ほんきっき

アスペルガー夫に悶絶する新妻のほんきにっき

「彼って宇宙人みたいなの」という言葉には危険が孕んでいる。

あなたの彼や夫を「宇宙人みたい」と感じたことはあるだろうか。

あれば要注意。

 

これは、私が「宇宙人のような」彼と結婚した結果、結婚後8ヶ月で早くも離婚届を突き出すにいたったある話。

 

 私にはアルペルガー夫がいる。 

本人は認めたくないようで、診断もしていないが99.9%そうだ。

こういう場合よく世間で言われているのが、

「診断していないのに発達障害ADHDアスペルガーと決めつけるのはよくないのではないか」

 という声。でも私はそうではないと思う。なぜなら身内、特に配偶者には必ずわかるだろうほぼ明確な事実だからだ。

もちろん、昔のように何も情報がなかった時代、自分の夫や妻がアスペルガーでも気づかないことも多かったと思う。相手の個性や性格と捉え、我慢してきた夫婦はたくさんいると思う。アスペルガーなどの発達障害は男性が多いと言われているため、主に妻の方が多く悩み耐えてきたと思われる。

でも今は現代。科学も進歩し研究も進んでいる。現時点で夫や妻を発達障害アスペルガーADHDと特定することは容易いと思う。

友人によく聞かれることがある。 

「どうして付き合ってる時に気づかなかったの?」 

この問いの答えは、当事者なら皆わかるのではないだろうか。

それは、

 「結婚してから本性を出すのが発達障害者だから」

 である。

 付き合っている時にはわからない。

私の夫の場合、付き合っているときももちろん不思議なところは多々あった。私は彼のことを人に説明するときは決まって、

 「宇宙人みたいな人」

 と表現していた。

よくわからない返答や行動や、メールの内容や表情をする変な人だと思っていた。歩き方も話し方も普通の人とちょっと違う。同じ星の人とは思えなかったのだ。

ただ、そこがおもしろいと思っていた。独特で個性的。なにより仕事が抜群に出来て、尊敬していた。私に危害を加えることもなかった。

それが結婚してなぜ彼がアスペルガーだと気付いたのか。それは、異常に発狂し出したり、物を投げたり、私に暴言を吐いたり、そういった家庭内モラハラと言える異常行動が増えたときだった。

もう我慢ならないと思ったのは、この行動。

「怒り狂って家の中に唾を吐いた」

この瞬間、私の中でなにかが終わった。

そして妙に納得した。

それは、「この人、なにかおかしい。」ということだった。そう思って本からインターネットから情報を漁り出すと、一つの答えに行き着いた。

あぁ、これだ。

発達障害。」

彼の変わったこれまでの行動言動全てが、発達障害者の症状にぴったり合致していた。そうか、これなら全て納得がいく。おもしろいくらい、彼の症状全てがモデルケースかのごとく本に書いてあった。

「急に発狂する、暴れる、暴言を吐く、ものを投げる、次の日に全て忘れている、ころっと態度が変わる、謝れない、自分が悪いと自覚できない、すぐ逆ギレする・・」なんだこの人、典型的な発達障害者ではないか。

 初めは面食らった。

なぜなら私の知識が浅すぎて、アスペルガーというものは空気が読めない、仕事ができない”色々できない”人だとばかり思っていたからだ。こんなに仕事が出来て頭の回転が早くすごい人だと思っていた人が、発達障害者なんて信じられなかった。

でも、そういう人が山ほどいることを調べていく内に知っていった。むしろ、アスペルガーの特徴の1つがIQが高く知能が高いことだ。天才的な特性を持つ人なのだ。

 私が彼をアスペルガーだと考える理由はもう1つあった。それは、以前彼が「俺、文字が読めないんだよね。いや、読めるんだけど、頭の中に意味として入ってこないの。意味わかる?本とか教科書とか昔から読めなくて、大人になって知ったんだけど、それが“学習障害”ってやつだったみたいなの。」と言っていたことだ。その時私は「へ〜。」と聞いていただけだったが、発達障害のことを調べていくと衝撃的なことが書いてあり、またびっくりした。

発達障害は、文字が読めないなどの識字障害と併発することが非常に多い」

という事実だった。そうか、ますます確実ではないか。彼は発達障害と識字障害を併発している人だった。

そこから私の彼との新たな戦いが始まった。

第一段階:本人に「あなたは発達障害だと思われる」と告げてみた。

ことあるごとに発狂されて暴れられてはたまらないからだ。本人の自覚を促すしか解決策はないと思った。

でもこういう状況になった方のあるあるかもしれないが、本人は決して認めない。「自分は違うと思う。むしろあなたが発達障害ではないか」と言い返される始末だった。アスペルガーの特性だが、まともにやり合うとらちがあかない。それでも、ぶつかりながら何度か本人に伝えていった。しぶしぶ、もしかしたらそうかも、と本人が若干認めるまでにはなった。

ただ本人も発達障害を認めたと思ったら認めなかったり、当事者に自覚を促すことは困難を極めた。なぜなら重要なのはこのひとつに尽きる。 

「本人が困っていない」

彼は仕事でも上手くいっており、人からの信頼も厚く、人への態度もよく、いたって順調だからだ。私との関係以外は。

どうして周りには優しく穏やかで、家に帰ってきた途端私にはわがままで自分勝手な男になるのか。理解不能だった。家庭ではただのわがまま男だった。いや、2歳児に戻った聞かん坊の悪ガキだった。

いやいや、周りに優しくできるなら、私にもしろよ。

私の色々な攻防、抵抗、防御虚しく、心が病みそうになって疲れ果ててしまったのは、結婚後たった8ヶ月後だった。ああ、これが「カサンドラ症候群」というやつね。いくらなりたくなくてもなってしまう怖さを感じた。「早めに逃げた方がいいかも」と思った。

 第二段階:本人に「離婚してくれ」と告げた。

私は彼に離婚届を突き出した。

「もう耐えられない。こんな結婚生活が続くのは私にとって地獄。私は仏ではないし、あなたの自己中心的な行動に永遠耐え続けることは不可能です。もう無理なので、離婚して。」と、できるだけ感情を入れず、淡々と伝えた。アスペルガーは人が感情的になると全く受け付けないと本で読んだとおり、あえて目をそらしながら伝えた。

彼は相当ショックだったようで、怒ったり、「そんなに俺のことが嫌いならもういいよ、離婚しよう」と言ったり、「やっぱりもう少しがんばれないの」と言ったり、二転三転しながらも、最終的には「もうちょっとがんばりたい」という気持ちに落ち着いたようだった。

第三段階:条件を突き出し、もう一度がんばってみることを告げた。

翌日、私は「キレないこと」「ちゃんと診断を受けにいくこと」など彼にいくつか条件を出し、それを守ってくれるならもう少しがんばってみることを告げた。

 

現状:奮闘中。 

離婚届を突き出してから約4ヶ月が過ぎた。

なんとかまだやっている。診断はまだ行くことが叶ってないが、いずれまた事が深刻になる日が来たら病院に連れていこうと思っている。やはり、本人も私からではなく、専門家からきちんと手順を踏んで「あなたは発達障害です。」または「グレーゾーンです」とでも言われたほうが納得がいくだろうからだ。

 

アスペルガー夫の妻に必要とされることはなにか。それは、鋼のメンタル。

発達障害者の妻というのは、この鋼のメンタルがなければただコテンパンに打ち負かされてノックアウト。私はこのメンタル強化と戦法強化のため、日々必死で訓練中。これからの道のりは長い。

では、そんなに苦労してアスペルガー夫と一緒にいるメリットは?

 そんなに大変なら、彼のようなアスペルガーなりADHDなりの発達障害者と一緒にいるメリットはゼロではないかと思われるかもしれないが、そういうわけではない。

彼らには誰も持っていない長所をふんだんに備えている。彼らは特殊能力を備え、彼らしかできないころでこの世界が良くなるよう貢献できる人たちだ。私が彼とまだ頑張ろうと思えるのは、そんな彼の将来の可能性が楽しみだからではある。一緒に何か世界に対して良い事を成せたとき、全てが報われるように思う。

そして、その綺麗事とは別に、あわよくば、この人の特殊能力を活かして本人に活躍して稼いでもらって、ラクさせてもらおう。そんなメリット(得)を享受してやろう、という気持ちも併せ持っている。これだけこちらが苦労しているのだから、そのくらいいいことがないとコスパが悪すぎる。そのくらい図太く、こちらもメリットがあるから一緒にいると思わないと、慈善事業でやってては身がもたない。間違っても「この人を支えなくちゃ」とか「私がいないとこの人どうなっちゃうかわからないから」などとは考えない。

 

もっとも、その可能性が見出せなくなったときはどうなるかわからない。今のところ、最善を尽くして上手くやっていこうと思っている次第です。

 

同じ境遇で悩む方々にとって少しでも何かお役に立てればと思い書いてみた。これからも夫とのことを色々書いていこうと思う。

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人生に迷ったらアンパンマンにきこう。

なんのために生まれて

なにをして生きるのか

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!

 

こんにちは、今日は少し深いことに踏み込もうと思っているらんです。

今日は過去の私が、部下たちへある気づきを促そうと行った、ちょっと変わったワークショップについて。

 

以前会社でマネージャー職をしていたとき、 わたしは危機感を感じていた。

それは、赴任した当時、部下の皆がとにかくつらそうに毎日働いていたことだった。私の目には、彼らは仕事をただの作業として、“なんのためにその仕事をしているか” を考える間もなく、漠然と生きている様子にしか映らなかった。

 皆そのまま生きていたら、ますます生きがいを感じられないまま人生を歩み続けると予測ができた。それは少なくとも楽しい人生ではないだろう。

上司としてというよりは、1人の人間として、これはなんとかしないと、と思っていた。この仕事は人に幸せを与えるすばらしい仕事なんだ、ということに気づき、少しでもそれぞれが自分の人生に生きがいを感じれるようになってほしかった。

 

ただ、そんな無気力になってしまっていたのは彼らのせいばかりではないとも思っていた。それは上司の力量や社風の力で変えれるはずのことであるのだが、これまで生きてきた中で、会社はもちろん学校でも誰も教えてくれなかったのだ。

「なんのために生きるのか」「なんのために働くのか」「なんのためにその仕事をするのか」ということを、親も知らずに生きているから親からも教わらずに大人になってしまっている。

なので、彼らが人生に迷うのは当然にも思えた。周りに合わせること重視され、人の目を気にするよう育てられ、我慢が美徳とされるこの日本は、幸せを実感しずらいお国柄でもある。

 

 

私の部下たちだけではなく、日本で働く9割以上の人は、こんなこと誰も考えていないだろう。むしろ、友人に「ねぇ、人ってなんのために生きてると思う?」と聞いたところで「え、どうしたの大丈夫?なんか病んでる?」と病人扱いされるだろう。

 

でも本当は、こういった人間の根本的な問いを考える間もなく、ただ生きていることのほうがつらいことなのではないだろうか。

 

私は上司として1番にするべきことは、部下にこの「なんのために」ということを考える機会をつくることではないか、と考えていた。なのでコッソリ以下の企画をし、実行した。

 

それはとあるワークショップ。

ある日私は、部署のスタッフを大きなホールに集め、ワークショップを開くことにした。それは会社にしては型破りであろう、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」について考える会だった。

 

本来会社の研修やミーティングなどは、もっと実践的なことを教えることが多いが、今の状況でそんな上っ面のことをしても意味がない。根っこにある問題から手を付けて根本的問題解決をしようという思いからだった。

 

大ホールを真っ暗にし、明かりは私が自分の司会者台に置いた小さなランプだけ。考えることが促進されそうな不思議系音楽をBGMで流した。2日間に渡って、1日ごとに約20人ほどスクリーン前に座ってもらった。

マイクを持って私は一通り色々なことを語ったあと、大きなスクリーンにこの言葉を映した。

 

なんのために生まれて

なにをして生きるのか

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!

 

「これはある有名な歌の一節ですが、わかる人はいますか?」

こう皆に問いかけると、私よりうんと年上で頑張っていただいていた、ある女性がすかさず手を挙げ即答した。

アンパンマンのマーチですね。」

 

「その通り、さすがですね。」と私は答えた。若い子たちはまったくわからないようだった。

 

私はアンパンマンの作者、やなせたかしさんの人生観を題材に、「なんのために生まれてなにをして生きるのか」 をそれぞれ考え答えを導き出してほしいという意図を持って、このワークショップを組み立てていた。

 

この歌詞のとおり、アンパンマンのマーチはかなり内容が深い。上記の歌詞は曲の1番だ。みんながよく知っているアンパンマンマーチ「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ」は2番の歌詞である。

 

次に私は、やなせたかしさん著書の文庫「明日をひらく言葉」にあるまえがきを朗読した。そこに「なんのために生まれて なにをして生きるのか」がやなせさん自身への問いかけであったということが書かれており、やなせさんの人生が凝縮して説明されていた。彼のことを全く知らない若い子達に紹介するのにはとてもいい内容だった。

 

その内容の一節に、こう書いてあった。

人生の最大のよろこびは何か?

それはつまるところ、人をよろこばせることだと思った。「人生はよろこばせごっこ」だと気づいたとき、とても気が楽になった。

 これがやなせさんの導き出した、「なんのために生まれて なにをして生きるのか」への答えだった。60歳を過ぎてわかったと本人は言っている。

 

私はこの一節がとても好きだ。これを読んだおかげで私もはっきりわかった。自分の人生は、「人をよろこばせるためにある」ということを。

 

でも、誰だって多少の差はあれど、だいたいは一緒の答えではないだろうか。生きる意味に共通の答えを出すとしたらこれしかないのではないか、と私は考えるようになった。

 

そこで、更にもう2つの例を引用して、そのワークショップで紹介した。

困っている人を助けたとき、心があたたかくなって、その時わかったんだ。

僕がなんのために生まれてきたのか。

なにをして生きていくのか。

なにが僕の幸せか。

これは、アンパンマンの映画「いのちの星のドーリィ」で、なんのために生きているのか問われたアンパンマンが答えた言葉だ。そしてこの映画は、やなせさんが「なんのために生まれて なにをして生きるのか」 という問いへの答えだと語っている。

 

私は部下たちに語りかけた。

「みなさんも、日々感じているのではないでしょうか。人になにかしてあげたとき、人から喜ばれたとき、自分の心があたたかくなることを。」

 

私はこう思う。自分で答えがわからなくても、知らずとみんな肌でこのことを感じているということを。人になにかをして喜んてもらったとき、まさにこのアンパンマンの言葉通り「こころがあたたかくなる」のだ。自分のこころの反応を感じる力が鈍っているだけで、こころはしっかりあたたかく反応しているのだと思う。

 

 

最後に1つ紹介した。

人は自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬ、というほど強くない 

「これは有名な作家の三島由紀夫さんの言葉です。」

「どうでしょうか。もし、自分のことばかり考えて、自分のためだけにお金を使って物を買い、自分のしたいことだけをして生きたとしたら。

幸せで楽しいかと思うと、実は楽しくない。人生がつまらなく思えてきて、だんだんなんのために生きているのかわからなくなってくる。生きる意味や生き甲斐を失って、つらくてしょうがなくなってくる。それに耐えられるほど人間は強くないということではないでしょうか。つまり、人間は人のために何かするようにできている。そうしないと生きられないようになっているのではないでしょうか。」

 

 

結論としては、

生きるということは、人を喜ばせること。よろこばせごっこだということ。

だから、人を喜ばせるあなたたちの今の仕事はすばらしいことをしているのだということ。

 

ここにいる全員が、こんな気持ちで仕事や人生に生き甲斐を感じれますように。

そんな思いで、このワークショップは幕を閉じた。

 

 

暗いホールでも、皆の顔が変わっていたのが見えていた。

特に新入社員の若い子達に顕著だった。涙を浮かべて食い入るようにスクリーンを見つめ、なにかを感じ取ってくれているようだった。その純粋な表情に、こちらが感動して泣きそうだった。

 

終わって、みんなに思い思いの感想を提出してもらった。そこにはそれぞれの深い思いが記されてあり、うれしくなった。

「なんのために働いているかわからずつらいことも多かったけど、なにかわかった気がします」「心に残りました」など、それぞれ何かを持って帰ってくれたようだった。

 

 

その後、ゆるやかに部署内に変化が現れていった。元々は文句を言い合う環境だった重い雰囲気だった場所が、だんだんとその空気が入れ替わっていった。

文句を言いつづけていたスタッフは去っていき、空気の循環も起こっていった。

今、その時一生懸命話を聞いてくれていた新入社員たちが第一線でキラキラと活躍してくれている。

 私はもうその職場には今いないが、いつまでもその子達の活躍を心から応援している。いつまでも、「なんのために」と問いつづけて生きていってくれることを願いながら。

 

 

あなたはどのように答えますか?

「なんのために今の仕事をしていますか?」

 

 

時々わからなくなったら、あなたのこころとアンパンマンに聞いてみるとよいと思う。

 

この本が今回のワークショップの主役でした。まえがきからすでにおすすめ。 

やなせたかし 明日をひらく言葉 (PHP文庫)

やなせたかし 明日をひらく言葉 (PHP文庫)

 

 

このアンパンマンの映画は最高傑作だと思う。私はわんわん泣けた。大人こそ見るべき映画だと思う。やなせさんの想いがこれでもかと伝わってきて胸が痛いほどだった。今の日本人全員が見直すべき映画だと思う。

それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ [DVD]

それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ [DVD]

 

 

 ではまた。 

激喜ばれた出産祝い。aden + anais (エイデンアンドアネイ) モスリンコットンおくるみ。

前回の産後の友人の話からついでに、その友人にようやく贈った出産祝いについてのメモ。誰かの役に立てば幸いです。

 

私はまだ子供がいないので、産後ママが何を欲しているのかまったくわからない。

わからないながら必死にママが喜んでくれそうな地元の雑貨屋のベビーコーナををぐ〜るぐ〜る彷徨ってあれこれ見ても、いつまでも決まらない。なにしろ産後5ヶ月のベビーに何が必要なのか??まったくわからない。

このカラカラ鳴るおもちゃはいるのか?このチュパチュパ吸うやつは必要なのか?もうあるのかないのか?プレゼントって、直接聞くわけにもいかないから余計に頭を悩ませる。

 結局ディスプレイで大々的に売り出していたおすすめ商品に素直に従い、それを買ったら大変喜ばれた、というささやかなお話です。

あぁ、よかった。さすがショップはしっかりママの欲しているものを売り出しているのね。

 

それは何かというと、

aden + anais (エイデンアンドアネイ)

モスリンコットン おくるみ

 

ママの方はご存知なんですか?私にはまったくわからないブランドですが、なんせ大人気のようです。

雑貨屋で買うのは高かったので、私はこのおくるみコットンを1枚と他の雑貨をセットにして贈りました。

はいどうぞと渡したら、

「うわ〜〜〜〜!!これほんまにめっちゃほしかったやつやねん!!!!なんでわかったん!!!?めっちゃうれし〜!!」

大阪弁なまりで嬉々とよろこんでくれた。

 

はて、ネットならもしかしてもっと安かったのでは、と今調べてみたら、色々わかったことがあった。

 

それは、並行輸入品は4枚で3,980円などの超安値で売っているということ。 

例えば楽天のこんなところ。

 

安く買えるのはとてもいいことなのだが、問題は「並行輸入品は非正規品であり、品質が悪い可能性がある」ということだった。

 

以下、エイデンアンドアネイの公式ホームページより抜粋。

 

並行輸入品・非正規品にご注意ください!

 

当社では、ベビー&キッズ向け製品を取り扱うメーカーとして製品の安全性・品質の確保を第一として考えております。
通常の検査・検品基準に加えて、検針の強化やホルマリン検査の実施等を自主的に行なうことで、厳しい品質検査に通過した製品のみをお客様にお届けするよう心がけています。
ただし、現在、正規販売品を装いながら並行輸入品を販売、もしくは、並行輸入品であることを明記せずに販売したりする悪質なケースも確認されております。並行輸入品および非正規品は検査・検品基準は日本と異なる場合があり、様々なトラブルが発生しております。

並行輸入品および非正規品のご購入に関するトラブル(パッケージや製品本体に破損・不具合が生じているもの等)は当社では対応いたしかねます。ご購入の際は、くれぐれも十分お気をつけ下さい。

また、現在、楽天市場・Yahooショッピングへの販売は一切行っておりません 

http://www.adenandanais.co.jp/ja-jp/content/our+retailers/our-retailers.aspx

 

楽天市場・Yahooショッピングへの販売は一切行っておりません 

これを読んでびっくり。

楽天で買うのはよくないのではないか。

 

その下に正規販売店のリストが記載されていた。

尚、弊社が輸入・販売する正規販売店は、下記よりご確認いただけます。

アマゾンジャパン株式会社
www.amazon.co.jp

株式会社ハンプティーダンプティー
http://shop.humpty-dumpty.jp/

 ということで、私が買った雑貨屋が入っていた。よかった。

とうことは、ネットで買うのはアマゾンの正規店が安全そうだ。ちょっと並行輸入品より高くなってしまうが、そこはベビーが使うもの。やっぱりしっかり品質への投資は惜しまないようにしたい。

プレゼントだと特にだ。並行輸入品は綿埃がすごいなど、色々不具合があるようだ。

やっぱり正規品が1番ですよね、安心。

ただ非正規品だとわかって納得して買う分には、安さ重視でもよいと思う。

 

 

私が選んだところ、アマゾンの正規品ならこれがよさそう。柄も色々選べてGOOD。

お値段6,372円(送料込み)だそうだ。

 

ネットで買うほうが店舗よりはもちろん多少安い。

時間がある方は選択肢に入れてよいのでは。私も今度出産祝いを贈るときはこれにしようと思う。

 

私が贈ったのは女子ベビーなので、可愛いピンクのハート柄にした。こういう色はやっぱり喜ばれた。

本人も、2人目に男の子が生まれるかもしれないから、中性的なものを買っておきたいとは思いながら、どうしても女の子らしい柄を揃えたくなってしまうと言っていた。

 

ベビーをこんなふんわりしたおくるみタオルで包んだら、そら可愛いだろう。

 

私の家に来る時にはいつもこのタオルと一緒に来てくれている。

「ほんと使えるー!!ありがとーー!!」と何度もお礼をいただいている。

 

買った後で調べると、ベビータオルもピンキリ色々なブランドがあるのね。知りませんでした。わたしの知識では色々おすすめできないけれど、色々調べていたであろう友人がたいそう喜んでくれたブランドだということだけはお伝えできる。

 

ついでに未だにわからない“モスリンコットン”について調べてみた。

 

モスリンコットンとは?

中世のバングラデシュで生まれたといわれているモスリンコットンは織目が細かく通気がよい素材です。

肌触りが非常によく、柔らかいながらも丈夫な最高級の織物の一つ

 

もひとつついでに、“おくるみ”ってなに??と思ったので調べてみた。

 

スワドル(おくるみ)

「おくるみを包むことで赤ちゃんを落ち着かせることができる」という考えは、

何世代も昔から受け継がれてきたものです。実際に、世界中の女性たちが「おくるみを巻く」

という慣習を何千年も続けてきたことが、その何よりの証拠でしょう。

おくるみで包むことによる効果やメリットが科学的に証明される日もそう遠くはないかもしれません。

 

  • 歴史

    母親が赤ちゃんをおくるみで包むという慣習のはじまりは紀元前4000年までさかのぼり、古代中央アジアへの移民たちによって行われていたと言われています。おくるみの歴史を作ったのは、古代ギリシャ人とローマ人だったのです。この慣習は聖書にも残されています。

  • 安心感

    ナチュラモスリンコットンのおくるみは赤ちゃんにとって心地よいものです。それはお母さんのおなかの中にいたような感じを作りだすからです。

  • 睡眠

    おくるみできっちりと包まれることによって、安らかに睡眠することができ、赤ちゃんの自発的な動き(モロー反射、びっくり反射)を避けることができると言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 え、おくるみってそんな深い歴史があったの。

ただくるむことをおくるみと言ってるのだと思っていた。というか、ただのブランケット扱いしていた。ごめんなさい。

 

そして公式ホームページにおくるみの使い方まで載っていた。

またまた、適当に包むものだと思っていた。ごめんなさい。

http://www.adenandanais.co.jp/ja-jp/content/learn+and+share+how+to+swaddle/how-to-swaddle.aspx

 

ということで、今日はたいそう勉強になりました。

友人よありがとう。おかげでママになる準備が1つできた。

 

これからは並行輸入品に気をつけていこうと思う。

 

ではまた。 

 
 

その自己分析の仕方、一生自分がわからないと思う

f:id:mameranpu:20180608140135p:plain私のようなアラサー女子なら必ずしたことのある「自分探し」の落とし穴についての備忘録。 

最近私的“世紀の大発見”だったのが、「自分探し」の前にこれをしないと永遠に「自分」は見つからないという、ある重要なステップがあるということ。誰も教えてくれなかった大切なこと。

それはたった1つ。

 自分が親から受けた影響を遡って自覚するということ。

これは自己分析の本にはリストアップされてない。99%の人はしていない。

普通の自己分析でよくする方法は、自分の「強み」「弱み」「これまでの経験」「辛かったこと」「楽しかったこと」などをつらつら書き連ね、自分の思考や価値観を探っていくやり方。それを元に、本当に自分が人生でしたいことやワクワクできる仕事を探していくという過程になる。

でも、この方法で見つかった人っているの?自分が思う本当の「自分」というもの。

少なくとも私は、今まで就職活動や転職などで多々自己分析に取り組んでも、一向に「自分」をわかる日はこなかった。

なにか間違っていないか?漠然とした疑問を持ち続けてこれまで生きてきた。

 

その訳に最近ようやく気づいた。そうだ、これだ、これが足りなかったからだ。これをしなければいくら探したって「自分」なんて見つかる訳がないじゃないか。

もう、なんで誰も教えてくれなかったんだ。

 

 

自分を探す前にまずやることは、この1つだけ。

*****

「これまでに親からどのような育てられ方をして、どんな影響を受け、それが今の自分の性格や価値観にどう影響を与えているかということを遡って探し出して、自覚する」ということ。

 *****

 

 心理学のような話になるが、

人の性格は3歳までに決まると言われている。

「3歳までに、私は自分にけっこう責任を持って自分の性格作ったよ」っていう人はいるだろうか?そう、ブッタぐらいしかいない。

それなのに、自分の今の性格や考え方は全て自分が養ってきたように錯覚していないだろうか。それが根本の間違いだ。

親にどう育てられたかで、私たちの性格や価値観はすでに決まってしまっていたのだ。

自分ではどうしようもなかったということだ。

つまり、その親からの影響を受けまくった“歪んだ”状態の自分と向き合っても、永遠に“歪んだ”自己分析結果しか出てこないということだ。そこが大問題である。

それはまるで、もののけ姫のサンが犬神に育てられ、自分は犬神の子だと思い込んでいるのに「自己分析」をしても、そもそも人間だと思っていないため「自分が人間だ」という結果を導き出せないくらい、大問題である。

 でも、私たちは幸い考える頭を持っている。なので過去を遡って洗い出し、「親からこういう育てられ方をしたから今の自分はこんな考え方なんだな」「こういう親だったから自分はこんな性格になったんだな」と自覚していくことはできる。

そして、その性格は親の影響を受けてそうなったのだと発見したらどうするか。

「ああ、勘違いだったんだな」と自覚するだけでいい。そう、なぜなら、本来の自分ではなく、親からの影響を受けてしまっただけなのだから。

では具体的にどうすればよいのか?

 

具体的な方法は下記のとおり。

↓↓↓

  1. 父親と母親からどう育てられてきたのかを考える。  例)優しかった、よく怒られた、暴力を振るわれた、厳しかった、無関心だった、穏やかだった、あまりかまってくれなかった、話をよく聞いてくれた、聞いてくれなかった、過干渉だった、過保護だった、家庭内暴力があった、モラハラがあったなど
  2. 自分の家族構成的に受けてきた影響を考える。 例)長女だからしっかりしなさいと言われてきた、末っ子だから甘やかされた、次女だから放っておかれることが多かった、一人っ子だから常に注目されていた、など
  3. 幼少なのにいまだに記憶に残っている、親から言われて忘れられない言葉や出来事を考える。 例)「あんたなんかいらない」と言われた、両親が離婚した、暴力を振るわれて泣き喚いたなど

 

これで何がわかるのか。例えば私の場合は下記の結果。

↓↓↓

  1. 父親と母親からどう育てられてきたのかを考える。→父親はとんでもなく優しく、母親はとんでもなく厳しかった。長男がグレて家庭が崩壊しそうだったため、末っ子の私は失敗したくないと、あらゆる方法で私を束縛し支配した。あらゆることを禁止し、どこにも行かせない経験させないことで守ろうとした。
  2. 自分の家族構成的に受けてきた影響を考える。 →末っ子で年が離れてポンと生まれた長女だったため、大切に思われ過干渉を受けた。
  3. 幼少なのにいまだに記憶に残っている、親から言われて忘れられない言葉や出来事を考える。 →おそらく3歳頃、私が父に何かお願いごとをしていたら、母が父に「なんで子供のいうことなんて聞くの」と言っていた言葉が忘れられない。

 

具体的な考察

↓↓↓

1からわかること

  • 母から人生の半分の15年以上コントロールされ続けた→反動から人をコントロールしようとするため、自分の思い通りにことが動かないと不機嫌になっていた

*私は小さな頃からずっと自分の機嫌をなおせないことが多く、感情を扱えずに幼いなりに昔からずっと困っていた。なぜかわからなかった。それはずっと支配され続けてきた育て方が影響しているとわかった。自分が支配されると、その分周りを支配しようとする力が働くということだ。

 

2からわかること

  • あれをしたら危険、ここに行くと危険と常に言われ行動を制限され過干渉を受けていた→世界は危険なもの、危ないものと認識していった。何か自分で生き抜くスキルや技術がないと生きられない世界だと思い込み、いつもスキルがないまま生きて行くことが不安だった

*本来世界というものはニュートラルで、危険なものではない。それは植え込みで間違って危険だと認識してしまっていただけで、勘違いだった

 

3からわかること

  • 「なんで子供の言うことをきくの」という言葉→ずっと母は私の人権を考えてくれなかった。いつも「子供の言うことは聞かなくていい」という態度で、意見を聞き入れてくれなかった。やがて「私は話を聞いてもらえるに値しない人間だ」と思うようになっていった。そのため引っ込み思案でシャイな性格になった

*2,3歳の性格はいたって明るく目立ちたがり屋だった。本来の性格から離れ、親からの扱われ方で性格が変わり人格が形成されていくということだ。

 

 

 

最終目標:本来の自分を見つける

  • 以上の洗い出しを元に、「本来の自分の性格」を探し出すこと。それが最終目標。
  • 私の場合、今の性格にある「引っ込み思案」「シャイ」「恥ずかしがり屋」は、全く母親からの育てられ方で勘違いした世界観から生まれた人格にすぎないということ。本来自分は「価値がある人間なんだ」と気づいた。つまり、「かんちがいだった」と知るだけのこと。間違った世界観を正しく戻すということ。
  • 色々な勘違いを見つけたら、「これからはこのモードでいこう」と決めること。例)人生は大変だと思っていたのはどうやら勘違い→「簡単に幸せになれる」というモードで生きようと決める。

 

本来の世界は厳しくもなく、辛くもない。「普通」「ニュートラル」だ。

それを「世界は厳しい」「お金を稼ぐのは難しい」「幸せになるのは難しい」など思っているとしたら、それは完全に“親のおかげさま”と断言できる。間違っても自分のせいではない。

世界は本来普通にそこにあるものなのだ。色眼鏡でその世界を見ているのは、歪んだ価値観を親からもらった私たちだということ。

その歪んでしまったものの見方は、正せばよいだけだ。それが自覚する、ということ。

 

決断力。決めて斷つ力。こう生きようと決めて、他の選択肢を斷つ力。

これが人生で大切な力のひとつだろうと思う。