人生に迷ったらアンパンマンにきこう。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
こんにちは、今日は少し深いことに踏み込もうと思っているらんです。
今日は過去の私が、部下たちへある気づきを促そうと行った、ちょっと変わったワークショップについて。
以前会社でマネージャー職をしていたとき、 わたしは危機感を感じていた。
それは、赴任した当時、部下の皆がとにかくつらそうに毎日働いていたことだった。私の目には、彼らは仕事をただの作業として、“なんのためにその仕事をしているか” を考える間もなく、漠然と生きている様子にしか映らなかった。
皆そのまま生きていたら、ますます生きがいを感じられないまま人生を歩み続けると予測ができた。それは少なくとも楽しい人生ではないだろう。
上司としてというよりは、1人の人間として、これはなんとかしないと、と思っていた。この仕事は人に幸せを与えるすばらしい仕事なんだ、ということに気づき、少しでもそれぞれが自分の人生に生きがいを感じれるようになってほしかった。
ただ、そんな無気力になってしまっていたのは彼らのせいばかりではないとも思っていた。それは上司の力量や社風の力で変えれるはずのことであるのだが、これまで生きてきた中で、会社はもちろん学校でも誰も教えてくれなかったのだ。
「なんのために生きるのか」「なんのために働くのか」「なんのためにその仕事をするのか」ということを、親も知らずに生きているから親からも教わらずに大人になってしまっている。
なので、彼らが人生に迷うのは当然にも思えた。周りに合わせること重視され、人の目を気にするよう育てられ、我慢が美徳とされるこの日本は、幸せを実感しずらいお国柄でもある。
私の部下たちだけではなく、日本で働く9割以上の人は、こんなこと誰も考えていないだろう。むしろ、友人に「ねぇ、人ってなんのために生きてると思う?」と聞いたところで「え、どうしたの大丈夫?なんか病んでる?」と病人扱いされるだろう。
でも本当は、こういった人間の根本的な問いを考える間もなく、ただ生きていることのほうがつらいことなのではないだろうか。
私は上司として1番にするべきことは、部下にこの「なんのために」ということを考える機会をつくることではないか、と考えていた。なのでコッソリ以下の企画をし、実行した。
それはとあるワークショップ。
ある日私は、部署のスタッフを大きなホールに集め、ワークショップを開くことにした。それは会社にしては型破りであろう、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」について考える会だった。
本来会社の研修やミーティングなどは、もっと実践的なことを教えることが多いが、今の状況でそんな上っ面のことをしても意味がない。根っこにある問題から手を付けて根本的問題解決をしようという思いからだった。
大ホールを真っ暗にし、明かりは私が自分の司会者台に置いた小さなランプだけ。考えることが促進されそうな不思議系音楽をBGMで流した。2日間に渡って、1日ごとに約20人ほどスクリーン前に座ってもらった。
マイクを持って私は一通り色々なことを語ったあと、大きなスクリーンにこの言葉を映した。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
「これはある有名な歌の一節ですが、わかる人はいますか?」
こう皆に問いかけると、私よりうんと年上で頑張っていただいていた、ある女性がすかさず手を挙げ即答した。
「アンパンマンのマーチですね。」
「その通り、さすがですね。」と私は答えた。若い子たちはまったくわからないようだった。
私はアンパンマンの作者、やなせたかしさんの人生観を題材に、「なんのために生まれてなにをして生きるのか」 をそれぞれ考え答えを導き出してほしいという意図を持って、このワークショップを組み立てていた。
この歌詞のとおり、アンパンマンのマーチはかなり内容が深い。上記の歌詞は曲の1番だ。みんながよく知っているアンパンマンマーチ「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ」は2番の歌詞である。
次に私は、やなせたかしさん著書の文庫「明日をひらく言葉」にあるまえがきを朗読した。そこに「なんのために生まれて なにをして生きるのか」がやなせさん自身への問いかけであったということが書かれており、やなせさんの人生が凝縮して説明されていた。彼のことを全く知らない若い子達に紹介するのにはとてもいい内容だった。
その内容の一節に、こう書いてあった。
人生の最大のよろこびは何か?
それはつまるところ、人をよろこばせることだと思った。「人生はよろこばせごっこ」だと気づいたとき、とても気が楽になった。
これがやなせさんの導き出した、「なんのために生まれて なにをして生きるのか」への答えだった。60歳を過ぎてわかったと本人は言っている。
私はこの一節がとても好きだ。これを読んだおかげで私もはっきりわかった。自分の人生は、「人をよろこばせるためにある」ということを。
でも、誰だって多少の差はあれど、だいたいは一緒の答えではないだろうか。生きる意味に共通の答えを出すとしたらこれしかないのではないか、と私は考えるようになった。
そこで、更にもう2つの例を引用して、そのワークショップで紹介した。
困っている人を助けたとき、心があたたかくなって、その時わかったんだ。
僕がなんのために生まれてきたのか。
なにをして生きていくのか。
なにが僕の幸せか。
これは、アンパンマンの映画「いのちの星のドーリィ」で、なんのために生きているのか問われたアンパンマンが答えた言葉だ。そしてこの映画は、やなせさんが「なんのために生まれて なにをして生きるのか」 という問いへの答えだと語っている。
私は部下たちに語りかけた。
「みなさんも、日々感じているのではないでしょうか。人になにかしてあげたとき、人から喜ばれたとき、自分の心があたたかくなることを。」
私はこう思う。自分で答えがわからなくても、知らずとみんな肌でこのことを感じているということを。人になにかをして喜んてもらったとき、まさにこのアンパンマンの言葉通り「こころがあたたかくなる」のだ。自分のこころの反応を感じる力が鈍っているだけで、こころはしっかりあたたかく反応しているのだと思う。
最後に1つ紹介した。
人は自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬ、というほど強くない
「これは有名な作家の三島由紀夫さんの言葉です。」
「どうでしょうか。もし、自分のことばかり考えて、自分のためだけにお金を使って物を買い、自分のしたいことだけをして生きたとしたら。
幸せで楽しいかと思うと、実は楽しくない。人生がつまらなく思えてきて、だんだんなんのために生きているのかわからなくなってくる。生きる意味や生き甲斐を失って、つらくてしょうがなくなってくる。それに耐えられるほど人間は強くないということではないでしょうか。つまり、人間は人のために何かするようにできている。そうしないと生きられないようになっているのではないでしょうか。」
結論としては、
生きるということは、人を喜ばせること。よろこばせごっこだということ。
だから、人を喜ばせるあなたたちの今の仕事はすばらしいことをしているのだということ。
ここにいる全員が、こんな気持ちで仕事や人生に生き甲斐を感じれますように。
そんな思いで、このワークショップは幕を閉じた。
暗いホールでも、皆の顔が変わっていたのが見えていた。
特に新入社員の若い子達に顕著だった。涙を浮かべて食い入るようにスクリーンを見つめ、なにかを感じ取ってくれているようだった。その純粋な表情に、こちらが感動して泣きそうだった。
終わって、みんなに思い思いの感想を提出してもらった。そこにはそれぞれの深い思いが記されてあり、うれしくなった。
「なんのために働いているかわからずつらいことも多かったけど、なにかわかった気がします」「心に残りました」など、それぞれ何かを持って帰ってくれたようだった。
その後、ゆるやかに部署内に変化が現れていった。元々は文句を言い合う環境だった重い雰囲気だった場所が、だんだんとその空気が入れ替わっていった。
文句を言いつづけていたスタッフは去っていき、空気の循環も起こっていった。
今、その時一生懸命話を聞いてくれていた新入社員たちが第一線でキラキラと活躍してくれている。
私はもうその職場には今いないが、いつまでもその子達の活躍を心から応援している。いつまでも、「なんのために」と問いつづけて生きていってくれることを願いながら。
あなたはどのように答えますか?
「なんのために今の仕事をしていますか?」
時々わからなくなったら、あなたのこころとアンパンマンに聞いてみるとよいと思う。
この本が今回のワークショップの主役でした。まえがきからすでにおすすめ。
このアンパンマンの映画は最高傑作だと思う。私はわんわん泣けた。大人こそ見るべき映画だと思う。やなせさんの想いがこれでもかと伝わってきて胸が痛いほどだった。今の日本人全員が見直すべき映画だと思う。
ではまた。