くらやみらんぷ

くらくなったららんぷを灯そう。 *****アスペルガー夫を持つアラサー主婦のこんなはずじゃなかった七転八倒新婚ライフ*****

割とダークな生い立ち

こんにちは、らんです。

 

このブログを立ち上げるにあたって、まずは自分のことについて掘り下げてさらけ出してみたいと思う。

 

まず、生い立ちから始めたい。

 

生まれたころ、父は家にいなかった。別居していた。

母が私と兄2人の子供3人を、一人で面倒みていた。

母は喫茶店を経営していた。

バブル期だっただめ、母親の稼ぎだけでもやっていけていたのだろう。

 

週末に時々父と過ごした。

父には恋人がいて、私は父とこの恋人とよく3人で出かけて遊んだ記憶がある。

後々母から聞いたところによると、父は何歳も年下のこの恋人と恋に落ち、

母に離婚を申し出たそうだ。

母は断固拒否し、恋人がいるのを知りながら、別居にとどまっていた。

 

母はその後スナック経営を始め、夜に家を出ていく生活が始まった。

なぜか2人の兄はいつも家におらず、私は夜中に母が出ていく度、

玄関で「行かないで」と泣いていた。

いつも夜は一人で寂しくて怖かった。

 

私が何歳の時だったのかよく覚えていないが、母に対して

「お父さんと仲良くよりを戻してほしい」と泣いて訴えたことがあった。

ぼんやりとその光景は覚えているような気がする。

その言葉に心を動かされたと後に母は言っていたが、

それをきっかけに父が家に帰ってきた。

恋人とは父が思うように上手くいかなかったのだろう。

 

それから父と母は仲良く、元どおりの家族になったかのように思われた。

 

次の問題は長男だった。

一番上の兄は私より10歳上なのだが、最高にガラの悪い校区で生活していたため

悪い友達に影響を受け、高校生の時にぐれてしまった。

ひどく非行に走り、部屋にはシンナーの臭いが充満していた。

6,7歳くらいだった私にはなんの臭いかわからなかったが、

変な臭い、ということだけはいつも認識していた。

 

いつも母と兄は家で怒鳴りあっていた。

 

ある日、兄が母に家で暴力を振るった。

母はバットを振り回し、最高潮にヒートアップした結果、兄は拳で対抗した。

母の目をがつんと殴り、母はベッドに倒れ込んだ。

その光景をなんとなく目にした気がする。

 

母の目は腫れ上がり、眼帯をしていた。

なんともひどい家庭だな、と子供ながら感じていた。

 

結局兄は高校を中退し、ペンキ屋でペンキを塗って生活していた。

私が小学校から帰ると、ソファーに寝転がった兄がだるそうにぐったりしていた。

いつも兄が怖かった。

 

母は、自分の子供がぐれてしまったことがトラウマとなったのか、

私を束縛し始めた。

 

まずは、地元の中学校に入学させてまた同じことが起こるのを恐れ、

私は中学受験をさせられた。

そしてたった半年の猛烈な受験勉強を経て、

補欠合格でなんとか志望校へ入学することとなった。

女子校の中高一貫校だった。

 

中学校に入学してからは、母の厳しい制限を受ける生活が始まった。

 

「お受験」をするなんて大体お嬢様が多かったため、

庶民の私は学校のお嬢様たちに囲まれてたいそう居心地が悪かった。

皆ブランドものを持ち、裕福そうだった。

私のような家庭問題はだれも直面していなさそうだった。

 

そんな学校の友達との遊びといえば、カラオケや映画、ボーリング、ショッピングなど、娯楽施設に行くことだった。

しかし、母は全てそれを禁止した。

兄のようにこれ以上ぐれた子供を出したくなかったのだろう。

母がとった行動は、どこへも遊びに行かせない、という極端なものだった。

 

そのため私はいつも母と喧嘩した。

どうして私が束縛されなければいけないのか。

私は兄ではない。

別にぐれる要素などない子供だった。

 

母はいつも「校則で禁止されているものはダメです」を常套句に、全て禁止した。

おかげで私は母が大嫌いになった。

 

高校2年生の時に学校の留学制度で1年間留学できる制度ができた。

私はすぐさま応募した。

海外や英語に興味があったというのもあるが、なにより家から離れたかった。

 

一度選考に落ちたがなぜか敗者復活し、なんとか留学できる切符を手に入れた。

 

1年間ニュージーランドへ留学し、一度もホームシックにかからなかった。

全く家に帰りたいとも、母親に会いたいとも思わなかった。離れられて幸せだった。

 

「高校を卒業するまで親の言うことを聞いておとなしくしなさい」と言われ続けた私は、高校卒業を心待ちにしていた。

 

留学から帰ってきて大学受験のために猛勉強をし、

第一志望の大学へ入学することとなった。

高校卒業をし、全てから解放されたと思った。

 

そうして母が衝撃的な言葉を放った。

「成人するまでは大人しくしていなさい」と言った。

ますます母が嫌いになった。

 

高校卒業した途端、禁止されていたことをさんざんやった。

髪を染め、バイトをし、朝まで遊んだ。

さすがにこの時ばかりは優しい父が仁王立ちで怒った。

父が起こったのはこれが最初で最後だった。

 

成人式を迎え、また解放されると思ったら、さらなる言葉を母が投げかけた。

「大学を卒業するまでは大人しくしていなさい」と言った。

ふざけるな、と心から母を憎んでいった。

 

大学4年の時、いよいよ溜まりに溜まっていた私は母にこう言ったら大事件となった。

 

「お母さんのことが今までずっと嫌いだった。」

 

これを聞いた母は泣き崩れた。

そして発狂した。

「これまで大事に育ててきたのに!!』

そして、包丁を取り、「死ぬーーーー!!!」と叫んで暴れまわった。

その場にいた父が取り押さえ、なんとか母を落ち着かせようとした。

私はなすすべもなく立ち尽くしていた。

私にとっては嘘でもなんでもなかった。本当に心から母が嫌いだったのだ。

 

母はそこから家出をした。

その夜私は父と居酒屋で飲み交わしながら、父に「おまえ、お母さんに謝れよ」

とぼそっと諭した。

私は本当のことだから謝るのもおかしいと思いつつ、

事態が大きくなるのを面倒に思い、

母に「あんなこと言ってごめんなさい」とメールをした。

 

2日後、母は家に帰ってきた。

ブスッとした様子だった。お互いあまり話はしなかった。

それから気まずい生活が続いたが、時間が解決していく。

だんだんとそのことは過去の出来事となっていった。

 

ようやく大学を卒業した。母はなにか言ったか?

いよいよ私に何も言うことはなかった。

私はようやく解放されたと感じた。

 

就職し、一人暮らしを始めた。

一人暮らしが楽しくて快適で仕方なかった。

「私は自由だ」と幸せをかみしめた。

 

 

今、どうなったか。

兄は父の家業の居酒屋を継ぎ、店を繁盛させている。

二番目の兄は元から出来がよく、サラリーマンで幸せな家庭を築いている。

父は2年ほど前に蜘蛛膜下出血で亡くなった。

母は今、一人暮らしをしながら父が大好きだったペットの犬1匹と生活している。

 

私と母との関係は回復した。よく母の家に泊まりに行っては色々な話をしている。

まだ私から仲良く話すほど自己開示はできておらず、後遺症は残っているが。

これからも少しずつ、母へ打ち解けられる自分になりたいと思っている。

 

こんな環境で育った自分がどういった影響を受けているのか、

最近だんだんわかってきた。

幸せな家庭ではなかったかもしれないが、

色々ある家庭で育つメリットもあると思う。

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これからも家庭での経験について、色々書いていきたいと思います。

では。