妊娠初期のアスペルガー夫との3度の喧嘩と男の涙
現在妊娠11週で、あと1週間で妊娠4ヶ月目に入る。
妊娠発覚から今日まで、アスペルガー夫と本気で喧嘩をしたのがすでに3度。
最後の喧嘩では、離婚をしようかとまで本気で考えた。
やはり、手強かった。
妊娠して喜んでいる暇もなく、容赦なくアスペルガー夫との問題が立ちはだかって途方に暮れた。
その一方で、子供を授かったことによる、アスペルガー夫の進歩も小さいながら感じられた。
その狭間で揺れ動く心境を、今日は綴っていこうと思う。
まず、3度の喧嘩の内容からお伝えしていきたい。
まず、1度目の喧嘩「車の購入」について。
夫の10万キロを超える愛車の車検期限を12月に控えていた先月、新車を買うことになった。
これまである外車にこだわってきた彼なのだが、とにかく故障と車検で飛ぶようにお金がなくなっていた私はいつも不満を募らせていた。
外車なんていらない!とにかく壊れない国産車にして!
とひつこく言い続けたこの1年。
この件でも何度も何度も喧嘩をし、説得を重ねた結果、ようやく彼が折れて、国産車に乗り換えられることになった。
こういったことにおける「こだわりの強さ」はアスペルガーの半端ないところだ。
よく聞けば、特にその外車のブランドが好きというわけでもないと言う。
ただ、ずっと乗っていて愛着があり、先方との付き合いも深いため、そこのブランドがいいと言い続けていた。
一度愛着がわくと、手放せない。
ものでも、人でも一緒なのだ。
一度これと思うと、とにかく執着しこだわり、手放せない。
変化をとにかく嫌がり、現状維持を好む。
そういった彼の症状により、簡単であるはずの車の買い替えも、人並みの100倍以上苦労させてくれていた。
それでも、ようやく国産車への乗り換えを本当にしぶしぶだが、了承してくれた。
そして先月、ディーラーへ行って車を見に行く予定だったある日。
ちょうどそのお昼に、妊娠が発覚したのだった。
私は、すぐにことの重大さを認識し、サッサと頭の切り替えをしていた。
「子供ができたのだから、子供を考慮した車選びをしないと」
と、すぐこの後訪れるディーラーでの車選びについて現実的に考えていた。
でも、アスペルガー夫は違ったようだった。
「妊娠したよ」
といってもポカンとしていた夫だったが、私が思っているよりずっと、その日はまだ実感がなかったようだった。
ディーラーに向かう道のりで、私は彼にこう言い聞かせていた。
「子供ができたから、それを考慮して車選びしないといけないよね!!!」
でも結局、彼は聞いているようで聞いていなかったようだ。
実際ディーラーに着いて、「どんな車がいいですか?」と聞かれ、
彼が答えるのはこんな回答ばかりだった。
「9割は自分が乗るからかっこいいのがいい」
「シートは本革がいい」
「どうせなら一番いいグレードのものがいい」
こんな、自分のことしか考えてない発言を繰り返した。
私は、今日子供ができたとわかったのだったら、もう少し子供のことも考えた車選びを彼も考えてくれるべきだと思っていた。
それが、アスペルガー夫にはまったく求められないことだったのだ。
いくら隣で、
「子供ができたら、後ろに子供を乗せやすいかとか、考えて選ぼうよ」
「本革だったら、子供が泥だらけで靴のまま上がったら汚れが取れなくて大変だよ!合皮が絶対いいんだよ」
「これからお金も貯めないといけないし、中間ぐらいのグレードにしてくれたら助かるんだけど!」
などと必死で情報をインプットさせても、全く聞いていなかった。
おかげで見積もり額は膨れあがり、子供のことを考えていない本革シートの最高グレードで見積もりを取ることになってしまった。
「そんなに高額だと買えないよ!」
と言うと、
「それをどうにかするのは担当者の〇〇くんの仕事だから」
と、変な理屈をこねだし、聞く耳を持たない。
そんな様子で、急ぎで車選びをしないといけなかったのに、彼のほしいもの一点張りの車選びとなっていた。
ディーラーを出て、とにかく私は彼に怒りをぶつけた。
「どうして、今日子供ができたとわかったのに、そんな自分勝手な車選びをするの?」
「子供を考えた車選びをしようとはどうして思えないの?」
と問いただした。
すると、
「ただの見積もりじゃん。なんでそんなに怒るの?」
「しょうがなく国産車にしたんだからそれで十分でしょ」
と逆にプリプリ怒っていた。
彼の中では国産車にしたのが最大の妥協で、それ以上の妥協を自分はする必要がないという考えのようだった。
結局、その数日後に産婦人科に行き、正式に先生から妊娠の確定をしてもらった。
その報告を夫にしたところ、初めて実感が湧いたようだった。
つまり、ディーラーに行った日は、子供ができたという実感が全くなかったということのようだった。
アスペルガー夫の頭の中は不思議がいっぱいだが、そういうことで、全く車選びの最中に子供を思い浮かべて選ぶことはできなかったようだ。
私は検査薬で陽性反応が出た瞬間から、子供ができる前提で車選びも考慮できるのだが。
そういうところも、アスペルガーの「想像する力の欠如」という症状の一つなのだろう。
子供ができたよ!
と言われた瞬間から、子供とパパになる自分との生活がイメージできず、そのためそれに備えた車選びなど、到底できないのだろう。
結局、車選びについてはどうしても折り合いがつかず、彼の好む車とグレードに私が妥協する形になった。
外車にこだわって手放さなかったアスペルガー夫を国産車に変えさせただけで今回はよくやったと、自分を褒めてあげることにした。
いずれ、国産車に乗りなれたら絶対心地よく、ずっと乗り続けてくれるだろうと予測している。
一番難しいのはこの瞬間。
変化を起こすこの瞬間である。
ここさえ乗り越えれば、あとは大丈夫。
これがアスペルガーだ。
次に、喧嘩2度目「タバコ」の話。
彼はかなりのヘビースモーカーだ。
妊娠が発覚したその日から、もちろん家の中で吸うのをやめてもらう必要があった。
それが大変だったのだ。
これも上記と一緒だが、変化の瞬間だ。
この変化を起こす瞬間がとっても困難なのだ。
妊娠がわかったその日から、彼に自覚が湧いてようがなかろうが、すぐタバコを控えてもらう必要があった。
でも、自覚が湧かない彼は、
「家の中で吸わないでね!!」という私に対し、容赦なく目の前で吸い出していた。
「吸わないでって言ってるでしょ!!!!」
と目を疑う私はあわてて火を消させた。
普通、吸わないでという妊婦の目の前で吸う夫っているのだろうか。
頭がおかしいとしか考えられなかった。
次の段階。
「絶対家の中で吸わないでね!!!吸うなら家の外に出て!!!!」
と口すっぱく何度もいう私に対し、次の夫の行動はこうだった。
換気扇の下で吸う。
また私が怒鳴ることになった。
「家の外ってわかる???換気扇の下は家の中ね!!!!換気扇の下で吸っても私にタバコの煙は届くの!!わかる??」
「え〜〜〜。換気扇の下だったらいいでしょう。」
っと夫。
とにかく、言うことを全く聞かない。
私はインターネットで、換気扇の下で吸うタバコがまったく意味がないことを書いているページを探し、夫にメールでその場で送った。
「はい、それ読んで!」
「換気扇つけてるからって、食事作ってる匂いがリビングにまったくこないことはないでしょ!?それと一緒で、タバコの煙もリビングに届いてるって書いてるよね!?」
「わかった!?換気扇の下も禁止なの!!!ね!!!」
と必死で説明し、その日はなんとかやめさせた。
そして次の日。
相変わらず、換気扇の下で吸おうとする夫。
また私は怒鳴ることになる。
「昨日説明したよね!?換気扇の下は禁止なの!!!」
何度も何度も注意されても、打たれ強いのだ、アスペルガー夫は。
そして、自分に不都合な情報は特に真剣に聞いていないので、次の日も超ナチュラルに禁止事項を堂々としてくれる。
そうして、何度も何度も注意し、ようやく3日目以降、きちんと外で吸えるようになった。
ザ・犬のしつけ。
根気よくがキーワード。
なんども失敗しても、なんども注意し、しつける。
アスペルガー夫の素行を矯正するには、この犬と向き合う根気と我慢が必要だ。
ただ問題は一点。
子犬のように可愛くない。
そうして1週間ほどが経ったころ、数人で外食する機会があった。
飲めない私をよそに、一人でワインを1本、2本と空けていく夫。
酔いも回ったら、また私が発狂したくなることを惜しげもなく目の前でしてくれる。
そう、タバコを私の目の前でスパスパ吸い始めた。
他の人もいるため、あまりきつく彼には言えない。
ダメだよ、ここで吸ったら。と注意するが、一向に聞く耳を持たない。
灰皿を取り上げても吸うし、口で注意しても吸い続ける。
そんな夜に、私のイライラが順調にたまっていった。
そして数日後にそのことを注意した。
「あの日、外食したからってどうして私の目の前でタバコを吸うの?
外食先なら吸っていいというものではないでしょう。
外食先でも、家でも一緒。私の前では吸わないでね!!約束できる?」
と、注意喚起を行った。
そうしたらまた、アスペルガー夫お決まりの逆ギレが始まった。
「俺は家で吸ってないだろう!!!!どうしてそんな数日後に怒られないといけないんだ!!!!」
と怒り始めた。
外食先でも吸わないで、という私への反論が終始、
「家で吸ってない!!」
というチグハグな反論の一点張り。
「家の話はしてないでしょう!』
と言っても、通じない。
また、数日後に言われることも納得がいかないらしかった。
ザ・犬の性質。
数日後に「ここでおしっこしちゃダメ!」と言われた犬のように、頭がはてなでいっぱいで理解ができないようだった。
なんで、数日後に言われないといけないの???
と、そこが引っかかって話が入ってこないらしかった。
それでも、酔っ払っている瞬間に言っても理解できないのだから、困ったものだ。
結局は、いつ言われても腹を立てているのだが、なにかしら防御の材料として「数日後に言われるのがおかしい」という理屈をこねるのがいつも好きで、よく言ってくる。
こうやって、私は彼へのうんざり度がどんどん増してきていた。
妊娠中で、「目の前でタバコを吸わないで」という当たり前の要望が、こんなに困難とは。
「いちいち、こんなことで喧嘩していたら身が持たない。」
アスペルガー夫との妊娠生活に、早くも翳りが見えていた。
そして最後の3度目の喧嘩、「寝ている間の出来事」について。
本気で離婚を考えた出来事だった。
ある日、グーグー寝ていた朝の5時のことだった。
ひとつのベッドで夫と寝ているのだが、夫はとにかく寝相が悪い。
布団を全部剥ぎ取ってきたり、右に左に激しく移動してきたり、とにかくうっとうしい動きをする。
そんなある5時の朝っぱらに起こったことだった。
夢の中の奥深くまで眠り込んでいた私は、ある衝撃で飛び起きた。
夫の拳が私の心臓あたりにドンッ!!!!と飛んできて、夫に胸を深く殴られたのだ。
あまりの痛さと衝撃で飛び起きた。
そしてすぐ夫に叫んだ。
「何するの!!!!!???????」
「痛いじゃん!!!!!!なんで殴ったの!!!!????」
手が当たったレベルではない衝撃で、殴られたとしか感じなかった。
寝ぼけてるのはすぐわかったが、夫に問いたださないわけには行かない痛さだった。
胸を殴られるって、人生で経験がない。
いいようのない怒りが一気に湧き上がってきた。
そうやって隣で発狂している私に、彼はこんなひどい一言を放った。
この一言を、私は一生忘れないだろう。
「めんどくさ。」
私はあんぐりと口を開けて呆然とした。そしてさらに発狂した。
「めんどくさいってなに!!!???」
というと、彼はねぼけながらモゴモゴとこう言った。
「覚えてないんだもん〜わざとじゃないじゃん〜〜」
確実に殺意を持った私は、
「あなたは私の心臓を殴ったの!!!わざとじゃなくても謝るくらいできないの!!??」
というと、また彼は忘れられない一言を言った。
「わざとじゃないから謝らない。」
この一言を聞いた瞬間、「終わった。」と思った。
こんなこと言う人、いるのだろうか。
わざとでなくても、人を殴って、「わざとじゃないから謝らない。」
謝らない。謝らない。謝らない・・・・
この言葉が頭でグルグル回りながら、もうこいつとはやってられないと心底思った。
「そんな謝ることもできない人と一緒にはもう寝れないし危険を感じるから下で寝るわ」
と吐き捨て、1階のリビングに行って寝ることにした。
憤りで頭がおかしくなりそうだった。
「もう離婚だ。もうぜったい離婚だ。もうやってられない・・・。」
そう頭の中でフツフツ考えながら、リビングで寝ていた。
そうすると、30分くらいして夫が下に降りてきた。
「なんで怒ってるの〜。わざとじゃないじゃんごめんっていってるじゃん〜。朝の5時半だよ〜朝っぱらからなんなの〜〜。」
と、私の怒りを100倍にする言葉の数々を投げかけてきた。
そして寝ている私の横に横たわってベタベタ触ってこようとする。
私は全力で彼を引き剥がし、足で蹴り続けた。
「いたいじゃん〜!もうやめようよ〜」
などブツブツ言いながら、すり寄ってくる彼に心から嫌気がさしていた。
その日から、かなり悩み続けた。
「一緒にいない方がストレスがなくて幸せではないか」
「子供がいても、こんな夫ならいない方がマシではないか」
「結婚とはなにか」
「夫婦とはなにか」
哲学的、スピリチュアル的なこと、いろいろ含めて悩み続けた。
約1週間、彼とほぼ口をきかなかった。
アスペルガー夫は、私の彼に対する「サイレントトリートメント」的な「口をきかない罰」を与えられることを極度に嫌っている。
でも、私にとってはアスペルガー夫から自分を守る手段だ。
彼の顔を見ることも、言葉を交わすことも、なにもしたくない。
彼への憎悪と戦っていた。
もちろん子供には父親がいる方が幸せだろうという一般的な考えと、こんな幼稚なアスペルガーの父親ならいなくてもいいだろうという考えで揺れていた。
喧嘩後の翌日、リアリスティックに、離婚後の養育費の目安や一人で子育てをする場合の家計簿までシュミレーションした。
シングルマザーの各種補助金や支援なども調べ上げた。
そして、一人で生きていけるという確証も得た。
結婚についての映画を見たり、本を読んだり、色々なことを想いながら、真剣に考えた。
「一人で生きていけるなら、それでもこの夫といる意味はどこにあるのか?」
そうして1週間が経ったこと、耐えられなくなった夫が口を開いた。
「ねぇ・・このままずっとやっていくの?」
なんて言ったらいいかわからなそうに、ゴニョゴニョ切り出した。
その夜、私も腹を決め、果てしない話し合いに身を置くことになった。
彼の言い分は、
「色々子供ができたとわかってから頑張って努力している。
でも寝てる間のことで怒られても覚えてないから責められても改善しようがない。
でもこれからも努力し続けるから一緒にやっていきたい。」
「でも、そんなに俺のことが嫌いで離婚したいなら、離婚してもしょうがないとは思ってる。
思ってるけど、そうはならないようにしていきたいと思ってる。
やっぱり子供のためには両親が揃ってないといけないと思う。」
と、いうようなことを言っていた。
内容はいつも彼から聞くような内容で代わり映えしないのだが、一つ、彼を許そうかと思った違いが一つあった。
それは、滅多にないことだった。
彼が、涙を流したのだ。
滅多に泣いたことのない彼が、今回相当考え込んだことが伝わってきた。
それにつられて、私も泣けてきた。
珍しく、一緒に泣いた夜だった。
子供を授かったことで、心のないロボットのアスペルガー夫に、心が芽生えた瞬間を目にしたような気持ちだった。
これまでは、そんな人間らしい心の動きを彼から感じることはなかったのだ。
子供ができたことは、彼になにかしらの変化をもたらせていた。
「子供のためには、離婚せずに円満にならないと子供がかわいそうだ」
そんな思いを強く思っているようだった。
それまで、到底彼を許す気にはなれなかった。
「ずっと許して許して、許してばかりで疲れる!もう解放してほしい!!」
と思っていた。
なのに。
男の涙はずるい。
確実に私の心が動かされてしまった瞬間だった。
これまで何度も何度も許し、裏切られて傷ついてきた。
それでも、一筋の光が見えると、光の先にいいこともあるのかもと、また許す。
そうやって、それを繰り返し続ける。
それが、アスペルガー夫との付き合い方なのかもしれない。
そうやって、また彼を許し、少しずつだが一緒にやっていくことにした。
それでもまだ彼との距離は保ったままだ。
触られるのもイヤだし、一緒にお風呂に入るなどもっての外。
他人以上夫婦未満の関係とはなっている。
でも、少しずつ、歩み寄り合っていると信じたい。
結婚について、夫婦について、色々と今回考えた。
そのことについての考察は、またの機会に書いてみたいと思う。
喧嘩の内容ばかりで申し訳ない。
妊娠初期のアスペルガー夫の現状と、変化へ対応する道のりが伝わると幸いです。