ほんきっき

アスペルガー夫に悶絶する新妻のほんきにっき

「否定」から「診断を受けたい」と変化したアスペルガー夫

また1か月以上更新もできず、申し訳ありません。

 

ここ最近「アスペルガー夫からの自立」を

着々と進めていた。

 

また詳細は書きたいが、

個人事業主として開業しようと、

開業準備を着々を進めている。

 

 

そうやって忙しく動いている1か月間、

アスペルガー夫にも変化が生まれてきた。

 

 

ひつこく「あなたはアスペルガーだ!!」

と夫に言い続けてきた私。

 

ひつこく「俺はアスペルガーじゃない!!」

と否定し続けてきた夫。

 

そんな約2年半に及ぶ攻防に、

ようやく少し変化が見えてきた。

 

今日はそんな、

「ずっとアスペルガーであることを否定していた夫が、

アスペルガーであることを認めはじめた出来事」

について、その経緯を書いてみたい。

 

 

 

私がアスペルガーであろう夫と結婚したのは、

約3年前。

 

結婚直後に夫のキレっぷりや不可解な行動から、

アスペルガーを疑ったのは、結婚半年後だった。

 

そこから、彼に「アスペルガーではないか」

と指摘してから、現在、約2年半が経った。

 

これまで、私がいくら言っても、

決して彼は自分がアスペルガーとは認めなかった。

 

そもそも彼自身、アスペルガーがどういうもので、

どういう症状なのか、知りもしなかった。

 

知りもしないのに、「自分は違う」と、

否定していた。

 

彼がそうやって否定するたびに私は、

アスペルガーじゃないって、どうしてわかるの?」

アスペルガーについてわかってるの?」

と聞き続けた。

そうすると彼は決まって黙りこくった。

 

本当は自分がアスペルガーじゃないという、

根拠も何もなくそう言っているのだ。

 

そこにあるのは、ただ、

「レッテルを貼ろうとしている妻がおかしい」

「俺を欠陥品みたいに言いやがって」

という、ただの「感情的」なものだった。

 

おまけに「アスペルガーっていう響きがいや」

というような、なんとなくの嫌悪感も相まっていた。

 

彼に何度も、

アスペルガーとはどういうものか」

をわかってもらおうとしてきた。

 

そこで彼の難しいところは、

「識字障害」があるところだった。

 

文字が読めないのだ。

本が読めない。

アスペルガーに併発しがちな、

学習障害だった。

 

だから、

「このアスペルガーについての本を読んでみて」

と、本で学習してもらうことができない。

 

なので、口頭で説明することを試みてきたが、

なにせアスペルガーには「被害者意識」なるものがあり、

「俺は責められてる!」と思われて、聞く耳を持たない。

 

とたんに怒り出したり、キレ出したりするから、

会話にも話し合いにもならない状態だった。

 

「自分でインターネットで調べてみてよ」

と、自分で調べるように何度も促してきた。

 

でも、ちゃんと調べてくれることもなく、

少し調べたような気配があっても、

「俺はアスペルガーじゃないと思う」

と結論付けてきていた。

 

インターネットにある、

アスペルガーに該当するかのチェックリスト」

などで、自分が当てはまらないところにフォーカス

しているのだろうと思う。

 

アスペルガーは、空気が読めない」

と書いていれば、

「俺は空気が読める。つまりアスペルガーじゃない」

と、自分で勝手にいいように解釈するのだ。

 

アスペルガーの厄介な特性は、

職場でうまくやっていることも、

家庭ではできない、などということが起こることだ。

 

「外の顔」を意識しているときにはできて、

本当の自分に戻れる「家庭」ではできないことがある。

 

私の夫で言えば、

職場では、上司にでも、お客様にでも、

「申し訳ありません!」と素直に謝る。

 

でも家に帰ってきて、私が怒っていても、

「ごめんなさい」は絶対に言えない。

 

その理由は、「家だから」。

 

職場での自分はあくまで「仮面」なのだ。

 

だから、アスペルガーかどうかのチェックリストも、

職場で成功していて、生きづらさを感じていないと、

チェックリストにチェックが入りづらくなる。

チェックが甘くなり、結果、

「俺はアルペルガーなんかじゃない」

「そんなことを言ってくる妻がおかしい」

となる。

 

 

そんな具合で、人生に困っていなかった我が夫は、

結婚後ひつこく

アスペルガー夫」とレッテルを貼ろうとする私を、

悪と戦う正義のように突っぱねてきた。

 

 

「俺を欠陥品扱いするな!」

「俺を病気みたいに言いやがって!」

と、さんざん私に言い続けてきた。

 

 

それでも、私は戦い続けていた。

 

 

私の第一目標は、

「彼を病院に連れていくこと」だった。

 

まずその第一難関を突破しなければ、

スタートラインにも立っていない。

 

まず、本人がアスペルガーの症状を理解し、自覚する。

そして、コントロールできるようになること。

家庭内での「生きづらさ」を和らげること。

 

それが、まず最初の目標だった。

 

 

彼は、病院で診断を受けることに関しては、

そこまで否定的ではなかった。

 

離婚寸前の大喧嘩が起こるたび、

「病院で診断を受けること」

を結婚継続の条件としてやってきた。

 

しかし、次に、またアスペルガーの悪い面が出てくる。

 

「予定を立てられない」

というアスペルガーの性質だ。

 

先のことがイメージできない、想像できない。

そういうアスペルガーの特長が邪魔をして、

病院に行く日を決められずにいた。

 

彼は、月に1日、休みがあるかどうかなのだ。

そんな異常な働き方をしているのも、

アスペルガーの影響だろう。

休みを取ることができない。

コントロールできないのだ。

 

しかし、大人のアスペルガー診断をしてくれる病院は、

3、4か月待ちなどが当たり前。

なかなか、予約を取れずにいた。

 

 

でも、私もいい加減しびれを切らし、

「もう病院行くよ!!」

と最近特に、彼にかみつき続けていた。

 

 

そのあたりから、大喧嘩をした時の

彼の反応が少しずつ変わっていった。

 

 

それは、アスペルガー否定時期から、

容認への移行期で発生する、

「絶望」のような反応だった。

 

 

ある日、あることで大喧嘩になったとき、

彼は初めてこんなことを言い出した。

 

 

「俺、アスペルガーだから無理なんだ!」

 

 

急に、そんな変化球が飛んできて、

拍子抜けしてしまった。

 

なぜ、ずっと否定し続けてきたのに、

今後は急に「開き直り」に転じてきたのか。

 

その日は、こんなことを繰り返し言っていた。

 

「しょうがないじゃん、治らないんでしょ、

アスペルガーは」

「もう病気だからどうしようもないんだよ」

「もうだめなんだ、俺は」

 

どうした、夫。

 

急にアスペルガーと認め出す発言に、

私は戸惑っていた。

 

明らかにいい認め方ではなく、

「どうせ俺なんて」的なマイナス方向だった。

 

話を聞き進めると、

「俺、調べてみたんだよね」

「たぶん俺、アスペルガーなんでしょ」

「でも治らないんじゃん」

「どーしよーもないよね」

 

と、色々と投げやりに話をしてきた。

 

つまり、アスペルガーについてインターネットで調べたら、

治らないことがわかり、自暴自棄になっている、

というような状況のようだった。

 

 

 

その後、色々と話をしていたら、

突然頭を抱えて、

 

「わーーー!

 もう俺は無理なんだ!!

 だめなんだよ!!!!」

「ダメだダメだダメだ」

 

 

と叫び出した。

 

 

こ、壊れた…

 

 

 

いまどき、漫画から飛び出たように、

わかりやすく壊れる人がいるとは。

 

実際に、頭を抱えて「わー」ってやる人、

初めて見た。

 

そんな異様な光景を、私は引いて見ていた。

 

 

 

そのころから、少しずつ、

彼は自分が「アスペルガーかもしれない」

と、認めるフェーズに入っていったようだった。

 

かなり「アスペルガーアレルギー発症」的な

いい反応ではないが、

それでも変化が起こったことはいいと思っていた。

 

 

 

そんなある日、彼が仕事から帰って来るなり、

突然彼に、

 

「いつ病院行くの?」

 

と聞かれた。

 

私は彼の真意がわからず、

「あなたが予定をいつまでも教えてくれないから、

予約が取れてないよ」

と伝えた。

 

その時は、「ふーん」と言うくらいで、

話は終わった。

 

 

しかしその夜、彼がこんなことを話し始めて、

その真意がわかることとなった。

 

 

その頃、彼は職場で

最高潮にストレスを抱えていたらしかった。

 

何社もの取締役であり、

おまけに部長も兼任する部署があったりと、

彼のキャパを超えた仕事量をこなしていた。

 

人の3倍もの仕事量をこなしてきた彼も、

さすがに頭がついてこなくなってきたらしかった。

 

これまで「アスペルガー」という天才面が支えてきただろう

職場での天才的な能力を持ってしても、

立ちゆかなくなっていたようだ。

 

 

彼にとっては、

「能力が鈍ってきた」

「能力が衰えてきた」

と考えたらしい。

 

つまり、彼の人生で初めて、

「困っている」状態が訪れていた。

 

彼が言うには、

 

「もう会社の数や部署が多すぎて、

頭がついてこなくなってきたんだよね」

 

「これまでは覚えられていたのに、

だんだん記憶しきれなくなってきた」

 

「数字だけは得意だったのに、

その数字までわからなくなってきた」

 

「最近やっとわかったけど

会議で資料配られても読めないんだよ」

 

「だから俺、病院行きたいんだよ!!」

 

「わからないけど、薬かなんかで、

よくなるんだったらよくしたいんだ!」

 

 

ということだった。

 

数字で言えば、

これまで数百人の部下を持つ程度の規模では

やっていけていた。

 

しかし、数千人規模の部下を持つほどの規模になった今、

アスペルガーの性質ややりづらさを感じて初めて困っている、

ということのようだった。

 

 

彼には申し訳ないが、

私にとってはとてもいい出来事だった。

 

なにがいいって、

アスペルガー当人が、困っている」

ということだ。

 

アスペルガーの疑いがある当人に必要なのは、

自覚だ。

 

そして、自覚するためには、

当人自身が「困っていないと」自覚しようがない。

 

人生、順風満帆なのに、

アスペルガーだよ!」と他人から言われても、

受け入れられないものなのだろう。

 

彼がこれまでそうだった。

 

彼のこれまでの言い分は、

「俺、困ってないし」

「これまでも困ったことないし」

だった。

 

それが今回、初めて、

「俺、困ってるんだよね!」

と切々と私に訴えてきたのだ。

 

私にとっては、

ハイハイしていたベビーが立った、

くらいの感動的な変化だった。

 

 

心の中で「ガッツポーズ」しながら、

喜びを隠して彼の話をフムフムと聞いていた。

 

 

一応、9月半ばに病院の予約は取っている。

 

そこに、彼の予定がうまくはまれば、

ようやく病院に行けるかと思っている。

 

 

またいつ、

「やっぱり俺はアスペルガーじゃない」

と言い出すかわからないので、

早く病院に行かなければと思う。

 

 

アスペルガーのパートナーとうまくやっていく鍵は、

「診断を受ける」ことが第一らしい。

 そう痛感したのは、この本2冊を読んでからだ。

著者は両方とも、

マクシーン・アストンという海外のカウンセラー。

ずっと、この2冊の本について、

詳しく内容を紹介しなければ、とずっと思っている。

ずっとその時間が取れない自分がもどかしい。

とりあえず、読める方はこちらを読んでみていただきたい。

 

アスペルガーと愛: ASのパートナーと幸せに生きていくために

 

 

海外書籍の翻訳版だが、やはり日本より海外の方が

数段研究が進んでいると感じた。

 

書いてあるのは、診断の大切さ。

診断を受けたアスペルガーの夫婦と、

そうではない夫婦の差を、

表にして数値化しているところを読んで、

私は衝撃を受けた。

 

なんとしても、夫を診断してもらわなければ、

と思った。

 

日本の本は、表面的なことしか書いていない専門書や、

アスペルガー当人の体験記のようなもの、

また離婚したアスペルガー配偶者のものが多いように思う。

 

そうではなく、海外の本には、

アスペルガーの夫や妻と、具体的にやっていく方法」

を教えてくれるものが多い。

 

そういうものを読む方が、得られる知識は多い。

 

 

もう1冊は、アスペルガーの男性に向けて書かれているこの本。

 

アスペルガーの男性が女性について知っておきたいこと

 

私は、女性側が読んでも非常にためになると感じた。

 

本が読めるアスペルガー男性であれば、

実際に読んでもらうといいのではないだろうか。

 

アスペルガー男性が抱きがちな質問に答える形式の本だが、

例えば、

『17. 黙っていてもダメ、口を開いてもダメ。なぜでしょう。』

など、

お題だけで的をつきすぎてプッと笑ってしまうほどだ。

 

 

この本を読めば、いかにアスペルガーの傾向があるパートナーに

診断を受けてもらうことが大切か、痛感できると思う。

 

 

日々、離婚する離婚すると彼に叫んでいる私だが、

本当は、彼が診断を受け、自覚ができるようになり、

それでもうまくいかなかったら、決断しようと思っている。

 

本当は、なにがあっても、ケジメとして

そこまでは頑張る予定にしているのだ。

 

 

じゃないと、自分の性格的に、

 

「もしかして上手くやっていけたかもしれないのに、

途中で投げ出したのは私だったのではないか」

 

「診断を受けて、本人が自覚したら、

そこからうまくいったかもしれないのに」

 

と、後々後悔することになりそうだからだ。

 

もし、アスペルガー疑いのパートナーがいるのなら、

診断を受けるように、働きかけることをおすすめしたい。

 

その道のりは辛いが、

うまくやっていける希望がある方が、

現状維持で辛い日々を過ごし続けるより、

ずっといいと思う。

 

岩をも動かす気持ちで、

やっていきたい。

 

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経済的にアスペルガー夫から自立する大切さ

最近、実家に帰ったり母と旅行に行ったり、

更新ができなかった。

 

久しぶりの今日は、

最近痛感しているこの議題について書いてみたい。

 

 

アスペルガー夫から経済的に自立すること」

の大切さについて。

 

 

私は今、いわゆる「専業主婦」だ。

 

少し前までフリーランスである仕事をしたり、

少し働きに出たりしていたが、

今はある勉強のため、専業主婦をしている。

 

現在、通信講座を受け、フリーで在宅勤務をするため

せっせと勉強している。

 

もともと英語が好きで、わりと得意分野でもあるのだが、

昔からずっと考えていた「翻訳業」に就くため、

本格的に勉強をはじめた。

 

もともと働くのが好きで、

結婚前はバリバリと働いていた。

 

夫と同じ職場だったこともあり、

直属の部下と上司が恋愛しているという状態だった。

そういった状況で働きづらく、

結婚というタイミングもあり辞めた。

 

その後、フルタイムでは働かず、

アスペルガー夫との生活に悪戦苦闘していた。

子どもがほしいとも思っていたので、

フルタイムで働いて、すぐ妊娠してしまっては迷惑をかける

とも思い、本格的に働くことをやめていた。

 

結婚生活が難航し、夫のアスペルガーぶりを痛感するたび、

離婚を常に見据えながら、これまでやってきた。

 

そのたびに、いつも考えるのは、

「離婚後の経済的自立」についてだった。

 

今、仕事を辞めた自分が、もし離婚したとき、

経済面で困らないようにしたい。

 

もし子どもができて、そのあと離婚したら、

子どもをひとりで育てられる環境を作っておきたい。

 

結婚3年にして、いよいよ、本格的に備えに向け

動き出した。

 

それは、地震に備えて防災用品をそろえるように。

津波に備えて避難場所を入念に調べるように。

数日間食料がなくても生きられるよう、

シミュレーションするように。

 

備えあれば憂いなし。

 

逆に、備えていないと、不安でたまらない。

 

 

夫とけんかをするたびに、離婚を考える。

そのたびに、今思うのは、このことだ。

 

 

「早く、自立しよう」

 

 

今、通信講座で勉強し始めて4か月。

私が進みたい翻訳の分野は少し専門的で、

あと半年から1年は勉強が必要な分野。

 

しかし、私の意思は固い。

将来、彼に一切頼らず、経済的に自立しよう。

そう考えて、今一心不乱に勉強している。

 

夫の年収はかなり高いのだが、

いっそそれを超えてやろうと、もくろんでいる。

 

そうすれば、夫はなにも私に口出しできない。

 

「主婦は掃除するものだ」

「お金を持って帰ってきている俺は妻より偉い」

 

などという、彼の固定観念をぶち壊してやろう、

と思っている。

 

夫が私のモチベーションアップに貢献するとは、

皮肉なものだ。

 

しかし、これを「不幸中の幸い」と思うことにする。

人間、追い込まれないと、必死になれない。

 

今、なんだかんだいって、夫がいるおかげで

働かずに勉強に勤しむことができている。

 

いろいろな苦労の対価として、

この環境を最大に活用しようと思う。

 

いつか離婚するかもしれない、

という危機感が、私を自立に駆り立てる。

 

そんな状況に追い込まれ、

くしくも私は、また働くことになるだろう。

 

でも今度は、

これまでとは違う、「在宅」の仕事にシフトする。

その方が、シングルマザーとなったときには

やりやすいだろうという、ごく現実的な思考からだ。

 

 

今一生懸命頑張っている私を見て、夫は、

「あなたに養ってもらおう」

と、うれしそうに言ってくる。

 

私が頑張っているのは、あなたのためじゃないけどね。

そう思いつつ、コツコツとやっている。

 

すべては、一人でも生きていけるようにするため。

 

 

 

女性は、いろいろな面で不利だ。

 

妊娠すれば仕事を必然的に休まねばならず、

出産すれば子育てと両立した働き方をせざるを得ない。

 

会社に属せば、まだまだ男性優位の社会。

相変わらず、家事や子育ては女性の仕事という

意識も根強い。

 

そんな中、女性自体も、その社会に洗脳されてしまっている

ような気がする。

 

本来、やりたいこと、してみたい仕事。

いろいろなことを、気づけば諦めてしまうような。

周りの女性がこうだから、私もこんな感じでいいかな。

そうやって、周りの「当たり前な生き方」に合わせてしまう。

 

「旦那に食べさせてもらっているから、

ある程度我慢するべき」

 

「旦那がいなくなったら生きていけないから、

我慢してでも一緒にいる」

 

そんな、女性の「諦め」が充満しているように感じる。

 

でも、いつも思うことがある。

それは、

 

「女性は強い」

 

ということ。

 

女性は、力でこそ勝てないが、

男性より精神的には非常に強い。

 

男性は、とても弱い生き物だ。

それは、本人達が、よくわかっているだろう。

 

誘惑にすぐ負け、精神的にすぐダウンし、実は繊細。

それが男性だ。

もちろん、男性ならではの勇気や、大胆さ、自信という、

いいところもたくさんある。

 

しかし、女性は、我慢強く、強靱な精神を持ち、

非常に図太い。

 

本来、ちょっとやそっとじゃへこたれない精神力を、

女性は持っている。

 

そういった本来の強さが揺らぐのは、

生まれた家庭環境や母親の生き方、

社会で教えられ、植え込まれてきたことによる。

 

最近再放送された「逃げ恥」ではないが、

そうやって、女性にかけられ続ける「呪い」に

気づかず、縛られてしまっている。

 

本来、こんなに強い女性なのに、

「女性は弱い」と植え込まれている。

 

女性自身が「私は弱い」と

信じ込んでしまっている。

 

だから、

「男性に守ってもらおう」

「旦那がいないと生きていけない」

などと考えてしまうのだろう。

 

 

特に、アスペルガーなどの発達障害者を配偶者に持つ女性は、

気をつけなければならない。

 

そういった問題だらけの男性に「守ってもらおう」

と思うと、非常に危険だ。

 

その男性から、傷つけられてしまう可能性がある。

身体的な暴力ではなくても、

言葉や態度の暴力で。

 

発達障害者の男性に好かれる女性には、

ある特徴があるらしい。

 

それは、包容力があり、我慢強い女性だ。

 

「問題あり」の男性を、

前向きに、包み込もうと頑張り、努力する。

 

そんな女性は、本来とても強い。

 

もし、

「私なんて」

「彼がいないと不安」

「自分に自信がない」

「次にいい男性に出会えるかわからない」

と思っている女性がいたら、

自信を持っていただきたい。

 

 

彼がいなくても、

絶対に生きていける。

 

今の彼と別れても、

絶対もっといい人に出会える。

 

ひとりぼっちになっても、

必死になれば絶対生きていける。

 

 

私は、そう信じている。

 

 

今、新婚でも、子育て中でも、子が巣立った後でも、

女性は強い。

 

やって、できないことは、一つもない。

 

もし、できないことがあるとしても、

自分だけは自分を信じてあげなければ、どうしようもない。

 

 

自分の強さと可能性を信じる気持ち。

 

それが何より大事だと思っている。

 

 

同じように、

発達障害者をパートナーに持ち悩んでいる方は、

まずは自分を信じていただきたい。

 

自分が思っているより、

あなたはずっと強いということを。

 

そう思えないのなら、誰かに「弱い」と

植え付けられているだけだ。

 

 

アスペルガーから自立しようと思えば、できる。

 

別れたり離婚して、

自立しようという意思を持ってはじめて、

やり方が浮かんでくる。

 

アスペルガーを配偶者に持つ方は、

自立する方法を探す必要があると思う。

 

「いつでも彼から離れられる」

という自信が、彼らと生きていく上では必須だ。

 

アスペルガー当人に依存している限り、

いい結果はないと思っている。

 

アスペルガー本人も、

「俺のことを頼っているんだな」

「俺がいないと生きていけないんだな」

と思えば、上から目線で接してくるだろう。

 

彼らも賢いので、

相手の弱さにつけ込んでくる。

 

自分が何を言ってもやっても受け入れてくれる、

許してくれると学習すれば、

ずっとやってくる。

 

 

決して、やられっぱなしではだめだ。

 

「私が我慢すればいい」

「自分が犠牲になればいい」

 

そうやって自分を虐げる考えだけは、

持ってはいけない。

 

そういった「自虐」のにおいを

アスペルガー達は嗅ぎ取って、攻撃してくる。

我慢してくれると、学習させてはいけない。

 

 

「私はこういう理由で自立できない」

という方がもしいたとしたら。

 

絶対、できるはずだ。

 

できないと、思い込んでいるだけ。

具体的な方法を、必死で考えたことがないだけだろう。

 

少なくとも、

「できるかもしれない」という視点で考えなければ、

浮かぶアイデアも浮かんでこない。

 

人間には、必ず得意なことや、好きな分野がある。

好きだと思うことから、始めたらいいと思う。

 

何かやって、うまくいかなければ辞めればいい。

また次に何かにチャレンジしたらいい。

 

 

私はこれまで、

さんざん色々な分野の仕事や趣味に手を出してきた。

 

夫はそれを、

「一時のブーム」と言い、ばかにしてきた。

 

私は、何にしても、真剣に向き合ってきたのだが、

「継続」がモットーの彼にとっては理解不能の行動

らしかった。

 

少しかじっては辞め、また次のことをして、

時に長く続き、時に少ししか続かず、とやってきた。

 

そんな私が今勉強していることは、私にとって

「一生涯の仕事にするため」

にしていることだ。

 

だが、彼には

「またブームが来たね」

としか思われていない。

 

私は、そんな言葉、全く気にしない。

 

なぜなら、いろいろ挑戦してみないと、

なにがやりたくないことで、なにが一生涯したい仕事なのか、

わからないと私は考えているから。

 

今勉強していることは、

本当に楽しくて、わくわくして仕方がない。

 

今までいろいろなことをやってきたから見えてきた、

「一生涯したいと思える」仕事なのだ。

本当にやりたいことを見つけることができた。

 

人生で、無駄なことは一つもない。

 

「今に見てろよ」

と思いつつ、楽しみながら進めている。

 

 

 

自立する勇気。

挑戦する勇気。

変わる勇気。

 

 

必要なのは、現状から一歩踏み出す、勇気だけ。

 

「呪い」により一歩が踏み出せない方がいたら、

一緒に歩きましょう。

 

一歩、一歩。

 

カメのような歩みでも、前に歩く限り、

目標に絶対辿り着くことができる。

 

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アスペルガーとの結婚で大事な「自分を守る」「助けを得る」

少しだけコロナも落ち着き始め、

徐々に日常生活に戻りつつある方々も多いだろうか。

 

 

今日は、アスペルガーの配偶者と結婚生活を営む上で大事な、

「自分自身の心身の健康を守る」ことと、

「助けを得る」ことについて書いてみたい。

 

 

 

まず、コロナにおけるアスペルガー夫の近況と、

小さな喧嘩について。

 

我が夫のコロナ禍における状況は、割と穏やかなものだった。

 

いつも月一しか仕事を休まない彼。

彼は会社の管理職なので、自分で自由に休みを入れるべき立場。

なのに、忙しいという理由で、365日中350日ほど働く日々だった。

 

ビフォーコロナは、そうやって毎日毎日仕事に明け暮れ、

そのストレスを家に持って帰ってはまき散らしていた。

 

なぜ休めないか。

それは、アスペルガーは、計画性がないから。

先のことを見通す想像力に欠けるため、

前もって休みを入れて管理することができない。

いくら私が彼に

「前もって休みをスケジュールに組み込んだ方がいいよ」

「身体壊しちゃうよ」

と諭しても、絶対にできない。

 

でもコロナで必然的に休めることが多くなり、

ストレスが多少なりとも減ったのだろう。

 

よく睡眠もとれ、ストレスを家庭でまき散らすこともなく、

おかげで割りと平温な日々を過ごしていた。

 

でも、6月から仕事が本格的に再開し、

さっそく6月1日に家で小さな事でキレだし

早速喧嘩が勃発。

そして今に至っている。

 

困ったものだ。

このブログに書くまでもないほど、本当に小さなことだ。

 

彼が一生懸命作ったカレーが発端。

作っている過程で、彼は私に何度も何度も味見を強要する。

味が心配なのではなく、

自慢の味をその都度私に味あわせたいらしい。

 

「もう、わかったから」

と嫌がる私に、何度も「味見してよー!!」と強要。

 

子供か。

 

あんまりしつこいので、イヤイヤ味見をした私に、

彼はイラッとしたようだ。

そして、その後プリプリと怒っていた。

「俺のことをばかにした」となったらしい。

 

 

そうやって小さなことで怒っていた彼に、

私は容赦なく100倍怒り返した。

 

 

「そんな小さいことで怒って…

家庭に不穏な空気を持ち込むな!!!」

 

「会社で小さいことでそうやって怒るの?

 会社でやらないなら、家でもやらないで!」

 

 

そうやって、散々怒り返されると、

必ず逆ギレしてくる。

 

「怒ってるのはあなたじゃん!」

「俺は怒ったりしてない!」

「俺をばかにするからだ!」

 

 

こうやっていつものパターンで、

私が悪いことにしようとする。

自分が責められたら、

まずは自分を守るために相手を攻撃するのだ。

 

 

私は黙っていないので、

また思う存分怒り返す。

 

 

「人のせいにしないで!」

「素直じゃないよね!」

 

 

彼が反撃し、

私が炎上して手に負えなくなったら、

ようやく彼は謝罪モードに入る。

 

不服そうに謝る彼。

 

「気をつけますぅーーー」

「もういいじゃんーーー」

「仲良くしようよーーー」

 

 

謝り方は、ただひたすら、

 

小学生。

 

 

そうして、また私は怒り続ける。

 

 

「謝るならまず最初から謝って」

「一旦私を責めてから謝っても遅いよ」

 

 

そうやって彼にあれやこれや言うと、

次はだんまりモードに入る。

 

なにも話さなくなり、

打ち上げられた魚のように

死んだ目でぼーっとしている。

 

 

アスペルガー夫との日常は、

こんな超がつくほどしょうもないことで喧嘩になり、

炎上する。

 

いつも、喧嘩の発端は思い出せないほど小粒なのに、

炎上後の被害がひどい。

 

いつもいつも。

割に合わない喧嘩ばかりだ。

 

 

私の日常はこんな日々だ。

大したことのない小さな障害物が、

永遠に長く続く障害物競走のよう。

 

その障害物を一つ一つ超えていくこと自体は、

そこまでの大ごとではないのだが。

その小さな障害物がいつまでもいつまでも、

ずーーっと立ちはだかる。

そこが、なにより疲れるポイントなのだ。

 

終わりのない障害物競走に、

走っては止まって、ため息をつく。

泣いて、怒って、

たまに楽しいことがあって笑い、

また泣いて、怒って。

たまに立ち止まって、先のことを考える。

 

そうやって、日々過ごしている。

 

 

でも、みなさんからいただくコメントでは、

もっと大変な日々を過ごしている方々も多い。

 

 

 

私がこのアスペルガー夫とまだ別れていないのは、

第一に、「暴力」がないことだと思う。

 

ここは、重要視している。

 

自分の身体を傷つけられるようなことは、

一度もない。

 

暴力を振るう男であれば、即離婚する。

それは、アスペルガーであろうとなかろうと、

一緒だ。

 

 

そうやって暴力やモラハラなど、

程度がひどいアスペルガー配偶者はたくさんいると思う。

 

 

そういう時は、どんなときでも

「ご自身の心身の健康」を第一に考えてみてほしいと、

個人的に強く願っている。

 

 

日本人は特にだと思うが、我慢強く、忍耐強い。

自分を犠牲にしても、

他人のために生きようとする民族性かもしれない。

 

結婚がある程度、我慢や忍耐が必要だとは承知している。

 

ただ、心身の健康を壊すほどの辛い状況であれば、

我慢し続けてはいけない。

 

割れた花瓶を元に戻すことが難しいように、

心がバラバラになってしまったら、

元に戻るのに相当な時間と労力がかかる。

 

バラバラになる前なら、まだ間に合う。

気づいたら、精神が壊滅的な状態になる前に。

 

我慢しすぎないでほしい。

 

日本はまだ、欧米のように

「夫婦カウンセリング」に通う文化など、

夫婦間の問題を第三者に話せる環境が整っていない。

 

「普通の」夫婦ですら、悩みを相談する場所がない。

 

発達障害者を配偶者に持つ夫婦は、

「普通の」夫婦より、抱える問題が多いはずだ。

 

三者の助けは、必須なはず。

 

なのに、誰にも相談できずに苦しんでいる人は

山ほどいる。

 

このブログがその「第三者」の役目を、

少しでも果たせるといいとは思う。

 

ただ、直接会って話を聞いてもらったり、

電話で相談できるところがあったり、

そういう環境が少しでもあるのとないのとでは、

心の平穏度合いが違う。

 

 

私には、アスペルガー疑いの夫にまつわる諸問題を、

母にも話せる。

聞いてくれる友人も近くにいる。

グループメールで話し合える遠くの友人達もいる。

 

そういう環境が、私を助けてくれている。

 

地元の発達障害センターに電話をし、

相談に乗ってもらったこともある。

その時も、いざとなればこうやって専門的に

聞いてもらえる所があると知り、心強かった。

 

 

でも、私のように周りの人々が理解してくれない環境も

多いと思う。

 

親が理解してくれない場合は、特に辛いはず。

 

でも、そんなときこそ、

三者で相談できる誰かを、見つけてほしい。

 

人によっては、自分の配偶者がアスペルガーだとか、

ADHDだとか、言うこともためらう人もいると思う。

 

でも、なにより「言葉に出して話す」と楽になる。

愚痴でもなんでも、いいと私は思う。

私は、どの友人にも、

「夫はアスペルガーだ!!」と言いまくっている。

その方が、これから友人と話をする時に、

話が通じやすい。

 

みんな親身になって、話を聞いてくれる。

その友人達に、本当に感謝している。

 

 

地元から遠く離れて、

なんでも話せる友人が近くにいない人もいると思う。

 

 

私も、地元から離れた土地に住んでいる。

 

とても孤独だったが、だんだんと友人も増えてきた。

 

子育てや仕事など、諸事情はあると思うが、

何らかの方法で友人作りに励むとよい、

というより、友人を作ることは必須だとすら思う。

 

 

私の場合はアルバイトをして、

多くの素晴らしい友人ができた。

たった8か月で辞めたのだが、

友人を得るためにはとっても有意義だった。

その友人たち全員にも、

「夫がアスペルガーみたいで…」と話している。

 

そうすると、

「私の子供がアスペルガーと診断されて…」

など、似たような話も飛び交う。

「この本がいいよ」とか、

「ここの病院に行ってるよ」とか、

プロテインを飲ませてる」とか、

そういった情報交換もできて、とてもありがたかった。

 

 

 

一番危険なのは、

誰にも相談できず、一人で思い詰めて、

行き詰まってしまうこと。

 

希望が見いだせなくなって、

マイナスの方向にばっかり考えてしまうこと。

 

自分を責めてしまうこと。

 

 

 

ひとりぼっちで、思い詰めて、

明るい未来を見通せるようになることはない。

 

 

 

この世で、

 

自分の命や健康ほど、大切なことはないはずだ。

 

 

自分の命より、

子供の命の方が大事だという考えもあるだろう。

 

 

子供の命や健康ももちろん大事だ。

ただ、それでも、

一番に考えることは、自分のことだと思う。

 

 

「自分は不幸でもいい」

「自分さえ犠牲になればいい」

 

 

こういう考え方は、すぐに捨てなければならない。

 

こういう考え方は、周りの幸せを願っているようで、

周りを不幸に導く。

 

なぜなら、

「本当は、私は不幸です」

と言っているようなものだからだ。

 

いつも怒っている人のそばに居て、

幸せな気持ちになれないのと同様に。

 

いつも不幸な人のそばに居て、

幸せにはなれない。

 

だから、自分の愛する誰かのために、

自分は幸せでいないといけない。

それは、権利ではなく、義務だとすら思う。

 

 

 

 

自分を幸せにできるのは、自分しかない。

 

誰かが、自分を幸せにしてくれるのではない。

 

 

 

 

 

 

このブログでは、

日々アスペルガー夫と奮闘する日々を書いている。

 

私にとっては、

 

ほんきの「日記」だ。

 

 

アスペルガー夫の生活は戦いの日々だが、

それをネタにしつつ、このブログを書いている。

 

つまり、まだ彼をネタにして、

うまみをいただいている。

 

そうやって、持ちつ持たれつ、やっている。

 

 

彼とまだやっていけているのは、

なんだかんだ、私も楽しいからだ。

 

喧嘩している時以外は、

それはそれは

「仲良し夫婦」そのもの。

 

話をして笑い合い、

旅行に行っては笑い合い、

時に大笑いし合う。

トランプで遊び、ジェンガで遊び、

いつまでも一緒に遊んでいる。

そんな仲だ。

 

喧嘩のネタばかり書いていると、

相当私が不幸だと思わせてしまうかもしれない。

 

でも、そうでもないのだ。

 

日記に、なにもない日常を書きようがないのと一緒で。

何か出来事があったから書く。

それが、大体は喧嘩の内容だ。

 

 

 

自分で線は引く。

 

 

自分が本当に「不幸」への道に入りそうになれば、

彼との関係は終わらせる。

 

 そう、決めている。

 

 

 

 

余談だが、

最近の「誹謗中傷」問題について。

このブログにも時々おかしなコメントが届く。

下記のような完全におかしなものや、

マイナスオーラのあるコメントは、

残念ながら承認していない。

 

 

そのコメントにも、大まかに二種類がある。

 

 

一つは、「精神的に病んでいる人」のもの。

 

特徴は、言葉が荒い。

ただ人を傷つけたいのだろうとわかる言葉を並べ立てる。

ちらっと見るだけでわかるほど「いたいたしい」ので、

読みもせずにゴミ箱に入る。

相当、心がすさんでいるのだなぁと哀れに思う。

 

今の流れを見ていると、何年後かに、

彼らのコメントが遡って罰せられる日が来るのだろう。

 

例えば1つのコメントにつき、将来20万円の罰金が科せられたら、

破産してしまうだろう。

あらゆるところにコメントしているだろうから。

ましてや前科がつく時代になれば、

その人はもう立派な「犯罪者」だ。

 

昔あった、某消費者金融会社みたいに、社会の風行きが急に変わって、

過払い金請求がドッと押し寄せて倒産してしまうようなものだ。

今はよくても、将来法律が変わったり、裁判で新たな判決が出た時、

突然転落することがある。

その怖さやリスクを承知してやっているかどうか。

いつか自分に返ってくるというという、恐ろしさを。

 

 

二つ目は、「自分が不幸な人」。

 

「自分がこうこうで不幸なので、早く別れた方がいい!」

「子供は産むべきじゃない!!」

など、正論と見せかけて、

自分の不幸を憂さ晴らししている。

 

私が夫と別れても、子供を産んでも、

その人たちの生活に変わりはない。

 

ただ、自分の不幸を、ぶつけているだけだ。

哀れだと思う。

「私は不幸なんです!」と叫んでいるようにしか、

読み取れない。

そんなことをしていても、不幸により進んでいくだけだ。

 

この二つ目の方々は残念ながら、

自分が正しいと思っている。

正義感から、「言ってあげている」のだ。

そこが悲しい。

あなたの正義で世の中を裁いても、

苦しいのはあなた自身だろう。

世の中は、

いくら声を上げても思い通りにならないのだから。

 

 

 

 話がそれたが、

このようなコメントは百ある内の一つほどで、

コメントを読めば

「素敵な方だな」

「頑張り屋さんの方なんだな」

「綺麗な心をお持ちなんだな」

と、私の心が癒やされるものも多く、

感謝しながら、読ませていただいている。

 

 

そんな方々にとって、つたないこの一「日記」が、

一ミリでも何かの役に立てるよう、

これからも書いていきたい。

 

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レビュー『一緒にいてもひとり』アスペ夫との実体験から学ぶ

アスペルガー の配偶者や彼氏彼女をお持ちで悩まれている方は、

何冊か発達障害関連の本を読まれているかもしれない。

 

私も、その一人。

 

今日は、ある本を読んだ。

 

 

特にアスペルガー配偶者との夫婦関係で悩まれている方に

参考になるこの本を紹介したいと思う。

 

 

題名は、

一緒にいてもひとり―アスペルガーの結婚がうまくいくために

カトリン・ベントリー著

一緒にいてもひとり―アスペルガーの結婚がうまくいくために

 

実はこの本、

ずっと前から存在を知っていながら読んでいなかった。

アスペルガーの夫を持つ人は必読の書。

そう聞いていながら、なかなか手が出せなかった。

 

なぜなら、題名がさみしい。

 

アスペルガー夫と暮らすということは、

 彼と一緒に過ごしていても一人で生きるということです」

 

題名からすでに、そう言われている気がしてならなかった。

 

でも、日本でアスペルガー結婚について、

実際に上手く行っている例を書いた本が見当たらなかった。

 

日本では、みんな失敗している?

海外のようなアスペルガー研究が進んだ地でないと、成功しない?

 

日本の本ではそんな状況なので、

いつかはこの本を読もうとずっと温めていた。

 

きっと、海外のこの夫婦の例を読めば、なにかわかるかも。

そんな淡い期待をずっと持ちつつも、この本と距離をとっていた。

 

 

そして、ついに今日、この本を手に取った。

 

なぜなら、またここ数日、

夫と些細なことで喧嘩をしていたからだ。

 

こんなとき、

私はなにか心の拠り所を探して本を読む。

 

 

 

さて、この本を読んでまず一番に思ったこと。

 

 

「題名ほどさみしい内容ではない」

 

一緒にいてもひとり。

 

実際は、そんな暗い内容ではなかった。

英語を学ぶ端くれとして、題名の訳し方に少し疑問が残るような。

が、そんなことは置いておいて。

 

アマゾンレビューなどを読んでいても、賛否両論な本書。

 

読み手の状況や考え方、価値観によって、多いに評価が別れる本だ。

 

なぜなら、描かれているアスペルガー夫が、酷い。

そしてその夫を支える妻が献身的すぎて見習いきれない。

 

読み手が、向上心が強く、ポジティブ思考なら、共感できる。

反対に、慎重派で、現実思考なタイプなら、酷評しそうだ。

 

 

内容は、

アスペルガー夫と結婚した女性の結婚実体験を記したもの。

 

 スイス人の女性がオーストラリア人の男性と結婚。

 結婚後すぐに夫の言動行動に不可解な点が多く、喧嘩がたえない。

 国際結婚が原因かと思っていたが、どうもそうでもなさそうだ。

 なぜこんなに喧嘩ばかりなのか、理解に苦しむ。

 子供が2人生まれるが、夫の理解なき行動に悩みながら子育てに奮闘。

 その葛藤の日々を17年続け、ようやく夫がアスペルガーだと気づく。

 診断を受け、夫と自分との違いをお互いが深く理解しあうことにより、

 今では幸せな生活が営めるようになった。

 

こういう、希望的な内容だった。

 

 

しかし、妻のカトリンが描く、夫の非情な言動行動。

読んでいるこちらまで、かなりしんどい内容だ。

 

例えば出産に関わるこんなこと。

 

・陣痛で苦しんでいる妻を前に

 「そんなに痛いはずない。退屈。」と言う

 

・生まれたばかりの子供を手渡され、

 うれしそうに空中に投げて遊び出す

 

・縫い目が痛んで早く歩けない妻に

 もっと急げないのかとイライラする

 

など。

 

他にも多数のひどいエピソードが優しく添えられている。

 

こんなひどい夫を、

「彼のせいではない。アスペルガーというもののせいだ」

「彼はわるくない」

と説明する妻。

 

この考え方に、賛否両論が巻き起こる。

 

そんなひどい夫を大きな包容力で包み込む。

そんなこと、一体だれができると言うの?

 

そういう声も聞こえる。

 

 

でも、こう思う。

 

17年間苦しんできたのなら、

そういう境地に至ってもおかしくないのでは。

 

私はまだうちのアスペルガー夫と結婚して3年。

それでも、すでに自分の精神面が強くなっているのを

多少なりとも感じる。

 

その約6倍、試練を乗り越え続けた先には。

 

どんな冷たい滝に打たれ続けるより、

厳しい試練の数々だっただろう。

 

仏の境地に行くために滝に打たれ、断食するのなら。

 

アスペルガー夫と夫婦生活を過ごすというのは立派な試練。

 

17年やれば、

この著者の女性のような境地に行けることだってあるだろう。

 

 また、20年、30年頑張っても、

こんな境地にはとうてい行けない場合もあるだろう。

 

それもそれで、環境と症状の具合と育ってきた環境が重なり、

人それぞれ。

 

ただ、たまたま上手くいったパターンがこの本に綴られているだけだ。

 

 

 

私は、読んでいてとてもありがたく思った。

 

少なくとも、

アスペルガー夫と上手くいくことができている例がある。

 

それだけですでに、ありがたかった。

 

 

 

彼女はこんなことを書いている。

 

今では、彼がアスペルガーだということを忘れるほどだ、と。

 

診断を受け、お互いの違いを理解したこと。

彼が行動の仕方を工夫するようになったこと。

そうやって、今ではうまくやっている。

 

 

また、関係改善のためには、診断は不可欠だと思う、

とも書かれていた。

 

まだ日本では診断が容易にできる環境ではないが、

それでも、参考になると感じる。

 

三者の意見をアスペルガーが聞き理解することで、

アスペルガー自身が改善に取り組む可能性がある。

 

 

私も、夫を病院に連れて診断してもらおうと計画している。

地域の発達障害センターに電話相談をし、

インターネットで検索し。

 

ここならいいかも、という病院の目星は付け終わった。

 

問題は、2ヶ月後の診察予約しか取れないこと。

 

目先の予定がまったく立てられないアスペルガー夫に、

2か月後のある1日を空けておいてもらうことができるのか。

 

その病院に問い合わせして、

「2か月後の予約、入れておきましょうか?」

と聞かれたときは、思わず一旦お断りしてしまった。

 

その後、夫にこういう病院があること、

2か月後の予約を取ったら、その日を空けてほしいこと、

そういうことを伝えてみた。

 

意外と、「いいよ」と言ってくれた。

多少、ストレスを感じてそうだったが。

 

 

そこから、まだ予約を取っていない。

 

この本を読んで、

「あぁ、そうだ。病院予約しないと」

と、また、荷が重い作業に背中を押してもらった。

 

アスペルガー夫を診断のために病院に連れていく。

 

こんなお互いストレスマックス確実な作業を、

どこかでやりきらないといけないのだろう。

 

 

 

また、著者がこう書いていたのに、

改めてハッとさせられた。

 

アスペルガー 的行動のいくぶんかは単にストレスの結果」

 

この本の中で、

アスペルガーがいかに日頃ストレスを抱えているかが書いてある。

 

人の何倍ものストレスレベルで生きる彼らは彼女は、

ちょっとしたことですぐ爆発し、他人に怒りをぶつける。

 

定形発達の人間のストレスはコップに1/4だけ入っているとしたら、

アスペルガーのストレスはコップに3/4入っている。

だからすぐにあふれてしまう、と。

 

川で言ったら、洪水前の災害直前レベルだろう。

常に、携帯に災害速報がピーピー鳴っているような状態。

 

それが、アスペルガーの日常だと思うと、

なんとも考えさせられる。

 

著者の夫が言うには、

「心がくつろいでいるときがほどんどなく」

「神経は常にサバイバルモード」

だと言う。

 

うちの夫に照らし合わせても、

わかる、わかるの連続。

国境を越えて、アスペルガーの症状に大差はないらしい。

 

 

 

 

この本は、ある海外の女性とアスペルガー男性の夫婦間の話だ。

 

当然、日本人の私たちが手放しで参考にできるものばかりではない。

 

専門家の質や、情報量の豊富さ、支援の得られやすさなど、

違いは多いだろう。

 

 

また、アスペルガー夫が、この本の男性のようにすんなり自覚するか。

この本における「うまくいく」前提は、夫の自覚にある。

 

では、夫の自覚が得られない場合、うまくいかないのか。

それとも、その場合でもうまくいく術があるのか。

 

その質問の答えは、この本には書かれていない。

 

 

でも、少なくともアスペルガーのパートナーと、

「うまくいきたい」と願う人は、一読の価値はあると思う。

 

アスペルガー症候群の症状なども再確認するのにいい。

(ホワイトボード的態度=

 ある最初の情報が消えないインクで書かれる、

 などの説明が興味深いので読んでみていただきたい)

 

また、口論の収め方など、具体的な方法論も興味深い。

 

 

なにより、

どんな内容でも、実体験ほど助かるものはない。

 

専門家がいくら

「ひどいアスペルガーでも我慢することが大事」

と説いても、現実味もなく、机上の空論に感じる。

 

でも、実際に体験した本人が、

「私はこんなことをして、関係改善したよ。対処法はこうだよ」

とアドバイスしてくれれば、聞く気にもなるものだ。

 

 

こんな時代だからこそ。

 

手に入れられる情報はなんでも仕入れ、参考にする。

 

その情報を取捨選択しながら、使えそうなものを使う。

 

いろいろ、試してみる。

元気な限り、頑張ってみる。

 

どれだけ頑張ってもダメなら、諦める。(別れる)

 

 

そんなスタンスで、これからも積極的に情報収集に努めたい。

 

変わらないアスペルガー、少しだけ変える自分

nanaさまにいただいた素敵なコメントからヒントをいただき、

今日はこのテーマについて書いてみたい。

 

 

アスペルガー夫を変えるか、自分が変わるか、別れるか」

 

 

発達障害の配偶者を持つ方なら、必ず当たる壁ではないだろうか。

 

相手を変えることはできるのか。

できなければ、自分が変わるしかないのか。

それとも、別れるべきなのか。

 

 

 

このテーマに関して必ず通る道として、

第五ステップに分けるとこういう感じかと思う。

 

 

 

第一ステップ

 

アスペルガー夫を変えようと頑張る」

 

第二ステップ

 

アスペルガー夫が変わらないことを知る」

 

第三ステップ

 

「自分の考え方を変えようと努力する」

 

第四ステップ

 

「それでも腑に落ちなくて、別れようかと別れる」

 

第五ステップ

 

「別れる」

または

「我慢して付き合い続ける」

 

 

こういう道を辿る過程で、皆、気づくのではないだろうか。

 

まずもって、アスペルガーは、変わらないことを。

 

 

残念ながら、「障害」なのだ。

病気のように、治る、治らないという次元のものではない。

 

一生付き合っていく必要がある「特性」だ。

ただ、「マシ」になる可能性はある。

 

でもそのためには、彼らにこちら側が身を削って、

「教え込む」必要がある。

 

彼らは、自分が持っている「データ」を頼りに、行動している。

 

「人が目の前で泣いていたら、大丈夫と声をかけなさい」

 

こういうデータを、

過去に親や先生などからインプットされていたかどうか。

それ次第だ。

このデータがなければ行動できないし、

データがあればそれに沿って行動できる。

 

データをたくさん教え込まれて育っていれば、かなり「マシ」だろう。

でも、これまで、自分の子供が発達障害だと気づくケースは少なかった。

近年、だんだんと「発達障害」という分野について、

少しずつわかってきただけで。

本来、未知の領域なのだ。

研究も進んでいなければ、今だにわからないことだらけ。

 

そんな未知の分野の、未知な特性について、

しっかり知っていた親も、先生も、いなかった。

 

だから、今世の中にいるアスペルガーの人たちも、データの蓄積が弱い。

 

親が、しっかり教え込むべきだったかもしれないが、

そんなことは難しかっただろう。

 

そうやって「少し変わっている」と思われるだけで、

スクスク成長してきたアスペルガーの人々。

結果、大人になり、恋愛や結婚で、

相手が困る行動を惜しげもなくとり続け、相手を困惑させる。

 

 

相手が怒ってても、なぜ怒っているか理解できない。

なんて声をかけていいのかもわからない。

 

相手が泣いていても、なぜ泣いているか理解できない。

慰め方もわからない。

 

 

だから、パートナーは、一緒になってから、

まず一番に「アスペルガーを変えようと頑張る」ことになる。

 

 

「悪いことをしたら、ごめんなさいって言うんだよ」

「人が痛がっていたら、心配する声をかけるんだよ」

「太った?とか女性に言うと傷つくから、言っちゃだめだよ」

 

 

こうやって、事あるごとに、根気強く教え込んでいく。

 

でも、次の日には、またびっくりするようなことをやらかしてくる。

がっくり肩を落としながら、それでもまた、根気強く教え込む。

 

「物を投げちゃいけないよ」

「人にプニプニだね、とか言わないの」

「ゴミが落ちたら拾うの」

 

こんな、当たり前のことを、必死で大の大人に教え込むことになる。

 

 

気分は、幼稚園の先生。

 

 

なんで、こんな当たり前のことを知らないんだろう。

小学生でも知ってるはず。

 

そんなことを、やられては、こちらが発狂する日々だ。

 

 

そうしているうちに、気づく。

 

 

 

アスペルガーは、変わらない。」

 

 

 

 

ただ、マシにはなるようだ。

 

でも、マシになるためには、

こちら側の無償の愛が必要だ、とも気づく。

 

何度嫌な思いをさせられても、耐える忍耐力。

何度も何度も、同じことを言い続ける根気。

何度も泣いても、一緒にやっていこうと思う精神力。

 

 

そして、アスペルガー夫を持つ妻は、皆思う。

 

 

「母親にはなれない」と。

 

 

私も、何度彼に言っただろう。

 

「私はあなたの母親じゃない!!!」と。

 

そして、ある日限界を迎えて、こう言うのだ。

 

「もう、別れる!!!耐えられない!!」

 

 

 

こんな日々を、毎日毎日、私は続けていた。

 

 

そして、数日前、こんなことを言われた。

 

そして、私はまた発狂した。

 

 

それは、金銭感覚がない彼に、節約を促した時だった。

 

お金のことを言われるのを極度に嫌う彼は、

あきらかに不機嫌に顔をゆがめていた。

 

そしてこう言った。

 

 

 

 

「働いてるのは俺じゃん。」

「お金持って帰ってきてるのは俺。」

 

 

 

 

 

この言葉に、私はプチンと発狂した。

 

 

 

「…一体、どういう意味で言ったの?」

 

明らかにキレている私を見て、彼はだんまりを決め込んだ。

 

 

「だから、どういう意味って聞いてるんだけど」

 

 

ますます怒る私に、だんだん彼の顔が正気に戻ってきた。

 

まずいことを言ったかもしれないと悟ったのだろう。

 

もごもごしながら、

「いや、そういう意味じゃない」

と、何度も繰り返した。

 

「じゃぁどういう意味なの!!」

更に怒りに震える私。

 

「俺が食わせてやってるってやつ??」

「あなたは昭和に生きてるわけ??」

「どんな古い人なの???」

矢継ぎ早に問い詰める。

 

ますます彼はもごもごと、

「えぇ…そういうことじゃない」

と、何も言えずに、謝罪モードに入ってきた。

 

「ごめん」

 

今度は、謝ればなんとかなるかもと、謝ってくる。

 

「何にごめんなの!??」

と聞いても、無言。

 

しまいには、こんな呆れたことを言う。

 

「そんなこと言ってないと思う。」

 

最後には、なかったことにするのだ。

 

アスペルガーめ。

いつも記憶の改ざんがすさまじい。

 

どうしたら、言ったことを、言ってないことにできるのか。

その頭の構造が、理解できない。

 

もうそうなると、いくら話し合ってもなんともならない。

 

もう、なんの回答も得られない追及はやめにした。

 

こちらも、ここは諦めの心を持つ以外にない。

 

でも、こういう言葉、妻は絶対忘れない。

 

「夫に言われて恨んでいるランキング」に追加する。

 

 

 

 

 

 

しかし、そんなことがあって、ふとこう考えることがあった。

 

 

 

「自分が今されていることって、

 自分が過去にしたことなのかもしれない」

 

 

 

20代のどこかで聞いた話を思い出した。

 

 

嘘か本当か、わかる人はいないだろうが、

人間は、何度も生まれ変わっているという輪廻転生の話。

 

その話の大筋は、こうだった。

 

何百年も、何千年も前のどこかで、

自分が人にした酷いことというのは、今返ってきている。

それを、「因果」という。

 

人は、少しずつ成長しながら、生まれ変わりを繰り返す。

 

自分には、相当人に酷いことをしていた時もある。

それが、生まれ変わったら、因果として返ってくる。

でも、それに耐えられる時までは、返ってこない。

何度も生まれ変わりながら、耐えられる今世に、返ってきている。

 

 

 

そんな話を、ふと思い出した。

 

私は、そんなにスピリチュアルを信じる方でも、信じない方でもない。

 

 

でも、もしそうだとしたら。

 

今、私が苦しんでいることは、もしかして、

過去に自分がだれかにしてきたことだったとしたら。

 

そのときに相手がどれだけ苦しかったか、今学んでいるのだとしたら。

 

 

そんなことを考えてみた。

 

そうしたら、被害者意識ばかり持っていられない。

そんなことを感じた。

 

 

また、今一緒にいる配偶者、親、そういう身近な人は、

過去でも同じように繋がりが深い人だった、

ということも聞いたことがある。

 

そうすれば、今私を苦しめているアスペルガー夫は、

過去のどこかで、私が苦しめていた相手なのかもしれない。

 

 

例えば、過去に私が夫側で、彼が妻側だったかもしれない。

その時代、私は大変な亭主関白で、

妻にひどいことばかりしていた人間だったのかもしれない。

 

 

そんなことを想像した。

 

 

もしそんなことがあるのだとしたら。

 

今の夫の姿は、過去の私の姿だったとしたら。

 

 

恐ろしいと思った。

 

 

そうしたら、怒ってばかりもいられないと思った。

 

 

 

そう思ったとき、少なくとも自分に今できることは?

こういうことだと思った。

 

「自分は今後絶対、こうやって人に酷い言葉をかけない。

 人を傷つけることはしない。」

 

苦しめられているからわかる。

自分がされて嫌だったことを、人にしないこと。

そのことを、しっかり心に留めること。

 

 

もし因果というものがあるのなら、因果を残さないこと。

 

 

苦しみの連鎖を断ち切ること。

自分で終わらせる、という意識を持つこと。

 

 

もしここで、

「ひどい!自分は被害者だ!」

と思っていても、何も解決しないのだろう。

 

 

「人一倍苦しんでいる分、人には苦しい思いをさせない」

 

 

そう思うこと。

これくらいは、できるかなと思う。

 

 

「自分を変える」ということは、難しいことを想像しがちだ。

 

 

「相手に酷いことを言われても許せるように」

「相手に何をされても笑顔で」

「傷つけられても我慢」

 

 

こんなことが、「自分を変える」ことなのだと考えてしまわないだろうか。

でも、とてもできそうにない。

やろうとしても、すぐ断念してしまう。

 

もし仮に、こんなことができたら、

今頃仏様として活躍しているだろう。

 

もし今、そんな神対応ができている人がいるなら、

来世は間違いなく神様になっている。

 

そういうわけで、私のような普通の人間には、

仏のような対応はできない。

 

でもさっき言ったように、

「こんなつらいこと、人にはしないぞ」

と心に決める。

そんなことは、できそうだ。

 

 

なので、私と同じように

「自分が変わらないと」

と思っているなら、

 

「被害者じゃなく、加害者だったかもしれない」

「自分は、もう加害者にならない」

 

こんな視点の転換から、始めたらいいのかもしれない。

 

 

そんな、ふとした思いを、今回は書き綴ってみた。

 

スピリチュアルに寄る話はあまりしたくないのだが、

人生1,2割ほど、たまに精神的な思考を混ぜるのもいい、

と思っている。

 

 

もちろん、これだけでは、なにも好転しないかもしれない。

 

でも、

「自分が変われば相手が変わる」ということはありうる。

 

少しずつ、自分も、他人事ではなく、

自分の姿を見ているように、パートナーを見つめられたらいい、

と思う。

 

少しだけ、天から自分たちを見る視点。

そんな大きな、上から見下ろす広い視点を持っていきたい。

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アスペルガー夫は妻の流産には到底、対応できない

大変お久しぶりです。

 

前の記事から3ヶ月も経ってしまった。

 

いろいろと困難なことが多々あり、一息ついたので、

ようやく筆不精なりにとろとろ書いていきたいと思う。

 

さて、タイトルでどんな困難があったかはお察しいただいているだろう。

 

我が家に降りかかってきた出来事、それは。

 

 

 

流産だ。

 

 

 

 

少々辛い内容になるかもしれないので、あまり読みたくない方は避けていただければと思う。

 

今回の記事は、アスペルガー夫がどう流産という出来事に対して行動したかについて書いてみたい。

 

またそれだけでなく、流産の不安や、流産手術、流産後の経過などについて、同じ状況の女性の方が知りたい情報もお届けできればと思っている。

 

 

 

 

時はさかのぼって、2019年年末。

 

表面上はそろそろ妊娠4ヶ月に入るという12月末に、実家に帰ってゆっくりしていた。

 

そのころの私には、ずっと不安に感じ続けていることがあった。

 

それは、「もしかして流産しているのではないか」という不安。

 

12月に入って、まだしっかりあるであろう「つわり」がピタッとなくなった瞬間があった。

 

それは、妊娠3ヶ月目の2019年12月10日くらいだった。

 

しかし、次の検診は2020年1月6日。

 

1ヶ月あまりもの間を、「流産してしまったのでは」という不安を抱えながら過ごすこととなった。

 

そのころの私は、とにかく情報を集めようと、インターネットを検索しては情報収集していた。

 

・つわりがなくなったら流産の可能性があるのか

・流産していたら、なにか症状があるのか

・心配な場合、早めに受診してもいいのか

 

こんなことを日々調べてはいたのだが、その度に困り果てていた。

 

結局、「人それぞれ」という結論なのだ。

 

つわりがなくなっても妊娠は継続している人も多いし、中には実際には流産していたという人もいる。

 

流産していた場合、腹痛などの症状が早く出る人もいれば、ずっと無症状の人もいる。

 

そして、みんなそうやって流産していないかを不安に思うものだから、心配しすぎないこと、ということがよくインターネット上には書いてあった。

 

そういう情報を見ればみるほどわからなくなった。

 

「自分が心配しすぎなんだろうか」

 

と、心配しないように、あまり考えすぎないように心がけていた。

 

それでも、1ヶ月も先の検診を待つのが苦しいので、なにか紛らわせるものはないか、と探していた。

 

そして、あるアイテムを見つけ、購入することにした。

 

それは、

 

「エンジェルサウンズ」

 

胎児超音波心音計 エンジェルサウンズ Angelsounds JPD-100S (ピンク)

 

胎児超音波心音計、というものだ。

 

 

レビューを見ると、本当にたくさんのママたちが、検診を待ちきれず、

流産を心配して購入していた。

 

お腹にあてると、赤ちゃんの心音が聴ける、というアイテムだ。

 

これはいい、と思った。

 

これで心音が聴こえさえすれば、もう心配から解放されるのだ。

 

きっと、この商品さえ手に入れれば、安心して生活できる、と期待していた。

 

 

その期待が、見事に裏切られることとなる。

 

その頃はもう流産していたのだ。

 

ようやくその商品が届き、いくら頑張って心音を聴こうとしても、なんにも聴こえない。

 

聴こえるのは、ザーザーという雑音。

 

そして聴こえたかと思っても、結局は自分の脈の音らしかった。

 

 

そこで、いよいよ不安が強くなってきた。

 

「本当に流産しているかもしれない」

 

 

そんな状態のまま、2019年の年末を過ごした。

 

家族親戚と会い、赤ちゃんが産まれるのを楽しみにする親や親戚の声を聞くたび、微妙な反応をしていた。

きっと、皆をがっかりさせることになるだろう。

そんな心持ちで、年越しを迎えた。

 

実家にいたため夫はほったらかしだった。

電話で話すたびに、少しずつ彼にも警告し続けていた。

 

「もしかして流産しているかもしれないよ」

「あんまり期待しないほうがいいよ」

「流産する確率は、15%とも言われてるからね」

 

と、ふきこみ続けていた。

 

しかし、返ってくる言葉は、

 

 

「そんなに顔がまるいなら大丈夫でしょう」

 

 

こんなイラッとするものばかりだった。

 

 

 

年が明けて2020年のお正月。

 

つわりを感じなくなって、3週間以上が経っていた。

 

調べてみても、流産してからそれほど長い間、腹痛などの症状がないケースはなさそうに思えた。

 

だから、きっと自分は大丈夫なのだろうと、言い聞かせることにした。

 

 

そして待ちに待った、1月6日の検診。

 

本当は、4ヶ月に入り、エコーで赤ちゃんの動画撮影などができる頃となっていた。

 

激混みの待合室で1時間待ち、ようやくの検診。

 

どうか生きていますように、

そんな気持ちで診察室に入り、ベッドに寝る。

 

お腹にジェルを塗られ、お腹にエコーを当てた。

 

先生のうなり声が聞こえる。

 

「うーん、、、ちょっと確認できないですね、、」

 

「経膣エコーにしましょう。まだ小さくて確認できないようなので」

 

笑顔の看護師に連れられて別室に。

 

 

そうして再度、エコー画面を確認した先生が、かなり言いにくそうに、鈍い声を発した。

 

「うーん、大きさが成長していなくて、、

 

心臓の動きも確認できないですね、、

 

おそらく、大きさから言うと、前回の診察からすぐ後に成長が止まってしまったようで、、」

 

やっぱり、流産していたのだ。

 

 

そう聞いて、こう思った。

 

 

「あぁ、やっぱりか」

 

 

ショックだったが、相当な覚悟はできていた。

でも、予想は外れて欲しかった。

 

思った通りの結果だった。

 

 

その後、淡々と先生の説明を聞いた。

 

その説明によると、1ヶ月前検診の、なんと次の日に亡くなったようだった。

9週目だった。

 

 

つまり、赤ちゃんはほぼ1ヶ月、流産したままお腹にいたということだった。

 

それを聞きながら、

 

「そんなに長い間お腹にいて、よくなんの症状もなかったな」

「つわりがなくなったのは、やっぱり流産していたからなんだ」

「女の勘って、まんざらでもないな」

 

と、考えていた。

 

先生も、淡々と話を聞く私は少しこわかったかもしれない。

 

自分でも、こんなに冷静に居れるものなんだ、と不思議に感じていた。

 

 

まだ赤ちゃんが小さかったこともあり、「稽留(けいりゅう)流産手術」をすることとなった。

 

その後看護師さんと別室で、手術の日程について相談した。

 

看護師さんが第一声、「大丈夫?」と優しく声をかけてくれ、ようやく少し涙が出た。

 

手術日は、明日か、1週間後のどちらかだと言う。

 

私は迷いなく、明日でお願いした。

 

看護師さんは少しびっくりした様子で、

「心の準備とか、旦那さんとの相談とか、大丈夫?」

と言われた。

 

私は、1ヶ月も待ったので、これ以上待てない、と思った。

 

急な腹痛に襲われたりしてもいやだ。

 

なので、検診、流産発覚、翌日に手術と、目まぐるしく状況が変化することとなった。

 

 

 

さぁ、ここからがアスペルガー夫との本題だ。

 

まず、どう夫に報告するか。

 

急に電話でこの事実を伝えても反応に困るかな、と思い、こうメールで伝えることにした。

 

 

「メールで取り急ぎごめんだけど、やっぱりダメだったんだよね

 1ヶ月前の検診の直後で流産していたみたい

 9週目で成長が止まってるって

 明日手術になったよ

 また電話できたらしてきて」

 

 

 

さて、どんな返事が返ってくるだろうか。

 

 

 

「あら

 そうなんだ〜」

「後から電話するわ」

「あーそうかー」

 

 

という返事だった。

 

 

うん。

 

やっぱり、微妙すぎる。

 

「あら、そうなんだ〜」って、おかしくないか。

 

まぁ、まともな返事がくるとも思ってなかったけど。

 

やっぱり、ガッカリさせてくれるのがアスペルガー 夫だ。

 

 

そして、その夜は9時以降絶食、絶飲を言い渡されていた私は、早く寝ようと黙々と手術に向け準備をしていた。

 

 

夜、夫が帰ってきた。

 

夫は、なんて言ったらいいかわからず、一生懸命言葉を探しているようだった。

 

「残念だったね、っていうのもおかしいけど、そうか〜って感じだよね」

 

と、内容のあるようなないような言葉を発していた。

 

あまり多くは話し合わず、淡々と明日の手術について、承諾書にサインしてもらったり、説明書に目を通してもらったり、実務的な作業に努めていた。

 

そして、びっくりすることに、現実逃避の一環なのか、彼は一生懸命テレビを見ていた。

 

帰れま10をみながら、

「一位はなんだと思う?」

などとのんきに話しかけてきた。

 

私は、彼に殺気を覚えながら、明日の手術に向けての準備で気を紛らわしていた。

 

 

 

そして手術当日。

昼からの出勤で大丈夫だという夫を、一緒に病院に連れていった。

 

産婦人科など、アスペルガー 夫が嫌う居心地の悪い場所だとはわかっていたが、夫に気を遣う余裕はなかった。

 

夫は、女性ばかりの待合室で、案の定居心地が悪そうに、ソワソワソワソワとしていた。

 

待合室で数十分待ち、手術の説明に呼ばれた。

夫と一緒に説明を聞き、ようやくベッドの半個室に連れていかれた。

 

隣には、もう一人、おそらく同じような手術を受けるでろう女性がいるようだった。

 

 

夫はひたすらバツが悪そうに、トイレに行ったりしながら、一言も声を発しなかった。

 

「大丈夫?」

とかあるだろう。

と思うのだが、アスペルガー 夫には到底できない気遣いだった。

 

病院にいて、妻はこれから手術で、という人生初体験の状況に、彼の脳みそはフリーズしていた。

過去の事例がないため、掛ける言葉もわからなければ、自分がとるべき行動もわからない。

壊れてカクカクとしか動かない、人形のおもちゃのようだった。

 

「そろそろ行くわ」

と、彼はいそいそ仕事に出かけていった。

 

「頑張ってね」と言おうとして、口をつぐんだ。

そんなバツの悪い様子だった。

 

 

そこから、痛々しい手術が始まった。

 

ベッドで、点滴や何かの注射を受ける。

そして、手術室へ。

手術台で、点滴から麻酔を入れる。

「眠くなってきますからね」

という先生の声から数秒後には意識が遠のく。

 

 

「終わりましたよ」

と声をかけられる。

一瞬の出来事のように感じた。

 

もう終わったなんて信じられない。

それほど、あっと言う間の出来事だった。

 

看護師さんに抱えられ、フラフラとベッドに横たわる。

 

昨日の夜から水分を口にしていないので、喉がカラカラだった。

でも、動けない。

 

何時間か、眠っただろうか。

なんとかフラッとしながらお手洗いへ。

そして自販機で水を買い、ようやく喉を潤した。

 

頭が痛くて、ボーッとした。

もう少し寝たところで、だいぶと麻酔が覚めたようだった。

 

タクシーで帰ることにした。

吐き気などはないが、しんどかった。

 

「体調はどう?」など、夫からメールが来ていた。

 

「しんどい」

と返すと、

「了解」と返事がきた。

 

 

了解?

というのもどうかと思うが、、

重い頭では、すでにどうでもよかった。

 

 

 

その夜は、麻酔のせいか、それほど体調が悪い感じはしなかった。

 

夫には、生々しく手術の様子を伝えると受け止めきれないだろうと思い、

おおまかなことだけ伝えることにした。

 

また、夫は、なんて声をかけたらいいかわからないようだった。

 

 

 

次の日もそれほど体調はわるくなかったのだが、

2、3日後から、なかなかの不調が始まった。

 

とにかく、腹痛がひどい。

子宮収縮剤という薬を飲んで、子宮を元通りに戻すそうなのだが、

そのせいかお腹が時々きゅーーっと締め付けられて痛い。

 

また、薬の副作用か、太腿がとても痛くて、歩けないほどだった。

歩くのが痛いので、外出できず、家にいて腹痛と闘う日々だった。

 

そんな不調が1週間以上続いた。

 

その様子を真正面でしっかり見ているはずの夫なのだが、面白いほど見てみないふりをしているようだった。

 

そしてその様子に、1週間ほど経って、だんだん私のイライラが募ってきた。

 

「大丈夫?」の一言もないのだ。

 

ふつう、目の前でお腹を抑えて痛がっていたら、「大丈夫?」だろう。

 

なんで、そんな人間として当たり前の行動がとれないんだよ。

 

だんだん、思いやりのかけらもないように感じる夫の行動に、不満が蓄積していた。

 

手術後で、精神的に不安定なのもあるだろう。

 

でも、そんな時だからこそ、いつも以上にいたわってほしいものだ。

 

 

 

1週間たっても、一言も「大丈夫?」がないことに、いよいよ不満が爆発した。

 

「普通さぁ、こんなに苦しんでたら、大丈夫?とか声かけない?

 そういうことってできないわけ?」

 

かなりの苛立ちと嫌悪感を込めて、夫に伝えた。

 

すると、返答はこうだった。

 

「大丈夫?って思ってるに決まってるじゃん!!

 でも俺には、なんて声かけたらいいかわからない!

 もちろん、痛がってるのもわかってるし、しんどそうなのもわかってる!」

 

ということだった。

 

私はすかさず反論して、

「大丈夫?って思ってるなら、声に出したらどうなの!?

 思ってるだけでは全く伝わらないよ!」

 

と言った。

 

 

 

そこから、彼なりの苦悩を語り出した。

 

「手術も痛そうで、俺なら耐えられないけど、そんなことがあって、

 俺はもう、なんて声をかけたらいいかわからなくて」

「大丈夫かなといつも思ってるし、気にかけてるよ!!」

 

 

そんな話になったので、ついでに手術前日のことも恨み節でぶつけてみた。

 

「手術の前の日、自分は全く関係ないみたいにテレビみて、一位なんだと思う?

 とか話しかけてきてさ、そんな思いやりがない行動ってほんとがっかりした」

 

と言うと、夫の言い分はこうだった。

 

「おれなりの気遣いだったんだ!

 手術の話するのもダメだと思ったし、全く関係ない話をするのが思いやりだと思ったの!」

 

 

びっくりした。

テレビを一生懸命見て現実逃避することが、彼なりの「思いやり」だったそうだ。

 

 

それは、分かり合えないのも納得だ。

 

 

でも、彼なりに今回の流産で、いろんな思うことがあったようだった。

 

「俺は、今回ダメでほんとうに残念だったけど、あなたと二人の人生でもいいと思うし、

 また子供がいつかできたらそれもいいと思う。

 今回、子供ができて本当に嬉かったけど、どちらでも俺は幸せだと思ってる」

 

と、思いが溢れ出したかのように、私に色々な思いを語ってきた。

 

 

私はこう思った。

 

アスペルガー夫にとっては、今回の流産はいい勉強となっただろう。

 

「子供ができるのは当たり前ではなく、奇跡」であること。

「無事に生まれるということは、奇跡」であること。

 

こういったことを今回学び、きっと次に妊娠したときには、流産の危険性を認識してくれるだろうし、子供が生まれたら、その奇跡を大事にしてくれるだろう。

完全ではなくても、少なくとも今よりは。

 

そして、彼だけではなく、もちろん私にとっても一緒だ。

 

 

前例がないと行動がとれないアスペルガー夫にとって、今回の流産という出来事は衝撃的だっただろう。

 

全く正しい行動、言動が取れるはずもなく、思う存分妻を失望させる。

 

期待はしていなくても、手術を受ける本人である妻側にとっては、いたわりの言葉や優しい言葉をかけられないという状況は、とても辛いものだった。

 

そんな辛い出来事を、アスペルガーの夫を持ちながらもなんとか乗り越えた、というだけで、自分を褒めてあげたいとも思う。

 

 

今、流産手術からおよそ3ヶ月が経った。

 

辛かった腹痛も、太腿の痛みも遠い過去の話となった。

体調もすこぶる順調で、もうすぐまた妊活を再開できる時期となった。

(手術後、2回生理が来るのを待って、子宮を元に戻しましょうと、先生から言われていた)

 

アスペルガー 夫とこんな経験をした人は多くないかもしれないが、何か参考になればいいと思う。

 

また、今流産の不安がある方や、流産手術の予定がある方、を手術を経験された方にとっても、少しでも情報の足しになればと思う。

 

越えられない冬はない。

 

そういう気持ちで、生きていきたいと思う。

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妊娠初期のアスペルガー夫との3度の喧嘩と男の涙

現在妊娠11週で、あと1週間で妊娠4ヶ月目に入る。

 

妊娠発覚から今日まで、アスペルガー夫と本気で喧嘩をしたのがすでに3度。

 

最後の喧嘩では、離婚をしようかとまで本気で考えた。

 

 

 

やはり、手強かった。

 

 

 

妊娠して喜んでいる暇もなく、容赦なくアスペルガー夫との問題が立ちはだかって途方に暮れた。

 

その一方で、子供を授かったことによる、アスペルガー夫の進歩も小さいながら感じられた。

 

その狭間で揺れ動く心境を、今日は綴っていこうと思う。

 

 

 

 

まず、3度の喧嘩の内容からお伝えしていきたい。

 

 

 

 

まず、1度目の喧嘩「車の購入」について。

 

夫の10万キロを超える愛車の車検期限を12月に控えていた先月、新車を買うことになった。

 

これまである外車にこだわってきた彼なのだが、とにかく故障と車検で飛ぶようにお金がなくなっていた私はいつも不満を募らせていた。

 

外車なんていらない!とにかく壊れない国産車にして!

とひつこく言い続けたこの1年。

 

この件でも何度も何度も喧嘩をし、説得を重ねた結果、ようやく彼が折れて、国産車に乗り換えられることになった。

 

こういったことにおける「こだわりの強さ」はアスペルガーの半端ないところだ。

 

よく聞けば、特にその外車のブランドが好きというわけでもないと言う。

ただ、ずっと乗っていて愛着があり、先方との付き合いも深いため、そこのブランドがいいと言い続けていた。

 

一度愛着がわくと、手放せない。

ものでも、人でも一緒なのだ。

 

一度これと思うと、とにかく執着しこだわり、手放せない。

変化をとにかく嫌がり、現状維持を好む。

 

そういった彼の症状により、簡単であるはずの車の買い替えも、人並みの100倍以上苦労させてくれていた。

 

それでも、ようやく国産車への乗り換えを本当にしぶしぶだが、了承してくれた。

 

 

そして先月、ディーラーへ行って車を見に行く予定だったある日。

 

ちょうどそのお昼に、妊娠が発覚したのだった。

 

私は、すぐにことの重大さを認識し、サッサと頭の切り替えをしていた。

 

「子供ができたのだから、子供を考慮した車選びをしないと」

と、すぐこの後訪れるディーラーでの車選びについて現実的に考えていた。

 

 

でも、アスペルガー夫は違ったようだった。

 

 

「妊娠したよ」

といってもポカンとしていた夫だったが、私が思っているよりずっと、その日はまだ実感がなかったようだった。

 

 

ディーラーに向かう道のりで、私は彼にこう言い聞かせていた。

 

「子供ができたから、それを考慮して車選びしないといけないよね!!!」

 

でも結局、彼は聞いているようで聞いていなかったようだ。

 

 

実際ディーラーに着いて、「どんな車がいいですか?」と聞かれ、

彼が答えるのはこんな回答ばかりだった。

 

「9割は自分が乗るからかっこいいのがいい」

「シートは本革がいい」

「どうせなら一番いいグレードのものがいい」

 

 

こんな、自分のことしか考えてない発言を繰り返した。

 

 

私は、今日子供ができたとわかったのだったら、もう少し子供のことも考えた車選びを彼も考えてくれるべきだと思っていた。

 

それが、アスペルガー夫にはまったく求められないことだったのだ。

 

いくら隣で、

 

「子供ができたら、後ろに子供を乗せやすいかとか、考えて選ぼうよ」

「本革だったら、子供が泥だらけで靴のまま上がったら汚れが取れなくて大変だよ!合皮が絶対いいんだよ」

「これからお金も貯めないといけないし、中間ぐらいのグレードにしてくれたら助かるんだけど!」

 

などと必死で情報をインプットさせても、全く聞いていなかった。

 

 

おかげで見積もり額は膨れあがり、子供のことを考えていない本革シートの最高グレードで見積もりを取ることになってしまった。

 

「そんなに高額だと買えないよ!」

 

と言うと、

「それをどうにかするのは担当者の〇〇くんの仕事だから」

 

と、変な理屈をこねだし、聞く耳を持たない。

 

 

そんな様子で、急ぎで車選びをしないといけなかったのに、彼のほしいもの一点張りの車選びとなっていた。

 

 

ディーラーを出て、とにかく私は彼に怒りをぶつけた。

 

 

「どうして、今日子供ができたとわかったのに、そんな自分勝手な車選びをするの?」

「子供を考えた車選びをしようとはどうして思えないの?」

 

と問いただした。

 

すると、

 

「ただの見積もりじゃん。なんでそんなに怒るの?」

「しょうがなく国産車にしたんだからそれで十分でしょ」

 

と逆にプリプリ怒っていた。

 

彼の中では国産車にしたのが最大の妥協で、それ以上の妥協を自分はする必要がないという考えのようだった。

 

 

結局、その数日後に産婦人科に行き、正式に先生から妊娠の確定をしてもらった。

 

その報告を夫にしたところ、初めて実感が湧いたようだった。

 

つまり、ディーラーに行った日は、子供ができたという実感が全くなかったということのようだった。

 

アスペルガー夫の頭の中は不思議がいっぱいだが、そういうことで、全く車選びの最中に子供を思い浮かべて選ぶことはできなかったようだ。

 

私は検査薬で陽性反応が出た瞬間から、子供ができる前提で車選びも考慮できるのだが。

 

 

 

そういうところも、アスペルガーの「想像する力の欠如」という症状の一つなのだろう。

 

子供ができたよ!

と言われた瞬間から、子供とパパになる自分との生活がイメージできず、そのためそれに備えた車選びなど、到底できないのだろう。

 

 

 

結局、車選びについてはどうしても折り合いがつかず、彼の好む車とグレードに私が妥協する形になった。

 

外車にこだわって手放さなかったアスペルガー夫を国産車に変えさせただけで今回はよくやったと、自分を褒めてあげることにした。

 

 

いずれ、国産車に乗りなれたら絶対心地よく、ずっと乗り続けてくれるだろうと予測している。

 

 

 

一番難しいのはこの瞬間。

 

変化を起こすこの瞬間である。

 

ここさえ乗り越えれば、あとは大丈夫。

これがアスペルガーだ。

 

 

 

 

 

次に、喧嘩2度目「タバコ」の話。

 

 

 

 

彼はかなりのヘビースモーカーだ。

 

妊娠が発覚したその日から、もちろん家の中で吸うのをやめてもらう必要があった。

 

それが大変だったのだ。

 

これも上記と一緒だが、変化の瞬間だ。

この変化を起こす瞬間がとっても困難なのだ。

 

妊娠がわかったその日から、彼に自覚が湧いてようがなかろうが、すぐタバコを控えてもらう必要があった。

 

 

でも、自覚が湧かない彼は、

「家の中で吸わないでね!!」という私に対し、容赦なく目の前で吸い出していた。

 

「吸わないでって言ってるでしょ!!!!」

と目を疑う私はあわてて火を消させた。

 

普通、吸わないでという妊婦の目の前で吸う夫っているのだろうか。

頭がおかしいとしか考えられなかった。

 

 

次の段階。

 

 

「絶対家の中で吸わないでね!!!吸うなら家の外に出て!!!!」

と口すっぱく何度もいう私に対し、次の夫の行動はこうだった。

 

換気扇の下で吸う。

 

 

また私が怒鳴ることになった。

 

「家の外ってわかる???換気扇の下は家の中ね!!!!換気扇の下で吸っても私にタバコの煙は届くの!!わかる??」

 

 

「え〜〜〜。換気扇の下だったらいいでしょう。」

っと夫。

 

とにかく、言うことを全く聞かない。

 

 

私はインターネットで、換気扇の下で吸うタバコがまったく意味がないことを書いているページを探し、夫にメールでその場で送った。

 

 

「はい、それ読んで!」

 

「換気扇つけてるからって、食事作ってる匂いがリビングにまったくこないことはないでしょ!?それと一緒で、タバコの煙もリビングに届いてるって書いてるよね!?」

 

「わかった!?換気扇の下も禁止なの!!!ね!!!」

 

 

と必死で説明し、その日はなんとかやめさせた。

 

 

 

 

そして次の日。

 

相変わらず、換気扇の下で吸おうとする夫。

 

 

また私は怒鳴ることになる。

 

「昨日説明したよね!?換気扇の下は禁止なの!!!」

 

 

何度も何度も注意されても、打たれ強いのだ、アスペルガー夫は。

 

そして、自分に不都合な情報は特に真剣に聞いていないので、次の日も超ナチュラルに禁止事項を堂々としてくれる。

 

 

そうして、何度も何度も注意し、ようやく3日目以降、きちんと外で吸えるようになった。

 

 

 

ザ・犬のしつけ。

 

 

 

 

根気よくがキーワード。

なんども失敗しても、なんども注意し、しつける。

 

アスペルガー夫の素行を矯正するには、この犬と向き合う根気と我慢が必要だ。

 

ただ問題は一点。

 

 

子犬のように可愛くない。

 

 

 

 

そうして1週間ほどが経ったころ、数人で外食する機会があった。

 

飲めない私をよそに、一人でワインを1本、2本と空けていく夫。

 

酔いも回ったら、また私が発狂したくなることを惜しげもなく目の前でしてくれる。

 

 

そう、タバコを私の目の前でスパスパ吸い始めた。

 

他の人もいるため、あまりきつく彼には言えない。

 

ダメだよ、ここで吸ったら。と注意するが、一向に聞く耳を持たない。

 

灰皿を取り上げても吸うし、口で注意しても吸い続ける。

 

そんな夜に、私のイライラが順調にたまっていった。

 

 

 

 

そして数日後にそのことを注意した。

 

 

「あの日、外食したからってどうして私の目の前でタバコを吸うの?

外食先なら吸っていいというものではないでしょう。

外食先でも、家でも一緒。私の前では吸わないでね!!約束できる?」

 

と、注意喚起を行った。

 

そうしたらまた、アスペルガー夫お決まりの逆ギレが始まった。

 

 

「俺は家で吸ってないだろう!!!!どうしてそんな数日後に怒られないといけないんだ!!!!」

 

と怒り始めた。

 

外食先でも吸わないで、という私への反論が終始、

「家で吸ってない!!」

というチグハグな反論の一点張り。

 

「家の話はしてないでしょう!』

と言っても、通じない。

 

 

また、数日後に言われることも納得がいかないらしかった。

 

 

 

ザ・犬の性質。

 

 

 

数日後に「ここでおしっこしちゃダメ!」と言われた犬のように、頭がはてなでいっぱいで理解ができないようだった。

 

 

なんで、数日後に言われないといけないの???

と、そこが引っかかって話が入ってこないらしかった。

 

 

それでも、酔っ払っている瞬間に言っても理解できないのだから、困ったものだ。

 

 

 

結局は、いつ言われても腹を立てているのだが、なにかしら防御の材料として「数日後に言われるのがおかしい」という理屈をこねるのがいつも好きで、よく言ってくる。

 

 

こうやって、私は彼へのうんざり度がどんどん増してきていた。

 

妊娠中で、「目の前でタバコを吸わないで」という当たり前の要望が、こんなに困難とは。

 

 

「いちいち、こんなことで喧嘩していたら身が持たない。」

 

 

 

アスペルガー夫との妊娠生活に、早くも翳りが見えていた。

 

 

 

 

そして最後の3度目の喧嘩、「寝ている間の出来事」について。

本気で離婚を考えた出来事だった。

 

 

ある日、グーグー寝ていた朝の5時のことだった。

 

ひとつのベッドで夫と寝ているのだが、夫はとにかく寝相が悪い。

 

布団を全部剥ぎ取ってきたり、右に左に激しく移動してきたり、とにかくうっとうしい動きをする。

 

そんなある5時の朝っぱらに起こったことだった。

 

夢の中の奥深くまで眠り込んでいた私は、ある衝撃で飛び起きた。

 

 

 

夫の拳が私の心臓あたりにドンッ!!!!と飛んできて、夫に胸を深く殴られたのだ。

 

 

あまりの痛さと衝撃で飛び起きた。

そしてすぐ夫に叫んだ。

 

「何するの!!!!!???????」

「痛いじゃん!!!!!!なんで殴ったの!!!!????」

 

手が当たったレベルではない衝撃で、殴られたとしか感じなかった。

 

寝ぼけてるのはすぐわかったが、夫に問いたださないわけには行かない痛さだった。

 

胸を殴られるって、人生で経験がない。

 

いいようのない怒りが一気に湧き上がってきた。

 

 

そうやって隣で発狂している私に、彼はこんなひどい一言を放った。

 

この一言を、私は一生忘れないだろう。

 

 

「めんどくさ。」

 

 

私はあんぐりと口を開けて呆然とした。そしてさらに発狂した。

 

 

「めんどくさいってなに!!!???」

 

というと、彼はねぼけながらモゴモゴとこう言った。

 

「覚えてないんだもん〜わざとじゃないじゃん〜〜」

 

 

確実に殺意を持った私は、

 

「あなたは私の心臓を殴ったの!!!わざとじゃなくても謝るくらいできないの!!??」

 

というと、また彼は忘れられない一言を言った。

 

 

「わざとじゃないから謝らない。」

 

 

この一言を聞いた瞬間、「終わった。」と思った。

 

こんなこと言う人、いるのだろうか。

 

わざとでなくても、人を殴って、「わざとじゃないから謝らない。」

 

 

謝らない。謝らない。謝らない・・・・

 

 

この言葉が頭でグルグル回りながら、もうこいつとはやってられないと心底思った。

 

 

「そんな謝ることもできない人と一緒にはもう寝れないし危険を感じるから下で寝るわ」

 

と吐き捨て、1階のリビングに行って寝ることにした。

 

憤りで頭がおかしくなりそうだった。

 

 

「もう離婚だ。もうぜったい離婚だ。もうやってられない・・・。」

 

そう頭の中でフツフツ考えながら、リビングで寝ていた。

 

 

そうすると、30分くらいして夫が下に降りてきた。

 

「なんで怒ってるの〜。わざとじゃないじゃんごめんっていってるじゃん〜。朝の5時半だよ〜朝っぱらからなんなの〜〜。」

と、私の怒りを100倍にする言葉の数々を投げかけてきた。

 

そして寝ている私の横に横たわってベタベタ触ってこようとする。

 

私は全力で彼を引き剥がし、足で蹴り続けた。

 

「いたいじゃん〜!もうやめようよ〜」

などブツブツ言いながら、すり寄ってくる彼に心から嫌気がさしていた。

 

 

 

その日から、かなり悩み続けた。

 

「一緒にいない方がストレスがなくて幸せではないか」

「子供がいても、こんな夫ならいない方がマシではないか」

 

「結婚とはなにか」

「夫婦とはなにか」

 

哲学的、スピリチュアル的なこと、いろいろ含めて悩み続けた。

 

 

約1週間、彼とほぼ口をきかなかった。

 

アスペルガー夫は、私の彼に対する「サイレントトリートメント」的な「口をきかない罰」を与えられることを極度に嫌っている。

 

でも、私にとってはアスペルガー夫から自分を守る手段だ。

彼の顔を見ることも、言葉を交わすことも、なにもしたくない。

 

彼への憎悪と戦っていた。

 

もちろん子供には父親がいる方が幸せだろうという一般的な考えと、こんな幼稚なアスペルガーの父親ならいなくてもいいだろうという考えで揺れていた。

 

喧嘩後の翌日、リアリスティックに、離婚後の養育費の目安や一人で子育てをする場合の家計簿までシュミレーションした。

 

シングルマザーの各種補助金や支援なども調べ上げた。

 

そして、一人で生きていけるという確証も得た。

 

 

結婚についての映画を見たり、本を読んだり、色々なことを想いながら、真剣に考えた。

 

「一人で生きていけるなら、それでもこの夫といる意味はどこにあるのか?」

 

 

そうして1週間が経ったこと、耐えられなくなった夫が口を開いた。

 

「ねぇ・・このままずっとやっていくの?」

 

なんて言ったらいいかわからなそうに、ゴニョゴニョ切り出した。

 

 

その夜、私も腹を決め、果てしない話し合いに身を置くことになった。

 

 

彼の言い分は、

「色々子供ができたとわかってから頑張って努力している。

でも寝てる間のことで怒られても覚えてないから責められても改善しようがない。

でもこれからも努力し続けるから一緒にやっていきたい。」

 

「でも、そんなに俺のことが嫌いで離婚したいなら、離婚してもしょうがないとは思ってる。

思ってるけど、そうはならないようにしていきたいと思ってる。

やっぱり子供のためには両親が揃ってないといけないと思う。」

 

と、いうようなことを言っていた。

 

内容はいつも彼から聞くような内容で代わり映えしないのだが、一つ、彼を許そうかと思った違いが一つあった。

 

それは、滅多にないことだった。

 

 

 

彼が、涙を流したのだ。

 

 

 

滅多に泣いたことのない彼が、今回相当考え込んだことが伝わってきた。

 

それにつられて、私も泣けてきた。

 

珍しく、一緒に泣いた夜だった。

 

 

子供を授かったことで、心のないロボットのアスペルガー夫に、心が芽生えた瞬間を目にしたような気持ちだった。

 

 

これまでは、そんな人間らしい心の動きを彼から感じることはなかったのだ。

 

子供ができたことは、彼になにかしらの変化をもたらせていた。

 

「子供のためには、離婚せずに円満にならないと子供がかわいそうだ」

 

そんな思いを強く思っているようだった。

 

 

 

それまで、到底彼を許す気にはなれなかった。

 

「ずっと許して許して、許してばかりで疲れる!もう解放してほしい!!」

と思っていた。

 

なのに。

 

 

男の涙はずるい。

 

 

確実に私の心が動かされてしまった瞬間だった。

 

 

これまで何度も何度も許し、裏切られて傷ついてきた。

 

それでも、一筋の光が見えると、光の先にいいこともあるのかもと、また許す。

 

そうやって、それを繰り返し続ける。

 

それが、アスペルガー夫との付き合い方なのかもしれない。

 

 

そうやって、また彼を許し、少しずつだが一緒にやっていくことにした。

 

それでもまだ彼との距離は保ったままだ。

 

触られるのもイヤだし、一緒にお風呂に入るなどもっての外。

 

他人以上夫婦未満の関係とはなっている。

 

でも、少しずつ、歩み寄り合っていると信じたい。

 

 

結婚について、夫婦について、色々と今回考えた。

そのことについての考察は、またの機会に書いてみたいと思う。

 

 

喧嘩の内容ばかりで申し訳ない。

妊娠初期のアスペルガー夫の現状と、変化へ対応する道のりが伝わると幸いです。

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