、こんな当たり前のことを知らないんだろう。

小学生でも知ってるはず。

 

そんなことを、やられては、こちらが発狂する日々だ。

 

 

そうしているうちに、気づく。

 

 

 

アスペルガーは、変わらない。」

 

 

 

 

ただ、マシにはなるようだ。

 

でも、マシになるためには、

こちら側の無償の愛が必要だ、とも気づく。

 

何度嫌な思いをさせられても、耐える忍耐力。

何度も何度も、同じことを言い続ける根気。

何度も泣いても、一緒にやっていこうと思う精神力。

 

 

そして、アスペルガー夫を持つ妻は、皆思う。

 

 

「母親にはなれない」と。

 

 

私も、何度彼に言っただろう。

 

「私はあなたの母親じゃない!!!」と。

 

そして、ある日限界を迎えて、こう言うのだ。

 

「もう、別れる!!!耐えられない!!」

 

 

 

こんな日々を、毎日毎日、私は続けていた。

 

 

そして、数日前、こんなことを言われた。

 

そして、私はまた発狂した。

 

 

それは、金銭感覚がない彼に、節約を促した時だった。

 

お金のことを言われるのを極度に嫌う彼は、

あきらかに不機嫌に顔をゆがめていた。

 

そしてこう言った。

 

 

 

 

「働いてるのは俺じゃん。」

「お金持って帰ってきてるのは俺。」

 

 

 

 

 

この言葉に、私はプチンと発狂した。

 

 

 

「…一体、どういう意味で言ったの?」

 

明らかにキレている私を見て、彼はだんまりを決め込んだ。

 

 

「だから、どういう意味って聞いてるんだけど」

 

 

ますます怒る私に、だんだん彼の顔が正気に戻ってきた。

 

まずいことを言ったかもしれないと悟ったのだろう。

 

もごもごしながら、

「いや、そういう意味じゃない」

と、何度も繰り返した。

 

「じゃぁどういう意味なの!!」

更に怒りに震える私。

 

「俺が食わせてやってるってやつ??」

「あなたは昭和に生きてるわけ??」

「どんな古い人なの???」

矢継ぎ早に問い詰める。

 

ますます彼はもごもごと、

「えぇ…そういうことじゃない」

と、何も言えずに、謝罪モードに入ってきた。

 

「ごめん」

 

今度は、謝ればなんとかなるかもと、謝ってくる。

 

「何にごめんなの!??」

と聞いても、無言。

 

しまいには、こんな呆れたことを言う。

 

「そんなこと言ってないと思う。」

 

最後には、なかったことにするのだ。

 

アスペルガーめ。

いつも記憶の改ざんがすさまじい。

 

どうしたら、言ったことを、言ってないことにできるのか。

その頭の構造が、理解できない。

 

もうそうなると、いくら話し合ってもなんともならない。

 

もう、なんの回答も得られない追及はやめにした。

 

こちらも、ここは諦めの心を持つ以外にない。

 

でも、こういう言葉、妻は絶対忘れない。

 

「夫に言われて恨んでいるランキング」に追加する。

 

 

 

 

 

 

しかし、そんなことがあって、ふとこう考えることがあった。

 

 

 

「自分が今されていることって、

 自分が過去にしたことなのかもしれない」

 

 

 

20代のどこかで聞いた話を思い出した。

 

 

嘘か本当か、わかる人はいないだろうが、

人間は、何度も生まれ変わっているという輪廻転生の話。

 

その話の大筋は、こうだった。

 

何百年も、何千年も前のどこかで、

自分が人にした酷いことというのは、今返ってきている。

それを、「因果」という。

 

人は、少しずつ成長しながら、生まれ変わりを繰り返す。

 

自分には、相当人に酷いことをしていた時もある。

それが、生まれ変わったら、因果として返ってくる。

でも、それに耐えられる時までは、返ってこない。

何度も生まれ変わりながら、耐えられる今世に、返ってきている。

 

 

 

そんな話を、ふと思い出した。

 

私は、そんなにスピリチュアルを信じる方でも、信じない方でもない。

 

 

でも、もしそうだとしたら。

 

今、私が苦しんでいることは、もしかして、

過去に自分がだれかにしてきたことだったとしたら。

 

そのときに相手がどれだけ苦しかったか、今学んでいるのだとしたら。

 

 

そんなことを考えてみた。

 

そうしたら、被害者意識ばかり持っていられない。

そんなことを感じた。

 

 

また、今一緒にいる配偶者、親、そういう身近な人は、

過去でも同じように繋がりが深い人だった、

ということも聞いたことがある。

 

そうすれば、今私を苦しめているアスペルガー夫は、

過去のどこかで、私が苦しめていた相手なのかもしれない。

 

 

例えば、過去に私が夫側で、彼が妻側だったかもしれない。

その時代、私は大変な亭主関白で、

妻にひどいことばかりしていた人間だったのかもしれない。

 

 

そんなことを想像した。

 

 

もしそんなことがあるのだとしたら。

 

今の夫の姿は、過去の私の姿だったとしたら。

 

 

恐ろしいと思った。

 

 

そうしたら、怒ってばかりもいられないと思った。

 

 

 

そう思ったとき、少なくとも自分に今できることは?

こういうことだと思った。

 

「自分は今後絶対、こうやって人に酷い言葉をかけない。

 人を傷つけることはしない。」

 

苦しめられているからわかる。

自分がされて嫌だったことを、人にしないこと。

そのことを、しっかり心に留めること。

 

 

もし因果というものがあるのなら、因果を残さないこと。

 

 

苦しみの連鎖を断ち切ること。

自分で終わらせる、という意識を持つこと。

 

 

もしここで、

「ひどい!自分は被害者だ!」

と思っていても、何も解決しないのだろう。

 

 

「人一倍苦しんでいる分、人には苦しい思いをさせない」

 

 

そう思うこと。

これくらいは、できるかなと思う。

 

 

「自分を変える」ということは、難しいことを想像しがちだ。

 

 

「相手に酷いことを言われても許せるように」

「相手に何をされても笑顔で」

「傷つけられても我慢」

 

 

こんなことが、「自分を変える」ことなのだと考えてしまわないだろうか。

でも、とてもできそうにない。

やろうとしても、すぐ断念してしまう。

 

もし仮に、こんなことができたら、

今頃仏様として活躍しているだろう。

 

もし今、そんな神対応ができている人がいるなら、

来世は間違いなく神様になっている。

 

そういうわけで、私のような普通の人間には、

仏のような対応はできない。

 

でもさっき言ったように、

「こんなつらいこと、人にはしないぞ」

と心に決める。

そんなことは、できそうだ。

 

 

なので、私と同じように

「自分が変わらないと」

と思っているなら、

 

「被害者じゃなく、加害者だったかもしれない」

「自分は、もう加害者にならない」

 

こんな視点の転換から、始めたらいいのかもしれない。

 

 

そんな、ふとした思いを、今回は書き綴ってみた。

 

スピリチュアルに寄る話はあまりしたくないのだが、

人生1,2割ほど、たまに精神的な思考を混ぜるのもいい、

と思っている。

 

 

もちろん、これだけでは、なにも好転しないかもしれない。

 

でも、

「自分が変われば相手が変わる」ということはありうる。

 

少しずつ、自分も、他人事ではなく、

自分の姿を見ているように、パートナーを見つめられたらいい、

と思う。

 

少しだけ、天から自分たちを見る視点。

そんな大きな、上から見下ろす広い視点を持っていきたい。

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