ほんきっき

アスペルガー夫に悶絶する新妻のほんきにっき

アスペルガー夫との喧嘩全貌公開:やったら100倍やり返す

この1ヶ月以上、アスペルガー夫との戦争が続き、やっと先日収束を迎えた。

どっと疲れている。

 

今日はせっかくなので、そのことをネタにして一部始終を詳しく公開してみようと思う。

 

参考になるかはわからないが、アスペルガー夫を持つ妻側の、リアルな喧嘩風景の全貌をお送りできればと思っている。

喧嘩の際、アスペルガーに対しどんな言葉をかけ、どんな心理戦で喧嘩に臨み、どうやられてやり返しているか、これから詳しく書いていきたい。

 

 

アスペルガーなどの発達障害疑いのある夫・妻・彼氏・彼女を持つ方なら共感してもらえるのではないだろうか。

終わることのない、彼らとの不毛な闘いの辛さを。

 

彼ら発達障害の人々と接する中で、日々苦戦するのはその一番近くにいる配偶者や、彼氏彼女だ。

 

日々、喧嘩や言い合いの連続。

ひとつの喧嘩が終われば、また次の喧嘩の種が降りかかってくる。

喧嘩したら最後、その言い合いは交わることのない平行線をたどり、終わりが見えない。

まともなことを言っているこちらがまともじゃないような気がするほど、分かり合えない言い合いが永遠続く。

話は二転三転し、話しているとだんだんこちらの頭がおかしくなってくる感覚を覚える。

 

それほど、彼ら発達障害の人々とは、まともな話はできない。共感も得られない。

解決の糸口が皆無に思えるほど、先が真っ暗になってくる感覚に苛まれる。

 

 

私のここ1ヶ月の夫との戦争は、こんなことから始まった。

 

それは、平和な日々を過ごしていたある夜だった。

その夜、夫が仕事から家に帰ってくると、なんだか微妙な雰囲気だった。

あまり話さず、だまっていた。

彼は、よくそういうことを日頃からするタイプだった。

仕事でストレスを抱えていたりすれば、決まって黙りこくってなにも話さなかった。

 

その夜も、そういう何か仕事のストレスがあるのだろうと、何も話さない彼をそっとしておいた。

 

そうして夜も更けたころ、だんだんお酒も進み、なにやら今度はまくし立てるように饒舌に私に話しかけてきた。

 

内容は、彼はある2人の男性に腹を立てているという内容だった。

一人目は職場の部下。

その部下はどうしようもないほど役職を全うしておらず、その日2時間説教し、彼にひたすら思いをぶちまけたようだった。

それでもまだ彼に腹を立て、その部下の仕事っぷりには心底納得がいかないという内容のことを私にコンコンと説明してきた。

一度話し出すと、もう止まらなかった。

だんだん顔が赤くなり、カッカし出してきたのがわかった。

私は、「あ、なんだかまずい雰囲気だな」と感じていた。

 

そしてもう一人、腹を立てている人の話に発展し、いよいよヒートアップしてきた。

彼は個人的に親交の深いあるセールスパーソンに立腹していた。

なんでも、彼の態度が手のひらを返したような人を馬鹿にする態度をとってきたため、自分はもう彼を許さないといった内容だった。

なんだか暗雲立ち込めるその彼の突然の怒りモードに警戒しながら、巻き込まれぬよう話半分で聞いていた。

もう夜の1時を回っていた。

そんな私の遠巻きな態度に気づき、彼は「もう俺なんて寝たほうがいいよね」

と席を立ち、寝室に向かおうとしていた。

私はそのまま彼が寝てくれるといいなと思い、何も言わずそっと見送ろうとした。

 

その時だった。

 

彼が私の横を通る時に、なぜか私の肩を思いっきり「バシン!!!」と強くひっぱたいた。

そしてそのまま寝室へ歩いていった。

 

私はその瞬間彼に怒鳴った。

 

「なんで私が叩かれないといけないの!!?」

 

でも、彼は耳にも入っていない様子で、そのまま寝室へ向かっていった。

 

いきなり打たれ、文句を言っても気にも留めない彼に私はカチンときて、彼が去った後リビングルームのドアをバシンと締めた。

その「バシン」という大きな音が、彼がキレる引き金になったのだろう。

 

寝室に行った後、その部屋付近から「ドンドン!!!!バンバン!!!!!」

と激しく暴れる音が聞こえてきた。

私は呆れると同時に、恐怖を覚えた。

あぁ、ついに暴れ出した。

一体、何をしているのだろう。

 

その後静かになったので寝たのかと思ったら、10分ほどしたらまたリビングに彼が戻ってきた。

 

私の前に現れた彼は、目が座って完全に危ない顔つきだった。

私は恐怖で、

「一体なにをそんなに暴れていたの?」

「そんなことをされて、一緒に隣で寝ようとは思わないよ。

私は一人リビングで寝ようと思った。

というか、一体私が何をしたっていうの?」

と問い詰めた。

でもその時点で、すでに彼に言葉のキャッチボール能力は完全に失われていた。

代わりにこんな言葉が返ってきた。

 

「俺がリビングで寝ればいいんだろ!!」

 

「そんなに俺が嫌なら出てってやるよ!!!」

 

もう、ダメだと思った。

こんなキレる男とは本当にやっていけない。

家庭をこんなに危険にさらす人とはこれ以上いられない。

 

そうして、彼をリビングに置いて私は寝室へ向かった。

 

そうしたら、寝室への通路がなにかおかしい。

ガラスの破片のようなものが沢山落ちていた。

一体なにが起こったのかとあたりを見回すと、原因がわかった。

彼の携帯だ。

彼の携帯の液晶画面が、ものの見事にバリバリに割れていた。

また、心の底から呆れた。

あぁ、ドンドンバンバン音がしていたのは、携帯を投げつけて粉々にしたからだったんだね。

本当に、危ないこの人。

どう投げたら、こんなに携帯が粉々になってしまうのだろう。

 

 

もう、彼とさよならしないといけない。

いや、もう離婚するしかない。

明日、必ず彼に離婚を突きつけよう。

もう、我慢ならない。

 

 

そういう決意を胸に、その夜私は一人で一夜を明かした。

 

 

翌朝は、彼と顔を合わさないように過ごした。

そうして、彼が帰宅する夜を待って、彼と対決する心の準備を整えていた。

 

彼は仕事中、「何してるの?」などと、何事もなかったようなメールを私に送ってきた。

私は「頭がおかしいの?昨夜の騒動は何事?」とメールを返してみたが、返答はなかった。

そうして、本当に何事もなかったかのような素振りで、彼は夜、家に帰ってきた。

 

「ただいま〜」と何食わぬ顔で帰ってくるなり、彼にいった。

 

さぁ、ここから私がやり返す番だ。

ただで済むと思うなよ。

100倍やり返す闘志に燃える私の、彼への攻撃が始まった。

 

「一体どういう神経で何事もなかったかのように私に話しかけてくるの?」

「一つだけまず一番はじめに聞かせて。

昨日のことはどこまで覚えてるの?」

そう鬼の形相で問いかける私に、彼はこう答えた。

「覚えてたり、覚えてなかったりかな。」

 

「私の肩を思いっきり叩いたのは覚えてるの?」と聞くと、

 

「叩いてないよ。ポンポンってやっただけだし。」

と、完全に記憶のすり替えをしていた。

 

「出てってやるよ!って私に怒鳴ったのは覚えてるの?」

と次に聞くと、

「覚えてない」と彼は答えた。

 

その返答一つ一つが全て私に絶望をもたらした。

あぁ、やっぱりもうだめだ、と思った。

 

発達障害の典型的な症状だが、彼らには「記憶障害」がある。

特に短期記憶が欠けている。

そうやって、昨日のことも忘れてしまうのだ。

また、かすかに覚えていても、自分の都合のいいように覚えている。

悪いことをしても、悪い部分は覚えておらず、記憶を自分のいいようにすり替えていく。

 

彼はこう言って、遅ればせながら反省の色を示してきた。

「昨日はちょっと飲みすぎちゃって、申し訳ないことをしたと思ってる。」

 

私はこう返した。

「原因がお酒だと思ってるの?そうではないよ。

そう思ってる限り、なにも解決できないよ。

原因は発達障害だから。それが問題だと自覚しない限り、永遠に問題は解決できないよ。

急にキレるのもそう。翌日に昨日のことを覚えていないのもそう。

それはお酒のせいではなく、発達障害の症状だよ。」

 

「あなたが自分のアンガーマネジメントができない限り、一生円満な家庭が築ける日はやってこないよ。

自分で必死に、一度自分の怒りをコントロールする方法を探してみるしかないんじゃない?」

 

「でも、もう私はあなたとはやっていく気はないよ。

そんなに家庭の安全を脅かすのが夫であってはいけないでしょう。

次キレたら離婚するって、前回キレた時に約束したよね。

こうやって今回キレて、それは約束通り離婚するよ。

あなたがどれだけ謝ろうが、もう私には関係ないから。」

 

と、離婚の意思を表明した。

 

その時、実際私の離婚の意思は本心80%、ハッタリ20%だった。

 

別に本当に離婚してもいいと思っていた。

また、もし私が折れて離婚しなかったとしても、ここで死ぬほど彼を脅しておいて今後の布石にしようと思っていた。

 

正直、本気で離婚するかどうかは、私自身決めかねていた。

今後の彼の出方次第で、答えを出そうと考えていた。

 

彼の出方は、ただただ平謝りする道を選んだ。

 

ひたすらこういった言葉を並べ立ててきた。

「ごめんなさい。」

「許してください。」

「離婚するのだけはやめよう。」

「頑張るから。」

「もう絶対キレないようにするから。」

 

私はひたすら彼を拒否し、全身全霊で拒絶した。

 

「もう、どう謝ったって、なにをいったって無駄だよ。

やり直す気もないし、今後あなたとやっていく気もサラサラないから。」

「一人で生きていく準備した方がいいよ。もうすぐ私はこの家からいなくなるし。」

「別にあなたがいなくても私は自分の人生幸せに生きられる自信あるからね。」

「もう二度と会うこともないと思うけど、連絡してこないでね。」

「あなたは自分が一番大切だと思ってる人を傷つけて遠ざけることしかできないんでしょう。そうやってこれからも寂しく生きていけばいいんじゃない。」

「後悔してからでは遅いからね。全て失ってから、本当に大切なものに気がつけばいいんじゃない。あなたは、そういうやり方でしか気づけない人間なんでしょう。でも、失ったものは簡単に元どおりにならないよ。」

 

ひたすら、彼にリアリティを持たせる言葉を投げかけ続けた。

 

発達障害者は、想像力が欠けている。リアルにイメージすることができない。

将来のイメージや、誰かがいなくなった後のイメージなんて、実際に起こってみないとわからないのだ。

だから、私がいなくなるとどうなるか、それは、私本人が事細かに彼に説明してイメージさせるしか方法がない。

彼が「妻」という存在を傷つけ、妻が去ったら自分がどれだけ後悔した生活を送ることになるかは、彼にいろいろな言葉でそれをイメージさせるしか方法がない。

 

なので、徹底的に具体的にイメージできる言葉で、彼に想像させることを試みていた。

 

「離婚届にサインしてもらったら、すぐ私は実家に帰るから。

そうしたら、もう私はこの街にいる理由はないから、すぐ家を出るからね。

仕事も辞めるし、引っ越ししたらもう顔を合わせることは一生ないと思うから。」

「そうしたら、今度は自分を大切にしてくれる人を見つけて再婚するから、連絡してこないでね。」

 

発達障害特有かもしれないが、それほど彼らの返答にバリエーションはない。

 

「ごめんなさい。」

「お願いだから離婚とか言わないで。」

「離婚するために結婚したんじゃないから。」

「頑張るから。」

 

彼は同じ言葉でひたすら私を説得し続けた。まったく説得力に欠けるのだが、それが彼の精一杯だった。

 

「数日ちょうだい。そこで離婚するかは答えを出すから。」

と彼にいい、しばらくこう着状態を続けた。

 

 

その時点で、私の中では今回は離婚までしなくていいと結論づけていた。

 

 

なぜなら、彼をずっとみている中で、少なからず結婚当初に比べて改善は見られているからだ。

 

前なら、決して自分が発達障害だとレッテルを貼られることを受け入れられなかった。

でも今回は、私にそう指摘されてもキレ返してくることはなくなった。

真摯に反省している様子は伝わってきた。

以前は、反省することもできなかったのだ。

赤ちゃん並みの改善ではあるが、改善していっていることに、希望を感じることも事実だった。

 

 

また、結婚して2年半。

赤ちゃんがハイハイから、初めて立って歩き出す過程を見守っている気分だった。

成人には程遠い。

でも、いつか必ず走れる時がくる。

そんな、赤ちゃんの過程を見守る心境で、一筋の希望はまだ捨てずに持っていた。

 

 

ただ、離婚しないという決断の線引きとして、彼が次にキレたら本当に離婚するということに同意することが必須だった。

だから、彼に

「次にキレたら容赦なく離婚するからね。それは約束してくれる?」

と問いかけた。

その度に彼は曖昧な返事しか返さなかったが、私は折れなかった。

何度も何度も言い続けた。

次はないということを。

 

彼も「わかった。」と了承した。

そうして数日後、私は彼にこう伝えた。

 

「離婚は今回はしない。

でも、次に同じようにキレたら容赦なく離婚する。

そして、今回離婚はしなくても、簡単にあなたへの気持ちは戻らない。

すぐに好きだと感じることもないし、あなたへの愛情もしばらくは戻ってこない。

だから、すぐ仲良くしてくれと言われても無理だし、時間がかかる。

それだけは理解して。」

 

「そして、約束してほしいことがある。

それは、人が嫌がることはしないってこと。

シンプルだけど、決してあなたができていないこと。

人がされたら嫌なこと。それを私にしない。

そんな人として当たり前のことを、どうかできるように努力していって。」

 

 

こうやって、私は離婚の意思を取りやめ、うわべだけは通常の夫婦に戻ることにした。

 

 

でも。

 

やはり、私の彼への気持ちは、そんなに思うようにいかなかった。

 

 

とにかく、彼のやることなすことにイライラが止まらない。

その後そんな日々が続いて、自分でもコントロールができなくなっていた。

 

彼と出かけても、彼の嫌なところしか目につかない。

彼の言動に、行動に、一挙一動に、イライラが止まらなかった。

それはもう、生理的に彼を嫌う精神状態に陥っていた。

顔を見るだけで嫌気がさした。

触れられるだけで殺気を覚えた。

 

人をもう一度好きになるって、どれだけ難しいのだろう。

人を好きになることは、決して自分でコントロールできない。

 

そう感じた1ヶ月だった。

 

ひたすら、イライラと闘い、その都度イライラする元凶について彼と話し合った。

ある時は彼の身勝手さに、ある時は彼の元カノ関係の出来事に。

来る日も来る日も、なにかしらの出来事が私をイラつかせていた。

 

一つ解決できたかと思えば、またすぐ次のイライラがやってきた。

 

 

もう、止められなかった。

 

そうして、私のイライラに耐えかねた彼は、話し合いを求めてきた。

 

「そんなに俺のことが嫌いなら、もうあなたを手放すしかしょうがないのかなと、自分でも覚悟できてきたんだよね」

「こんなに俺のことを憎らしそうに睨みつけるあなたを見て、もうどうしょうもないなって」

と彼が言った。

 

本当に、彼へのイライラが止まらなかった。

なので、正直に全部彼に話した。

 

「私も自分自身コントロールできなくて。

人を好きになろうって、努力してもどうしても無理だと感じて。」

「もう、頭がおかしくなりそうで。」

「一緒にいるのが辛くて、しんどくて、楽しくなくて。」

 

ひたすら、彼への不満とイライラを本人にぶつけた。

 

そんな時、いつも彼が決まって言うことがある。

 

「じゃぁ、どうしたらいいの?」

 

 

いつも、彼は自分で答えは出せない。

私に解決する方法を問う。

 

なので、今回は彼にこう言った。

 

「人が嫌がることはしない。」

「悪いことをしたら謝る。」

「これからはこう変えていくね、とか、改善方法を示す。」

これだけやって。

 

そんな話をした。

 

全て、発達障害者が苦手とすることだ。

彼らは、無意識に相手が嫌がることをする。

そして責められても謝らない。

そして、想像力が欠けているため改善点もイメージできず、改善方法が示せない。

 

ないものねだりかもしれない。

でも、私はしつこく彼に要求する。

 

苦手だからといって、しなくていいわけではない。

 

人が嫌がることはしてはいけない。

悪いことをしたら謝らないといけない。

こう改善すると示さなければいけない。

 

どれも、小学校レベルだ。

反省文を書く時は、申し訳ないと思うプラス改善方法を書く。

それと同じことのはずだ。

 

大人になって、発達障害だからといってしなくていいことではない。

大人である限り、頭に叩き込んだらできる限り、やらなければならない。

それが、頭に100回叩き込まなければできないのであれば、私が彼に100回叩き込まなければならないかもしれない。

それが発達障害者の配偶者である妻や夫の役目であるのなら、それほどの労力はないかもしれない。

 

私も、それほど彼に費やす労力が、いつまで持つだろうか。

まだ、結婚2年半だからできているだけの話かもしれない。

 

でも、労力がもつ限り、まだ彼への努力は続くだろう。

 

 

こうして、不毛だと思われる1ヶ月の闘いに、一応の終止符を打った。

 

発達障害だと思われる彼に、これだけ事細かく改善を要望しても、実際返ってくる効果は10%以下だと思う。

コスパが悪いことこの上ない。

 

私は今回の長い戦争が終わっても、またすぐ次の問題がやってくることは予想できている。

 

まだ、相変わらず触られたくもない状態だが、我がアスペルガー夫は既に、

「俺たちラブラブだよね〜。」と言ってくる無神経ぶりだ。

 

ある意味、尊敬に値する。

どうすれば、こんなに嫌がられても耐えられるのだろう。

鋼のメンタルを持つのは、いつもアスペルガー側だ。

 

 

我がアスペルガー夫とのある喧嘩は、こんな風だった。

 

みなさんの闘いはどういった風景なのどうだろうか。

 

参考にはならないかもしれないが、アスペルガー夫に必死で向き合う妻側が、どのように彼と不毛な話し合いや終わらない喧嘩を行なっているか、今回詳しく書いてみた。

 

近い境遇にいる方にとって、何か少しでも息抜きになれば幸いです。

 

 

 

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結婚後2年間でアスペルガー夫が改善した5つの症状

いつもとろとろとした更新で大変申し訳ありません。

 

今日は、結婚して2年が経ち、頑固な我がアスペルガー夫の改善した点について取り上げようと思う。

アスペルガーは変わらないのではと疑問や不安に思っている方々へ、少しでも手助けができる内容にできればと考えている。

 

アスペルガーの疑いのある人と接する方なら一度は疑問に思ったことがあるのではないだろうか。

それは、

「努力を重ねると、アスペルガーは果たして改善していくのか」

という疑問。

 

私は、夫がアスペルガーではないかと疑いだしてから、疑問に思い続けてきた。

でも、アスペルガー発達障害の教科書的な本を読んでも書いているのは、

発達障害は、‘障害’ なので治るものではありません。」

「でも、本人が意識して改善することで、症状を緩和することはできます。」

という内容だった。

 

アスペルガーは、「脳障害」と言われる。

つまり、一生お付き合いしないといけないものだということ。

そして、「病気」ではないということ。

つまり、病気ではないから、治る、治らない、という議論はそもそもできない。

 

また、夫のアスペルガーを疑いだした当初の悩みはこれだった。

「本人の自覚が改善において必要なら、本人にどう自覚してもらえばいいのか」

 

まず、私だけが夫をアスペルガーだと疑っている。

その時点で、夫に「あなた、アスペルガーかもね」と指摘する必要があるということ。

これって、想像するだけでもつらいことだ。

だって、アスペルガーだと疑っている相手=簡単にキレる人だということ。

そんな夫に、「あなた、アスペルガーかもね」と言ったら、間違いなくキレる。

そんなことは、容易に想像できた。

 

だから、数週間溜め込んでいた。

言うタイミングを見つけられずにいた。

 

でも、タイミングなんてない。

どんなタイミングで言っても、キレることは間違いなかった。

 

なので、結局、言ったのはこのタイミングだった。

 

「大喧嘩したついで」

 

もう、こちらが夫に激怒しているとき、ついでに言った、というのが結果となった。

ここまで大喧嘩しているのだから、もうどうにでもなれ、というのが私のタイミングだった。

おかげで、彼は見事に発狂した。

「なんて失礼なんだ!」

「あなたがアスペルガーなんじゃないの!」

「そもそもアスペルガーってなんなの!」

と、まくし立てて怒ってきた。

 

と、そんな風にようやく夫に「アスペルガーではないか」という情報を与えた。

それでやっと、第一段階。

そして、次の試練がやってくる。

それは、「相手がアスペルガーだと断固認めない」という事実。

先に書いたように、アスペルガーが改善するための大前提として必要なのは、「本人がアスペルガーだと自覚し、改善しようとすること」である。

なのに、アスペルガーの難しいタイプは、指摘されても認めない私の夫のようなタイプだ。

もちろん、素直に認める人だっているだろう。

でも、私の夫の場合は、認めないタイプだ。

それは、今でも変わっていない。

「俺はアスペルガーなんかじゃない」と、未だに私に言っている。

そういうとき、決まって私は彼にこう問い直す。

「逆にどうして、そんなに自分はアスペルガーじゃないって断言できるの?」と。

そう聞いたら、決まって夫は黙り込む。

なんの根拠もないからだ。

ただ、本人はそう信じてやまないのだ。

 

さて、ここから本題。

そんな「自分がアスペルガーだと決して認めない」アスペルガー疑いのある夫。

教科書的には、アスペルガーだという自覚がないと改善が難しいと言うことができる。

それでは、そんな無自覚の我がアスペルガー夫が、果たして結婚2年でどれだけ変わったか、また変わっていないか。

以下に挙げていこう。

 

結婚後2年間でアスペルガー夫が変わった点

 

1. キレることが減った

 結婚後、一番びっくりしたのは夫が「プッチン」と音を立てるようにキレること。

結婚前にはなかったことだった。

結婚してからそんな彼を知り、腰を抜かすほど驚いた。

そんな本性だったとは。

彼がアスペルガーではないかと疑う、大きなきっかけとなった。

結婚したての頃、喧嘩をすると、

「おい!!!」「こっちに来い!!」「ふざけんな!!」

などと荒々しく大声で怒鳴り、物を投げて大発狂していた。

そんな場面を何度か目の当たりにし、私は身の危険を感じた。

「この人、ちょっと変だ」と感じた瞬間だった。

そこから、本屋に通い、インターネットをくまなくサーチしながら、たどり着いたのが夫は「アスペルガー」なのだという結論だった。

本に書いているアスペルガーの特徴のなにもかも、夫のことを書いているかのごとく一致していた。

夫はアスペルガーだったのかと確信したのはこの時だ。

 

そこから、本に書いてあることを実践した。

それは、下記をしっかり本人に理解させること、という内容だった。

 

「本来、安心安全であるはずの家庭の中でキレるということは、一緒に暮らす相手にとって安全を脅かされるものであること。だから絶対にしてはいけない。」

 

私は夫に上記を伝えた。

家庭で2人しかいない密室の中で、男性にキレられたらどんなに女性が怖い思いをするか。どんなにあなたのことが嫌いになるか。どんなに安心感を削がれ絶望するか。

そんなことを、ひたすら彼に伝えた。

そして、次にキレたら、必ず離婚する。私はそんな安全ではない環境で暮らすことはできない。と伝えた。

本気で、離婚する気持ちで2時間も3時間も必死で伝えた。

 

そこから、彼が大々的にキレることはなくなった。

まだ、喧嘩の際にキレた口調になることはあり、「またキレてるよ」と今も彼に指摘することはある。

でも結婚当初のようなひどいキレ方はしなくなった。

これが私にとっては、一番の救いだった。

あんなキレ方を何年もし続けられたら、こっちの身体がもたない。

ここが改善できるかどうかは、私たちの結婚生活が継続するかのキーポイントだった。

ここが、彼が改善できた一つである。

ここが改善できていることが、私がまだ彼と続けられている大きな理由の一つだ。

 

2. 物を投げなくなった

これは項目1に関連するが、キレた時、結婚当初は物を投げていた。

今思えば、結婚生活という人生初めての枠組みの中で、環境変化についていけずにやってしまっていたことなのだろう。

アスペルガーは、環境の変化に適応するのが苦手だという。

学校や職場など、自分の求められる立ち居振る舞いを習得できたら、その後はその環境の中で生きていくことは得意とする。

でも、結婚生活という未知の環境で、自分が求められる夫としての像がわからないため、結婚当初はそうやってジタバタもがき苦しむ。

それがアスペルガーだったのだろう、と私は感じている。

そのジタバタもがく中、感情が抑えられず、妻からアレコレ言われて頭がついていかず、思わずやってしまうこと。

それが、「物を投げる」という、それはそれは2歳児の行動だった。

結婚当初、喧嘩すると、物を投げるのだ。

でも、相手は2歳児ではなく、アラフォーの成人男性。

女性にとってどれだけ恐ろしいことだろうか。

そもそも、人から物を投げられることなんて、幼児期以来経験するものではない。

そんなことをしてくるのが、アスペルガーだった。

 

この件も1.と同様、物を投げたら離婚する、と散々彼に伝えた。

そんな家庭環境で私は暮らすつもりはさらさらないと。

そうして1.と同様、物を投げることもそれ以来なくなった。

これも改善点だ。

 

3. 人の話を遮ることが減った

彼と付き合っていた時、「よく人の話を遮る人だなぁ」と思っていた。

でも、大したことだとは捉えていなかった。まぁ、よくあることかなと。

ただ、結婚後、アスペルガーのことを調べ始め、愕然とした。

それは、「アスペルガーの症状の一つだった」ということ。

ただの彼の性格かと思っていたのだ。

それが一種の脳障害から来ているものだと知り、彼がアスペルガーであるという確信を深めることとなった。

 

でも、彼自身も仕事上で自分で気づいていたようだ。

ふと気がつくと、「でも!」と相手の話を遮っている自分がいたらしい。

それを、ある夜私に一生懸命説明してきた。

彼曰く、自分の頭の中に言いたいことが浮かんだ途端、すぐ言いたくて仕方なくなるのだそうだ。

だから、そうなればもう相手の話は聞いておらず、全く違う話でも関係なく話を遮って自分の話をしてしまう、とのことだった。

彼がこう聞いてきた。

「最近そういう自分に気づいて、ダメだと思って意識してるんだよね・・」

「やっぱり俺ってそういうとこある??」

 

「あるよ」と私は即答した。

「でも、っていいながら話を遮ってくるからじーっと聞いてると、結局全く違う話するよね」と指摘してあげた。

彼は「え、やっぱり・・?」と、人生初めて指摘されてような反応をしていた。

 

そこから、徐々に話を遮ることが減った。

自分で意識しているのだろう。

アスペルガーの望みがあるところは、そうやって「治るわけではなくても、自覚して努力すれば改善する余地がある」ということだ。

今も、全く話を遮らないわけではない。

でも、遮ってくるたびに「また話を遮ったね」といちいち指摘してあげることにしている。

そうすると、「あ・・またやったかな」と彼も少し反省する。

これも改善点だ。

 

4. 掃除ができていないと指摘しなくなった

アスペルガーの特徴の一つとして「こだわりが強い」という点がある。

私の夫の強いこだわりに、「妻は主婦として家を綺麗にするもの」という固定概念があるようだった。

それは、完全に専業主婦だった彼のお母さんの強い影響だった。

アスペルガーの男性は、自分の母親、父親から「妻とはこういうもの」「父とはこういうもの」妻像、夫像を強く植えつけられ、それが強いこだわりの元となっていることがあるように感じる。

私の夫はそんな家庭環境から、妻の私は「しっかり掃除洗濯をするものだ」というこだわりを持っていた。

そして、時々それをチクチク口に出してくることがあった。

私は共働きの家庭で育ち、自分も専業主婦として生きるつもりはさらさらなかった。

だから、そこまで家をピカピカにするために自分の時間を費やすようなライフスタイルではなかった。

ある日、仕事から帰ってきた夫に、こんなことをされて私は大発狂した。

 

家の棚に置いてある小さなキャニスター(缶のような入れ物)の蓋に薄く埃が溜まっていたのに夫が目を留め、その埃を指で拭い、こう言った。

 

「埃たまってるよ」

 

その瞬間、一瞬私は呆気にとられ、口をあんぐり開けて彼を見つめた。

そしてその直後、彼に大激怒した。

「・・あなた、昼ドラに出てくるお姑さんかなんかなの!?今どき指で埃を拭って、埃溜まってるよって嫌味言う人間って存在するの!?あなた、一体なにもの??というか、どういう立ち位置なわけ!??私は毎日くまなく家を掃除して、一日中埃がたまらないように掃除し続けろってこと!??あなたは、ただの嫌な人間だよ!!」

と、激怒し続けた。

私がそうやって手をつけられないほど激怒すると、彼は決まってだんまりを決め込む。

彼いわく、正しくは、なんて返答するのが正しいのか、頭がフリーズして言葉が出てこないらしい。

そうして私が一方的に彼に怒鳴りまくっただけの出来事だった。

ただ、それ以来、一切私の家事について口出しすることはなくなった。

 

ある日、ふとしたことから彼がこのことについてこんなことを話し出し、びっくりした。

「前に、あなたが俺が埃が溜まってるよって言って大激怒したことあるじゃん?

あれで、確かに俺が悪かったなーと思ってさぁ。

それから絶対そういうこと指摘しないようにしようと思ってるんだよね。

誰だって、そんな重箱の隅を突くようなこと言われたら嫌だよなって思って。」

 

私から大激怒されている渦中では絶対そんなことを口にしない。返事もしないし、ごめんも言わない。

でも、確実に聞いてはいて、反省してくれることもあるんだな、と私も理解ができた出来事だった。

そう思えば、いくら相手がアスペルガーでも、大喧嘩になっても相手にしっかり伝えることは、無駄ではないのかもしれない。

そう感じている。

 

ということで、その「埃溜まってるよ事件」以来、掃除について指摘されることはなくなった。

これも改善点に挙げておきたい。

 

5. 朝起きれるようになった

アスペルガーの特徴として一般的に言われているのが、朝が弱いという点。

朝に起きるのが苦手で、それは脳の障害が影響しているらしい。

私の夫も、付き合っていた4年ほど前までは、頻繁に寝坊しては会社に遅れていっていた。

正しくは、遅れてもあまり咎められない役職なので、それをいいことに適当なウソをついて会社に遅く出勤したりしていた。

 

休みの日も、旅行の約束をしているのに起きず、目的地に着くのが夕方になる。

ダラダラ起きずに新幹線に乗り過ごすはめになる。

など、私もプライベートで多々被害を被ってきた。

 

でも、本当に朝起きるのが苦手なようで、これは一生変えられないのかと感じていた。

でも、ここ最近、なぜか彼はしっかり朝起きれるようになった。

 

たとえ朝早くに出勤しないといけない日でも、一人でそそくさと起き、出かけていく。

昔は、私が起こしてあげなければならず、また起こしたところで起きなかったのに。

 

この改善は、理由がわからない。

本人も、わかっていない。

「俺、最近起きれるようになったんだよね〜」と自慢げに話している。

ただ、あくまで頑張って起きればの話で、朝早く起きるのが心底嫌だという気持ちは変わっていない。

それも脳障害の関係があるのかもしれないが、本人曰く、朝早く起きると一日中調子が悪いらしい。だから、早起きは嫌いだそうだ。

 

単純に、歳の問題だろうか。

歳をとるにつれ、もしかしたら朝起きやすくなるのかもしれない。

とにかく、この点は改善されてよかったなと感じている。

 

なので、参考になるかはわからないが、今現状のアスペルガーの症状があっても、将来的に自然に減るものや、改善するものがあるということにはなるかもしれない。

 

 

以上、今回はアスペルガー夫が結婚後2年間で改善した 5つの症状について書いてみた。

逆に、今後まったく改善していない症状についても書いてみたいと思っている。

 

少しでも、アスペルガーと接する方や、自分がアスペルガーかもしれないとお悩みの方へ何かのヒントになれば幸いです。

 

では、また。

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「人間の姿をした動物」から積極的に逃げるすすめ

今日、書いてみようと思うことがある。

それは、明らかにおかしいという人からは「積極的に逃げる」という方法のすすめ。

 

コメントをいつも読ませていただいて痛感していることがある。

それは、皆「頑張り屋さん」であるということだ。

 

相手が発達障害ではないかという疑いがありながら、相手の悪いところに目をつぶり、「受け入れてあげよう」「我慢しよう」「許してあげないと」と思う。

一生懸命、自分を犠牲にしてまで、相手と一緒に居ようと努力する。

「私さえ我慢すれば、うまくいくのでは」

「もっと私が寛容になれば、うまくいくのでは」

そう思って日々苦しみながら努力を重ねる、頑張り屋の方が沢山いらっしゃるように感じる。

 

日本人の基本的特性として依然として存在する、努力すること、我慢すること、男性を立てること、口出ししないことの美徳。

特に女性にとって、そんな求められる「日本人的女性像」を全うしようとする意識が強いように思う。

そして、そんな固定概念により、多くの人が苦しんでいると感じる。

 

もちろん、女性の優しさや心の柔軟さは美しいが、それでも、気をつけないといけないこと。

 

それは、

「物事には限度がある」

ということだ。

 

もちろん、人に優しくしたり、彼や彼女や夫や妻に惜しみない愛情を注ぐことは美しい。

でも、もし相手がどうしようもない「ダメ人間」だったり、「最低な人間」だったりする場合は、どうなのだろうか。

 

上記のような人間の鏡のような行動というものは、基本的には通常の人間に対して行うべきことだろう。

 

極論を言えば、暴力を振るうような人間や、ましては人殺しを犯すほどの人間に対して、そのような人間に「優しく」振る舞う必要はないことは、誰でも理解できる。

 

それでは、そこまで極端ではなくても、「暴言を吐きまくる」「物を投げつける」「精神的に病むほど自分を追い込む」ということをする発達障害のパートナーに対し、こちらがそういう風に優しく、怒りもせずに付き合うことが正しいのだろうか。

 

そのあたりの考え方が混乱してしまっているように感じる。

 

もちろん、人として「優しく、愛情深い人間」でいることは大切だ。

だけど、パートナーが自分を攻撃してくる、精神的に病むほどにダメージを与えられる場合。

その場合の正しい判断は、「向き合わず、積極的に逃げること」だと私は考える。

 

その判断基準の一つはこれだ。

 

「相手が、人間らしいかどうか」

 

一体、人間らしいとは、どういうことだろうか。

 

それは、動物ではないということ。

 

今自分が、人間の姿をした動物と付き合っていないか、結婚していないか、一度考えてみてはどうだろうか。

 

 

人間と動物の違いを整理してみる。

 

両者共通の特徴は、

・愛情がある

・喜怒哀楽がある

・本能がある

 

人間にあり、動物にないものは、色々な議論があるだろうが一つは、

・理性がある

 

と書いてみることにする。

 

そうすると、例えば下記のような相手は果たして「人間」と呼べるだろうか。

 

 

<キレだすと止まらなくなり、物を投げたり、しまいには家の中に唾を吐く>

こちらは何を隠そう、我が家の夫が行なった2年前の出来事。

こういう行為、上記に書いた内容に照らし合わせて、果たして「人間だ」と言えるだろうか。

人間には理性がある。

理性とは、「していいことと悪いことの判断ができること」だ。

言い換えると、「家の中で唾を吐くこと=してはいけないこと」と判断できるのが人間である。

そして、その判断を元に、いくら唾を吐きたくなっても「我慢できる」のが理性を持つ人間である。

それができなかった我が夫、それが「人間の姿をした動物」の一例だ。

 

それでは、「どうしてそんな人とまだ一緒に居るの?」とつっこみが入るだろう。

 

それはなぜかというと、改善したからだ。

 

私はそこで一切彼に容赦なかった。

 

私は元々変わっているので、日本人的女性像など微塵も備わっていない。

なので、家の中で唾を吐いた夫に対し「この人、おかしい」と感じた瞬間、私から夫への猛攻撃を開始した。

 

私の優しさなど皆無だった。

おかしいものはおかしい。

この人、変だ。やばい。

徹底的に打ちのめさないといけない。

 

私がしたことは、夫を死ぬほど怒り倒したことだった。

 

夫を全否定し、人間として最低の人間であることを伝えるべく全身全霊で発狂した。

それはそれは暴れながら、離婚すると散々脅し、キレて、今後もし同じように物を投げたり唾を吐くことが一度でもあったら容赦なく離婚することを宣言した。

 

そうして、それ以来彼は物を投げることも、唾を吐く事もなくなった。

 

だから、今こうやってまだ離婚せずに、その夫と一緒に暮らしている。

 

でも、もしそうやって改善ができず、相変わらず物を投げられたり唾を吐かれたりしていたら、一切の情も切り捨て、離婚していただろう。

そんな動物から成長できない人間は、人生において、必要なパートナーであろうはずがない。

 

改善ができるということは、理性があるということだ。

 

改善ができない人間がもし近くにいるとしたら、逃げたほうがいい。

それは、人間の姿をした動物だ。

 

でも、こちら側もすることがある。

 

それは、優しく接するだけではなく、しっかり怒ること。

怒ることもできないのであれば、相手うんぬん以前に、自分に問題がある。

動物的な行動をとる人間には、怒らないといけない。

人間的に異常な人が自分を傷つけるなら、しっかり怒らないといけない。

自分はそのくらい、大事な存在だからだ。

自分を傷つけていい人間など、いないのだ。

「自分はいいのよ」と自分を大切にできない人は、まず自分を変える必要がある。

自分が大切にしないといけない存在は、他人だけではない。

まずは「自分」である。

 

それをしっかりわかった上で、自分を傷つける人間とは、毅然とした態度で戦わなければならない。

 

そうした結果、相手が人間とは思えないほど本能のままに生きる動物のような異常な人間なのであれば、積極的に逃げないといけない。

いつまでも付き合っていてはいけない。

 

「相手が自分を愛してくれているから」なんてことは、どうでもいい。

なぜなら、愛することは動物でもできるのだ。

人間だけの特性ではない。

 

猿だって、犬だって、鳥だって、求愛し、異常なまで相手を追いかけることだってある。

そのような動物だってしていることを、ありがたがって受け取ってはいけない。

 

 

逃げるか付き合うかの判断は一点、「人間らしいかどうか」にかかっている。

 

 

もし、相手と別れようかどうか判断に迷っている中で、こんなことを考えて踏みとどまってしまうとしたら。

 

「だって、こんなに私を愛してくれる人はもう現れないかもしれない」

「私がいなくなったら相手の人生がどうなってしまうのか心配」

「私さえ我慢すれば上手くやっていけるかもしれない」

「あの人の魅力的な部分にどうしても魅かれている自分がいる」

「自分も相手と別れたら寂しくて、これからどうやっていけばいいかわからない」

 

 

視点を変えて、下記を考慮してよく考えてみてはどうだろう。

 

愛することは、動物でもできること。ありがたがるほどのことではない。

自分が大切にするべき優先順位は、1番に自分、2番に他人であること。

我慢して、自分を犠牲にしても良い方向には決して進まないこと。

誰でも魅力はある。それよりも「人間的」であるかで判断してみること。

「寂しい」という感情に振り回されないこと。

もし自分が自分の感情に振り回されているなら、自分も同様に人間らしい「理性」が足りていないのかもしれない。

そういう自分の動物的なところと、相手の動物的なところの調和がとれているから離れられないのかもしれない。

釣り合っているから一緒にいると、よく言われる。

「寂しい」という感情が永遠に続くことはない。

コロコロ変わる自分の感情をコントロールすること。

そうやって自分が変わることで、相手との関係性も変わるだろう。

 

 

最近、特に私自身が肝に命じていることがある。

 

それは、

類は友を呼ぶ

というよくできた古くからの教え。

 

これは、本当だと思う。

このことをいつも頭に入れ、私も今ずっと学んでいる最中だ。

夫に対し、どんなに思うことがあっても、果たして自分はどうなのか。とよく考えることにしている。

 

人間、どんなひどい人間といても、なにかしらの共通点があるのだ。

大事なのは、その関係の中で自分を鏡のように見つめ直し、自分から変わる勇気を持つ事だと思っている。

 

何事も自分から。

自分が苦しくて仕方がないときは、何かが間違っているという証拠だと、最近特に感じている。

 

相手が変わってくれれば。

相手だけが悪い。

 

そんな考えに頭が支配されている限り、何も状況は好転しない。

 

答えは、常に自分にある。

 

自分が行動すること。

 

怒れない人なら、怒れるように自分を変える。

怒ってばかりの人なら、怒らないように自分を変える。

逃げる勇気が持てないのなら、積極的に逃げられる自分に変わる。

逃げてばかりなら、逃げない自分に変わる。

優しすぎてなめられるなら、毅然とした態度をとる自分に変わる。

人に優しくできない人なら、思いやりを持つ自分に変わる。

 

人は、完璧ではない。

私は、最近夫に対し「怒ってばかりいる」ことに気づいた。

そして、それを変えてみた。

小さなことでイライラして怒ってしまう自分。

その自分と、いちいち私を怒らせる夫。

その釣り合いが抜群だったことに気が付いた。

 

だから、その釣り合いのバランスを崩そうと、自分が変わる決意をした。

夫の言動行動を改善させる努力を手放し、自分がいちいち小さいことで怒らないよう、変わる努力をし始めた。

 

そうすると、事態は不思議なほど好転していった。

なぜか、揉め事が起こらない。

なぜか、物事が上手くいっている。

 

不思議なのだが、そういうものなのだろうと感じている。

 

変わるのは常に自分から。

行動を起こすのは自分から。

 

そんなことの重要性を最近痛感している。

 

少し、精神論的な響きがあるので、あまり受け入れられない人もいるかもしれない。

あまりに状況がキツすぎる時には、耳にもいれたくない内容かもしれない。

 

でも、なにか些細なきっかけで、人の人生は好転するのだと思っている。

なので、そんな一握りの方にでも、何かのきっかけになればと思い、書いてみた。

 

 散乱した文章となってしまったが、まとめると、

 

・自分に対しひどいことをする人に怒れない優しい人は、怒る努力をする

・あまりにも人間的ではない変な人とは付き合わず、積極的に逃げる

・自分を変える勇気を持つ

 

ということ。

 

少しでも何かお役に立てれば幸いです。

では、また。

 

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「自分は不幸だ」と愚痴っていても全く幸せには近づかない

また、1ヶ月ぶりほどの更新具合となってしまった。

沢山のコメント、いつも心から感謝している。

いつも大切にひとつひとつ、読ませていただいている。

そして、皆さんの色々な状況を伺いながら、ありがたい学びを沢山頂戴している。

 

さて、我がアスペルガー夫と結婚してから最近ようやく2年が経った。

よく、ここまでやってこれたと思っている。

 

そして最近、大きな変化があった。

それはそれは、自分にとって大きな変化だった。

 

ようやく、一山越せた、と感じた経験だった。

 

何があったかと言うと。

 

それは、2年苦しんで、そろそろお知らせがきたような感覚だった。

ようやく、悩みや苦しみから解放されたような、不思議な経験だった。

 

具体的に、何があったわけではないのだ。

 

実際にあった出来事はというと、2つ。

 

1つ。

ここ2年を振り返り、アスペルガー夫に、

「私はこの2年、ひたすらあなたと一緒に居て不幸だった。」

と恨みつらみを言いまくったこと。

 

2つ。

結婚記念に、海外旅行に行き、旅行先での彼の言動行動に2度ほど大発狂したこと。

 

 

そんな2つの出来事を終えた後、変化があった。

 

 

「なにかがおかしい。」と感じた。

 

 

この2年、ずっと頭によぎっては、納得できない言葉と戦ってきた。

それは、ある有名な方のこんな言葉。

 

 

「相手は変えられない。」

 

 

ずっと、相手は変えられないと頭ではわかっていた。

それでもこの2年間、私がやってきたことは、

「どうしたらこのどうしようもないアスペルガー夫を変えられるか」という取り組みだった。

そしてこの2年間、全くうまくいかなかった。

その結果、こちらの心が疲弊してしまっていた。

 

 

夫と一緒にいても楽しくない。

幸せを感じない。

好きという感情も消え去ってしまった。

触れられたくもない。

嫌いで仕方がない。

 

 

こんな負の感情しかない状態だった。

 

それでも一緒にやっていくには、どうにかして

「相手を変えなければならない」

そんな思いで必死に、どうすれば相手が変わるのか考えて行動してきた。

 

 

それが、そもそもの間違いだったのだ、ということが、経験を持ってついにわかった気がした。

 

 

色々やってみたけど、やっぱり真理は正しいようだった。

 

「相手は変えられない」

 

この事実は本当だった。

 

 

2年掛けて、それがようやくわかった。

 

 

本当に必要なのは、

 

「相手を変える」ことではない。

 

「自分が変わる」ということだった。

 

 

こういう言葉は、よく聞く言葉かもしれない。

 

我々のように、不幸だと思い込んでいる人間には、

私も含め綺麗事のようにしか聞こえない言葉だった。

 

でも、本当に、本当のことだった。

 

 

それでは、「自分が変わる」っていうけど、具体的に何をするの?

という疑問が浮かび上がる。

 

 

それは、

簡単に言ってしまうと、2つある。

 

ひとつはこれだ。

 

 

「感謝すること」

 

 

 

これまでうまくいかないのは、感謝が足りない、というサインだったようなのだ。

 

 

たしかに、この2年、夫を恨み憎むことはあれど、夫に感謝したことなど、微塵もなかった。

 

でも、実はお給料を毎月持って帰ってきてくれるおかげで私は生活ができていた。

料理を作ってくれたり、私が風邪を引けば家のことを引き受けてくれたり、

彼なりに色々と歩み寄る努力をしてくれていた。

 

そのことに対し、私に感謝の心はなかった。

まぁ、日頃私が色々してあげているから、当然だというくらいの心持ちだった。

 

 

相手に対して感謝の気持ちを持つこと。

それを相手に伝えること。

 

 

そして、どんなひどい相手でも、自分に釣り合っているから一緒にいるのだ。

 

相手の嫌なところ、自分がイライラするところは、自分の中にも同じことがあるのだろう。

鏡として、それを見せてくれている。

 

そして、そういうことを気づかせてくれるために、相手というものは存在しているのだろう。

 

自分のそばにいる相手は、自分の成長のためにあえて存在してくれている存在なのだろう。

 

 

書いてしまうと少し精神論的に聞こえてしまうのだが、

そんなことがなんとなく理解できた。

 

 

 

もう一つ。

 

それは、

 

 

「自分を許すこと」

 

 

これまで、アスペルガー夫のことが許せなかった。

でも、本当に許せなかったのは、まぎれもない、自分自身だったことがわかった。

 

本当に許せなかったのは、そうやって夫に恨みつらみをぶつけて生きている自分自身だった。

 

そんな自分がやるせなかったのだ。

何をしていたかというと、無意識にそんな自分を責めてしまっていたのだろう。

 

それが、いけなかったようだ。

 

完璧な人間などいないのだ。

人間は、みんな未熟。

だから、アスペルガー夫のああいうところやこういうところを許せなくても、本当はいいのだ。

だめなのは、そんな自分を「ダメな人間だ」「こんな夫を選んでしまった自分はダメだ」と、自分を責め続けることだ。

 

そんなことが、最近ふとわかるようになった。

 

 

そうすると、不思議なことが起きた。

 

 

 

夫への感情が戻ってきたのだ。

 

触られても大丈夫になった。

好きだな、とも感じられるようになった。

 

無感覚で、感情を失ってしまったように感じていた自分に、感情が戻ってきたような不思議な感覚を覚えた。

 

 

 

それはやはり、自分が考え方を変えた結果だった。

 

 

 

相手を変えようとしているうちは、辛いことしか起きない。

 

それでも、そうやって苦しくもがく期間がなければ、学ぶことはできなかったのだろう。

 

苦しい経験があるからこそ、わかったのだと思う。

 

結局、変わるのは自分でしかないのだ。

 

 

 

この話、聞きたくない方がいるのかもしれない。

 

でも、同じ状況の方に、もし役に立てばと思い、書いてみた。

 

 

同じ境遇で辛い日々を過ごしている方に、捧げたいと思う。

 

 

相手は変わらないということ。

相手への感謝が足りていたのか、問うてみるのはいかがだろうか。

そして、自分を許せているか、確認してみてはどうだろうか。

 

 

コメントなどを読ませていただいていると、自分を責めている方がたくさんいるように感じる。

私も例外に漏れず、自分を責めている一人ではあった。

 

みんな、真面目で頑張り屋で、真剣に生きている方ばかりなのだ。

そして、自分が悪いのでは、と自分を責め続けているのだ。

 

でも、どんなに輝いているように見える人間だって、皆未熟なのだ。

皆、日々学びながら生きている。

 

未熟な自分を認めること。

そんな未熟でも、頑張ってやってきたことを褒めてあげること。

そんな自分でもいいじゃないと、許してあげること。

 

 

アスペルガーとの付き合い方に悩んでいる方に、特に伝えたいと思う。

 

自分を許してあげてください。

未熟な相手も許して、一度でいいから、感謝してみてください。

 

 

どうかみんなで、一歩一歩、明るい人生が歩めますように。

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おバカな子犬をしつけるがごときアスペルガー夫の調教事情

かなり久しぶりの更新となった。

最近はコメント欄にいただく内容に返信するのみで、お便りコーナー化させてしまっていた。

みなさまからいただくコメント内容にいつもこちらが逆に励まされたり、共感させていただいたり、とてもありがたく交流を楽しませていただいている。

ただ、いただいてばかりでは申し訳ない。

しっかり今日は更新してみたいと思う。

 

さて現在、ようやく我がアスペルガー夫と結婚し、丸2年が経った。

その間、本気で離婚するかを話し合ったのは、3回。

半年に1回は離婚危機を迎えていた私にとって、2年を迎えたのは私にとって奇跡のように感じている。

 

夫がアスペルガーだとわかった当時、私は発達障害関連の本を読み漁っていた。そして絶望していた。

なぜなら、うまくいかなかった事例しか見つけられなかったからだ。

本に載っていたそのほとんどの夫婦が破綻を迎えていた。

どうやってそんな情報を参考にすれば??

上手くいっている事例は一体どこに??

私の頭の中ははてなでいっぱいになっていた。

 

アスペルガーの夫や妻を持つ、約90%が離婚する」というようなデータが、私の頭の中をぐるぐる駆け回っていた。

 

新婚で夫がアスペルガーだとわかった自分は、お先真っ暗になっていた。

巷に、アスペルガー夫と上手くやっている事例を一つも見つけられないなら、自分も例に漏れないのでは?

そう思うと、全くこれからの結婚生活が上手く行く気がしなかった。

思えばそこから、自分なりにアスペルガー夫と戦う方法を模索する日々が始まった。

 

そうして2年が経った今。

わかったことがある。

 

 

それは、アスペルガー夫と上手くやっていくためには、

 

とてつもなく地道で骨の折れる「アスペルガー夫への調教」をし続けなければいけない

 

ということ。

 

今日はそんなアスペルガー夫の調教事情について、

①どれほど過酷で辛く骨が折れるものなのか

②具体的な調教例

 

について語ってみたい。

 

まず、

 

①どれほど過酷で辛く骨が折れるものなのか

 

イメージしていただきやすいように、似たようなイメージがないか探してみた。

一番近いのはこれだと思う。

 

 

「他の犬よりおバカな子犬のしつけをする飼い主の状況」

 

 

犬は通常、割と賢い動物だ。

しつけをすれば、順調にトイレの場所など、人間に合わせた生き方を学んでいってくれる。

ところが、そんな通常のしつけが学習できないちょっとおバカな犬が家にやって来たら、どうなるだろうか。

しつけてもイマイチ覚えてくれず、色々やらかしては家の皆に迷惑をかけるようなワンコ。

家にいるアスペルガー夫は、そんなワンコに一番近い。

 

 

例えばこんなイメージ。

 

子犬を飼い始めた。

「トイレはここ!」

と100回教えても覚えてくれず、家がどんどん汚くなり、絶望する。

それでもこちらが辛抱強く教え続ければ、きっとそのうち覚えてくれるはず・・!

そんな期待を持って、人間側は根気強く教え続ける。

でもなぜかその犬は他の犬よりはるかに覚えが悪いおバカ犬のようで、いつまでも覚えてくれない。

「なんでこんなに言うことを聞いてくれないの・・」

「この子とこれから一緒に暮らしていけるのかしら・・」

「なんでこの子を選んでしまったのかしら・・」

「でも一緒に暮らさないとわからなかったし、誰のせいでもないし・・」

 

などと思い巡らすが、一度飼ってしまったものは仕方がない。

この覚えの悪いおバカ犬を育てる覚悟を決め、根気と辛抱を持ってこの犬をしつけようとする。

それでも、ベッドの上でおしっこされたり、ソファーを噛みまくられたり、全く言うことを聞いてくれないこの犬に、日に日にイライラが溜まってくる。

時に怒鳴り散らしても、一瞬シュンとなるだけで、次の瞬間には怒られたことも忘れてまたソファーを噛み噛みしている。

バコンと殴りたくなる気持ちを抑え、必死で本やインターネットのしつけ情報を読み漁り、対応策を練ることにする。

犬が嫌いな匂いをシュッシュスプレーしてみたり、犬が怖がる音を鳴らしてみたり。

100回言ってもわかってくれず、それでも根気強くしつけ続ける。

血のにじむ努力の末、少しずつおバカ犬も学習し、5回に4回は決められた場所でトイレもできるように成長した。

あー、少しは覚えてくれた。よかった・・。

 

と、ほっと一息ついたのもつかの間。

次は散歩デビューすると、新たな問題が発生した。

通りかかる犬や人間、自転車などすべてに吠えて噛みにかかっていく。

また、新たな調教が始まる。

毎日散歩に行き、犬に噛みにかかったら「ダメ!!」

人間に噛みにかかっていったら「ダメ!!!」

また根気強いしつけの日々が始まる。

100回言いつづけ、調教の末、5回に4回はようやく散歩中もいちいち噛みつかなくなってきた。

あー、この問題もようやく解決かな・・。

と、ほっと一息ついたのもつかの間。

 

そろそろ一人で留守番をさせるようになると、今度は嫌がらせで家中におしっこをするようになった。

また新たなしつけの苦難が始まる。

100回教えても覚えてくれず、日に日に家の中は荒れていく。

飼い主のストレスとイライラは募り、ついキツく子犬に当たってしまう。

でも、子犬側はノーストレス。

その上人間へのラブは深く、飼い主へスリスリ擦り寄り、惜しみない好意を寄せる。

いくら怒鳴り散らされても、愛情は変わらない。すぐ飼い主の元に駆け寄ってはべったりくっついて離れない。

 

 

こんな子犬を、アスペルガー夫に全て置き換えてみていただきたい。

 

 

犬の飼い主が定型の妻。

おバカな子犬がアスペルガー夫。

 

もちろんアスペルガー夫はまったくおバカではないのだが、家での振る舞いは、ちょっとおバカな子犬にそっくりだと私は感じている。

 

我がアスペルガー夫と、妻側の私の間で起こっている日々は、まぎれもなく上記の子犬と飼い主の状況のようである。

 

毎日、何かの問題があり、100回アスペルガー夫に注意しても伝わらず、しまいには忘れ去られる。

なにかが解決したと思えば、また次のトラブルが起こる。

注意されている夫側は、呑気でノーストレス。

注意し続ける妻側はイライラしすぎてストレスフル。

 

妻側のキーワードは「根気」「辛抱」「大きな心」「許す力」「前向き」「アンガーマネジメント」

 

アスペルガー夫側のキーワードは「自由」「気まま」「楽しい」「好き」「フレッシュスタート」

 

飼い主とおバカな子犬側で、どちらが苦労しているかは明白だ。

少なくとも、いくらおバカでも、犬はかわいい。

見ていれば癒されるし、なつけば可愛いし、ふわふわの毛を触っていればこちらのストレスも吹っ飛ぶかもしれない。

 

でもアスペルガー夫を見ていても癒されないし、触ってもなんのご利益もない。なついてもうっとうしくて仕方がない。

結果、子犬より断然、アスペルガー夫の調教の方が過酷で辛く骨が折れる。

 

 

 

さて、それでは次。

 

②我がアスペルガー夫の具体的な調教例

 

アスペルガーの大きな特徴である「謝らない」についての我が家の調教例をひとつご紹介したい。

 

先に言ってしまえば、

 

・謝らない夫 → 100回指摘してなんとしても謝らせる

 

という調教をしている。

 

発達障害の本などで書いていることって、リアルな夫婦生活では役に立たないことが多い。

例えば、「アスペルガー当人は悪気があってやっているわけではありません。」という情報。

定型の妻側からすると、「だから何?」と思う。

 

悪気がなくても、悪いことをしたらだめではないか。

それ、小学生も一緒だと思う。

例えば小1の男子が、ある女子を好きで、好きだからつい力が入って突き飛ばしてしまったとする。

その男子はもちろんその女子が好きなわけで、悪気はない。

でもだからといって悪くないわけではない。

もちろん女子が痛がっていたら心配するべきだし、謝らないといけない。

 

それがアスペルガーの話になると、「彼ら、彼女らには悪気がないんですよ。だからそれを理解してあげましょう」というような、定型側に理解を促すものが多いように感じる。

 

私はいくら悪気がなくとも、悪いことをされたら謝ってほしいし、痛がっていたら心配してほしいと思っている。

だから一切妥協はしない。

 

夫がなにか悪いことをしたら、もちろん夫側にはいつも悪気はないが、そんなことは構わない。

徹底的に謝らせることにしている。

 

具体的には、こういった言葉を容赦なく浴びせる。

 

「ごめんなさいって言って」

「謝って」

「そういう時って人は謝るんだよ」

「私ならごめんねって絶対言うけどね」

「どれだけプライドが高いの?ごめんなさいくらい言えないの?」

「あなたのごめんなさいは言ったら減るわけ?」

「減るものじゃないものをどうして言えないの?」

・・・

 

こういう感じで詰め寄ると、いつも決まって夫は発狂する。

アスペルガーは、詰めて怒られると逆上するのだ。

 

そんな時の夫の返事のレパートリーはこんな感じだ。

 

「どうして何百回も謝らないといけないんだ」

「ぜったい俺は謝らない」

「謝りたくない」

「どうして謝れって言われないといけないんだ」

「どうしてそんなに上から物を言うんだ」

 

こういった、謎の返事が多数返ってくる。

一度も謝っていない中で、なぜ「何百回も謝っている」と思えるのか、不思議でならない。

でも、さっきの子犬と飼い主ほど、頭の構造が違うのだと思う。

ケロッと全て忘れることができる頭のようだから、逆に何百回も謝ったと記憶をすり替えることもできるらしい。

 

こういう不毛なやりとりを、100回以上し続けている。

それでも、私は折れるつもりはない。

私も人間だし、彼に悪いことをされれば、謝ってもらうべき存在だからだ。

そんなに彼の「悪気がなく悪いことをしてしまう特性」についていくつもりはない。

いくらそれで喧嘩になっても、意地でも「ごめんなさい」と言わせてやろうと思っている。

 

おバカな子犬をしつけるように、なかなか報われないのはわかっている。

こうやっていくら「謝れる人間になれるよう」調教を試みても、成功するのは10年後かも20年後かもしれない。

でも、ある意味「覚悟」を決めて一緒に暮らしているため、試行錯誤する決意ではある。

少なくとも、まったく調教せずに、20年後に同じ結果よりはいいだろう。

 

 

 

今日は、アスペルガー夫の調教/しつけ事情を、おバカ子犬を引き合いに出して上げてみた。

お役に立てるだろうか。

少しでも、アスペルガー発達障害に関わる人々の悩みのささやかな息抜きになれれば幸いである。

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手がつけられないほど子供っぽい我が2歳児アスペルガー夫の言動行動10個

こんにちは。

ここ数日、朝の情報番組で「発達障害」について取り上げられている影響か、当ブログにびっくりする程のアクセスをいただいている。

 

だんだんと社会において「発達障害」や「アスペルガー症候群」「ADHD」などについての認知が広がっていることは大変嬉しく思う。

モデルの栗原類さんが発達障害であると社会に発信してくれた影響もとても大きいと感じる。

ああやって勇気を持って社会に「生きづらさ」を告白し、社会における発達障害に対する理解を促進してくれる働きは、本当に感謝したい。

この流れで私のような発達障害と思われる夫を持つ妻側の生きづらさも、また徐々に社会において理解されていく可能性を感じている。

 

さて、昨日の朝もテレビをつけるとそんなホットな「発達障害について」の特集が放送されていた。

見たい気持ちは山々だが、私はそそくさとテレビのチャンネルを変えた。

これは絶対、夫に見られるとまずい。

 

夫は基本的に「俺は発達障害なんてものじゃない」と思い込んでいる。

そんな夫がそんなテレビを見た日には、朝っぱらから一悶着起こる可能性がある。

朝から家庭がザワつくことを避けるため、夫がその番組を見ないよう変に気を配っていた。昨日はそんな朝だった。

 

最近私は新しく始めた仕事で忙しく、全くブログを更新できていなかったが、こうやって沢山こちらにお越しいただく方やコメントを残してくださる方に逆にいつも励まされている。

少しずつでも書き続けていきたいと思い、今日は夫が飲み会に行っている隙に更新したいと思う。

 

 

さて、今日は我が家の2歳児アスペルガー夫がいかに子供っぽいかについて、詳しく書いてみたい。

 

サーチエンジンでも「アスペルガー 子供っぽい」と検索している方も多いようだ。

我が家のアスペルガー夫も例にもれず大変子供っぽい。

 

よく言うと

「少年のようなピュアな心を持つ男性」

 

単刀直入に言うと

「わがままで自分勝手な男」

 

である。

 

物事にはいつも裏表があるというので、できるだけ夫のいいところを見ようと常に気はつけている。

でも、やっぱりアスペルガー夫が子供っぽいという事実は変わりはしない。

アスペルガーの特性は、ましにはなっても完全になくなることはないからだ。

 

 

そういうことで早速、我がアスペルガー夫が子供っぽいと感じる言動や行動を10個ご紹介していこうと思う。

 

 

アスペルガー夫の子供っぽい言動行動10個

 

1)好き嫌いが多い

 

これはアスペルガーの大きな特徴。

アスペルガーは「感覚過敏」という特性があり、食感や味などで選り好みが激しく好き嫌いがとても多い。

私の夫はウリ系の食べ物の食感がキラいで、きゅうりやあれやこれやが食べられないと言う。

ほうれん草は好き。ちんげん菜は嫌い。

えのきは噛むのがめんどくさい。

フルーツキラい。生魚キラい。

かぼちゃはイヤ。ピーマン嫌い。セロリは好き。

 

カレー好き。

ラーメン好き。

ナポリタンパスタ好き。

 

・・・・

 

小学生かーい。

 

発達障害かもと言われるイチローさんもカレーばかり食べていらっしゃるらしいが、うちの夫はラーメンばかり食べる。

「早死するよ?」と100万回警告しているが、聞く耳は持っていない。

「なんでそんなにラーメンばかり食べるの?」

という私の質問に対し

本人いわく「ラーメン以外が好きじゃないからかなぁ」とのこと。

 

うーん、意味がわからない。

 

 

2)失礼なことを平気で言う

 

アスペルガーは思ったことをすぐに口に出してしまう。

なのでよく我がアスペルガー夫は私を怒らせる。

中でも一番言ってはいけないよと言い聞かせ続けていて、相変わらず言ってくるのは以下のような言葉。

 

・ちょっと太った?

・プニプニだね

 

一応お断りすると、私はあくまで普通の体型の人間だ。

一般的によくあるように、日々微妙な体重変化に一喜一憂しながら生きている女性だと思われる。

少し食べ過ぎて体重が増えたり、冬になったらちょっと太ったり、ヨガをしてみたりジムに通ってみたり、1kg減った増えたと一喜一憂しながら、それなりに生きている。

女性にとって本当に無駄だと思うのが、夫からのこういった「太った?」関連の発言なのだが、アスペルガー夫にはいくら言わないでいいよと言っても伝わらない。

思ったらすぐ口に出し、わざわざ触ってきてはいちいち「プニプニしてる」とご丁寧に事実を伝えていただける。

あんまり頻繁に言うので、いい加減イラッとしてくる。

本人いわく「いい意味でプニプニしている」のだそうだ。

 

1日1回ペースで言われるため、本気でうっとうしい。

本当に相手が言われて嫌がっているのに気づかず、永遠と失礼な発言をし続けるのがアスペルガー夫である。

 

 

3)ごめんなさいが言えない

 

とにかく我がアスペルガー夫はプライドが高いので、いくら自分が悪くても絶対言わないのがこの言葉。

 

「ごめんなさい」

 

 自分が悪いことをいくら心から自覚していても、絶対に謝らない。

 

代わりによく言うのは、こんな言葉たち。

 

「もうそんなこといいじゃん」

「なに食べる?」

「おなか減ったね」

「明日なにするの?」

 

 

 とにかく、自分が責められている状況から逃げようとする。

まるで何もなかったかのように、日常会話を試みようとする。

 

でもこちらはまともな人間なので、なにもなかったことにはできない。

 

毎回、私は何時間掛けてでも彼を謝らせる。

 

もう、「ごめんなさいと言わせようゲーム」と名付けたい。

そのぐらい我が家で定番のゲームと化している。

 

その度、我がアスペルガー夫は、1度も謝ってないのに「何度も謝っている」と記憶をすり替えることをなぜかいつもするため、「どうしてこんなに何百回も謝らないといけないの!!??」とブチギレしてくる。

 

ここが私には不思議で仕方がない。

「ごめん」の一言を一度も発していない状態で、どうやったら「自分は何百回も謝っている」と思えるのだろうか。

彼の頭の中は宇宙だ。

 

アスペルガーは責められると発狂したり、相手を逆に攻撃し出すので本当に注意が必要だと感じている。

 

 

4)テレビが大好き

我がアスペルガー夫はとにかく家でテレビが付いていないと落ち着かない。

私はテレビを見ないのだが、彼は帰ってくると即テレビを付け、朝起きたら即テレビを付ける。

私がテレビを消すと文句を言い、すぐ付ける。

 

彼いわく「テレビの音がないとさみしい」のだそうだ。

 

私は「そんなにテレビばかり見てたら頭膿むよ?」と警告しているが、もちろんこれも聞く耳は持っていない。

 

「テレビは何時までね!!」

と言わないと、ずーーーーーっと見ている。

 

「なにがおもしろいの?」

と聞いても、おもしろいかどうかはわからないらしい。

ただ、テレビがないと不安のようだ。

 

 

5)お風呂に入りたがらない

親がよく子供に言う「早くお風呂に入りなさい!」という光景が、我が家では毎日発生している。

 

別にお風呂が嫌いなわけではないのだろうが、面倒くさいのだろうか。

お風呂のお湯を自分で入れるところまでは進んでする割に、お風呂に入るという決断に非常に時間がかかる。

 

「早く入ったら?」と言うと、

「もう少し」とごねる。

 

しまいには、

「イヤだ!」とごねる。

 

まるで子供ないいおっさんに毎日手を焼いている。

私はあなたのお母さんではない。

そういって毎日諭している。

 

 

6)永遠同じことで遊べる

 

これはつい昨夜の話だが、アスペルガーには一点集中する特性がある。

一つのことをし出すと熱中し、なかなかやめられないというところがある。

 

例えば昨夜、ひょんなことから「俺はじゃんけんが強いんだ」という話になった。

相手の出すものがわかるから、絶対負けないと言い出した。

我々は夜型の人間だが、それでもその話が出たのは朝の2時。

もう寝ようとしている時に、ちょっとじゃんけんしてみようと夫が言い出した。

 

私はじゃんけんを頭で考えてやったことはなかったのだが、夫の言うように相手の出すものを予想しながら彼との対戦に望んでみた。

 

結果、9割私が圧勝となった。

その結果が気に食わないアスペルガー夫は、自分が勝って終わるまで、永遠じゃんけんをせがんでくる状態になった。

 

さて、20分はしただろうか、2人じゃんけん大会。

優しく付き合ってあげていた私も、こちらはいたって普通の人間なので当然飽きてくる。じゃんけんなどいまいちおもしろくない。

そして眠たい。

結果、「あと一回だけ!!」と何度も言ってくる彼を押しのけ、無理やり寝かせないといけなくなった。

 

こういう人を「無邪気な大人」というのだろうか。

私はアスペルガーらしい、としか思えない。

 

こういう一点集中して、相手の空気は読まずにやりたいことをするのがアスペルガーの特徴だ。

 

 

7)一方的に言いたいことを話し続ける

アスペルガーの特に顕著な特性は話し方に現れる。

子供は自分が話したい話を親や友達に一方的に話すこともあるだろうが、子供同士はどちらもそんな感じだし、聞き上手さんも逆にまだ少ない段階だと思う。

ただ大人になると、だんだん話し方やコミュニケーションの取り方が成熟していくのが普通である。

それが普通でないのがアスペルガーだ。

 

私のアスペルガー夫は、今でこそだいぶと改善したが、3、4年前まではかなりひどかった。

話はすぐ「でも」と言って割り込むし、「でも」と言って割り込んできた割には全く違う話だったりする。

一方的にマシンガントークを1時間し続けたかと思ったら、その瞬間から黙り込んでボケーっとテレビを見ていたりする。

こちらが話をしても、ウンともスンとも言わず、真顔で黙り込んでいたりする。

今もまだこれらの症状は山ほどあるが、割と自覚しやすいのか、毎日指摘し少しずつ改善してはいる。

 

それでもアスペルガーを周りに持つ方の共通のイラっとポイントだと思う。

アスペルガーの話し方はそれほど特徴的で、相手を困らせる。

相手が困っている空気が読めないので、話し続けたり、逆に相手が話を聞いてほしい時に全く聞いていなかったりする。

 

この「話し方」は、アスペルガー本人にできるだけ改善を求めるのが良いのではと感じている。

 

 

8)すぐカッとなって切れる

これについてはコントロールが非常に難しい。

子供ならすぐ怒ったり、怒ったかと思ったらケロッとしていることもあると思う。

でもそれも、大人になるとそんな感情的に周りを振り回さないよう、気配りができるようになっていくものだ。

 

それができないのがアスペルガーだ。

我がアスぺルガー夫は、それはもう激しく切れることが多かった。

でもこの点も、幾度となく指摘し続け、少しずつではあるが以前よりマシにはなっている。

それでもアスペルガーの特性として、すぐカッとなるという性質がある。

なかなか本人がコントロールするのは難しいようで、すぐに怒ったり、相手のせいにしたりする。

 

本人にそれがダメだということを伝えるのももちろんだが、最近平行して行っていることがある。

それは、

サプリメントを飲ませること。

 

ただいま実験して3ヶ月程度なので、まだ検証中だが、発達障害は脳の機能障害のため、脳に必要な栄養の不足がアスペルガーの特性を引き起こしている可能性が指摘されている。

 

ビタミンB、C、カルシウム、マグネシウム亜鉛、コリンなど、様々なサプリメントを購入し、ほぼ毎日飲んでもらっている。

特に「コリン」はこのカッとする特性に効くと言われており、期待のサプリメントだ。

この話はこれだけで長くなるので、別の日にしっかり更新したいと考えている。

 

 

9)人を上下関係で見る

この項目はアスペルガー夫への不思議ポイントの大きなところなのだが、夫の大きな考え方の一つに相手を「上」「下」で見ているという世界観がある。

 

これは彼の言動で頻繁に見られるのだが、例えば夫が悪いことをして私が彼に怒ると、彼は

「どうしてそんなに下に見られないといけないんだ!!」

とブチギレる。

 

私は説明する。

「人って、上か下かだけじゃなくて、対等っていう立場もあるよ」

「どうして私はあなたより上にいると思うの?対等な立場で怒ってるんだよ」

 

でも、アスペルガー夫には全く通じない。

彼の頭の辞書には「対等な立場」という文字がないらしい。

 

よく聞けば、対等な友人関係や、人間関係は生きてきてこれまで経験していなさそうだった。

彼の小学校からの友人は、なぜか全員彼の「射程」「格下」ランクのようで、いつも彼は敬われて生きてきたようだ。

 

社会に入れば、すぐマネジメントの仕事を任され、人の下で働いたことはなさそうだった。

それも理由の一つだろう。

彼の世界は子供のころからの「あいつより俺って上」「みんなに下に見られたくないという世界から変わっていない。

 

 

10)怒られると怒る

 最強にやっかいなのがこのトリを飾る10番目である。

 

我がアルペルガー夫は、私が彼に怒ると、必ず逆ギレしてくる。

 

「どうして怒っているの?」

と私が問うと、答えはいつもこれ。

「だってあなたが怒っているから!普通怒るでしょ!」

 

普通だったらまかり通らないはずの論理が、彼の頭の中では成立している。

 

相手が怒っていると、自分も怒っていいという論理が、本人はお持ちのようだ。

なので、怒られていることに対して腹を立て、責められていることにキレ始める。

 

これが毎回やっかいなのだ。

 

子供ならあるかもしれないが、それでもやっかいな子供だろう。

 

それは例えば、母親から怒られた息子が、どれだけその内容が正しくても、母親に怒られる度に「なんで怒られないといけないの!?」と逆ギレするようなものである。

 

大人の男性がこれをするものだから、本当にたちが悪い。

 

だが、それを平気でし続けるのは紛れもなく、アスペルガー夫。

 

アスペルガーは、責められるのが大嫌いなのだ。頭の中は自動的に自分の身を守るための防御モードとなり、逆ギレすることで自分を守ろうとする。

正しいかどうかなど御構い無し。大事なのは自分の身なのだ。

そして30分後には自分が逆ギレしたことなどケロッと忘れてニコニコしている。 

 

そういう人種がアスペルガーだ。

 

もう、違う種類の人間だと思って接しないと、こちらが混乱して自滅してしまう。

 

 

 

アスペルガー夫(男)との毎日は、苦難の日々だ。

国際結婚をはるかに超えて難しい。

なぜなら、日本と宇宙人が結婚したほどの差があるからだ。

 

同じ人間なのに、と思った途端、何一つ上手くいかない。

地球とは別の生命体の生き物と思うしかない。

 

「彼ってアメリカ人だからな」とか「ラテンの国の人だからな」と思うと納得できるという国際結婚の場合のように、

「彼って宇宙人だからな」という理解をすると、少しはマシな関係が築けるかもしれない。

 

少なくとも、私はそう自分に言い聞かせ、日々奮闘している。

 

こんな情報が、同じ境遇の方へ少しでも役立てば幸いである。

 

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彼氏がアスペルガー症候群だったら?結婚するかの判断方法

最近新しくご近所での仕事を始め、すっかりご無沙汰になってしまった。

たくさんの方にいつもご訪問いただいてとても有難く感じています。

 

少し私生活が落ち着いたので、今日久しぶりに更新してみたいと思う。

 

 

今日のテーマは、

「もし彼氏に発達障害の疑いがあったらどうするか」

について。

 

コメントでもよくいただくのが、「彼氏がアスペルガー・またはアスペルガーかもしれない」という内容。

そういう状況にいらっしゃる人は、世の中に驚くほど沢山いるのではないかと思う。

読んでいて、いつもありがたく色々と考えさせられている。

 

もし私が付き合っている時に彼氏がアスペルガーだと疑ったとしたらどうしたかというタラレバごとを、夫がまだ彼氏だった頃を思い出しつつ考察してみたい。

 

夫と付き合っていたころ、まず私がそういった疑いを彼に持っていたかどうか。

私の場合はまったく疑っていなかった。

というか、発達障害に関する知識がまるきりなかったので、疑う余地もなかった。

アスペルガーADHDなどについて詳しく勉強し始めたのは、結婚後のこと。夫の言動・行動が不可解すぎてようやく発達障害という疑いを持ち始めて以降のことだ。

 

なので、現在お付き合いしている方が発達障害ではないかと疑っている状況の方は、そうやって疑うことができているご自身の気づき自体が素晴らしいと思う。

私のように結婚後に夫が発達障害だとわかった場合、別れる選択肢もたやすくは持ち辛いためだ。

 

もし、夫が彼氏だった頃に私が「この人発達障害では・・」と疑いを持ったとしたら、果たしてそれでも結婚に踏み切っていただろうか。

 

答えは、

「ノー」

である。

 

相手が発達障害かもしれないと疑うに至るには、それ相応の酷い事件なり理不尽な出来事なりが続かないとそうならない。

私の夫の場合は、結婚後にかなり違う一面を見せてきたタイプだった。暴言を吐いたり、物を投げたりと、決して付き合っている頃にはしなかったことを結婚後に初めてするようになった。

私にとっては、そんな想定外の出来事が連発し、ようやく夫が発達障害かもしれないことに結婚してから気づくことになった。

 

つまり、付き合っている段階で相手の発達障害を疑っている状況というのは、そこまで不可解で理解に苦しむような事態が頻発している、ということになる。

そんな辛い思いを沢山我慢している上に、その理不尽な状況の理由が「相手が発達障害だった」と判明したら。

私の場合は間違いなくその人とは結婚しない。

 

もし私が夫が付き合っていたころに、暴言を吐いたり、物を投げたり、発狂したりするような不可解な行為をしていたら、私は間違いなく別れていただろう。

まぁ、夫も頭を働かせ、それをわかっていて結婚後まで本性を隠していたかもしれない。

 

私の夫のように、結婚後に発達障害の様相を見せてくる人は置いておいて、付き合っている段階から素直に発達障害らしさをさらけ出してくれている相手とは、しっかり今後について考えて行く方が良いように感じる。

 

もちろんどういう選択をするかは個人の自由で、よく考えた末の選択に正しいも間違っているもない。自分が責任を持って選択した答えが、自分にとっての正しい答えだと思う。

 

ただ、「付き合っている」状況と「結婚している」状況は全く違う。

 

付き合っている段階では、無限大の選択肢がある。

 

「この人じゃないとだめ」

「私がいないとこの人がどうかなってしまう」

「今後彼以上に好きになれる人は見つけられない気がする」

 

といった想いをたとえ感じていても、単なる思い込みに過ぎないことが多くある。

 

いや、正しくは「女性にとって」単なる思い込みに過ぎないことが多い、というべきかもしれない。

男性にとっては上記が当てはまることが多いと思われる。何年も何十年も、別れた彼女を忘れられずにいる男性は多い。

でも、女性は動物的に男性とは違う部分が多い。

女性は男性よりうんと強く、かなりさっぱりしている。だから、「この人がいないと死んでしまう!」とたとえ心から思っていたとしても、実はその人と別れてもピンピンして生きていけてしまうのが女性だ。

 

また、アスペルガー症候群の男性に好かれる女性にも特徴があるように思う。

アスペルガー男性に好かれる女性の特徴(例)

・強い

・愛情深い

・情け深い

・包容力がある

・刺激が好き

 

そんな女性に惹かれるアスペルガー男性の特徴はこういったもの。

アスペルガーの男性の特徴(例)

・一途

・素直

・少年のようにピュア

・人を飽きさせない

 

 

つまり、アスペルガーの男性に惹かれる女性は、ありきたりな男性には惹かれない、という傾向があるように感じる。

例えれば、「向上心のないサラリーマン」には惹かれず「夢を追い求めるロマンの起業家」に惹かれる。

アスペルガー男性は、心がとてもピュアだ。少年の心のように綺麗で、荒削りな純粋さがある。そしてそのピュアな心で一途に女性を追い求める。

そんな一途さや少年のような無邪気さに母性をくすぐられる女性がほろりと落ちる。

アスペルガー男性にとっては、自分でもコントロールできない感情や行動を大きな心で受け止めてくれる「包容力のある」女性に惹かれる。

 

そして、アスペルガー男性は常に相手の女性を失礼な言動行動で怒らせるのだが、「私は本当の素晴らしい彼を知っているから」と全て飲み込めるような愛情深い女性がアスペルガー男性にはまっていく。

いつしか女性は、「この人には私がいてあげないと」と思うようになっていくパターンが多い。

 

こういうある意味「相性の良い」関係で結ばれている2人は、この時点でお互いに得るものがある状態である。

 

そんな中で、「あれ、この人なんか変かも・・」と思う瞬間がだんだん増えてくる。

これが相手を発達障害ではないかと疑うきっかけになる。

 

それは、DVだったり、言葉の選び方のズレだったり、浮気だったり、キレやすいことだったり。小さなことから大きなことまで、「違和感」としか言えない、言葉で他人には説明しがたい出来事が頻発してくる。

 

色々とインターネットを調べ、本を読み漁るなどしていく中で、わかる方はわかってしまう。

 

「あ、この人。発達障害かもしれない。」

 

書いている内容と付き合っているその人の言動・行動が全て当てはまってしまう。不可解だと思っていたことが全て納得ができてしまう。

あの時変だと思ったあの出来事は、こういうことだったのか。

バラバラだった点と点が線で繋がる瞬間を持って、間違いないと確信する。

 

 

さて、こうやって付き合っている相手が発達障害だとある日わかったとしたら。

みなさんならどうしますか。

 

 

少なくとも、前向きに結婚を考えていた相手だった場合、これを考えざるを得ないだろう。

 

Q. この人と結婚していいのかどうか

 

私の回答は前述したとおり「結婚しない」という答えを出すと思う。

付き合っている段階でそういった疑いを持ち、「相手が発達障害かもしれない」という事実を前提にこの質問を考えられること自体、幸運なことだと感じる。

 

また前述のとおり、答えが「YES」でも「NO」でも構わないと思う。

 

ただ、相手が発達障害かもしれなければ、その結婚生活は平坦とは言えない。もちろん「平々凡々な人生」を心から望んでいるなら、そうならない。

波乱万丈の人生になることは間違いがない。

日々揉め事の日々であり、相手の「障害」というものと深く向き合い調整する日々となる。決して「治る」ことのないものに対し、どう「改善していくか」という悩みに対面し続ける結婚生活となる。メンタルの強さが求められ、自分自身の強さを増強していく必要に駆られる。苛立ちと行き詰まりの中でもがく自分に嫌気が差してくる毎日となる。

 

それでも覚悟を決め、

「この人とならどんな波乱万丈も受け入れる」

「どんな苦難があろうとも、この人と一緒にそれを乗り越えたい」

「たとえどんな結果になろうとも後悔はしないし、一生をこの人と生きたい」

と考えられる相手ならば、結婚するといいと思う。

 

そこまで愛せる相手ならば、計り知れない人生の愉しさと歓びを得られる可能性は無限に広がっている。天才肌の相手との人生がどう展開していくか、ワクワクする人生も持ち得る。まるで大海原へ冒険に出て、大いなるドラマが始まるかのような刺激的な人生に転ぶ可能性もある。

 

でももしそれが、

「私が居ないと相手がだめになってしまう」とか

「愛してる!一生大事にする!と相手が言ってくれるから」

といった、相手本位の理由であるならば、考え直した方がいいと思う。

 

あくまでも判断基準は「自分」

自分を幸せにできるのは自分しかいない。

相手が自分を幸せにしてくれるわけではない。

 

自分を犠牲にしてはいけない。

 

あくまでも判断基準は、

「自分が」相手と居て本当に幸せなのかどうか。

「自分にとって」相手と居ることで人生が豊かになるのかどうか。

「自分が」本当に愛情を注ぎたいと思える相手なのかどうか。

 

主語は必ず「相手」ではなく「自分」になっていないといけない。

そういった、ある意味シビアな目線が必要なのではないかと感じる。

 

相手がいくら自分のことを好きであろうと、それは本当は関係ないこと。

 

 

自分が何があっても心から愛せる相手なのか。

 

 

そこを突き詰めて考え続けてみるしかないのではないだろうか。

 

 

あくまでも個人の考え方だが、なにか端くれでもお役に立てばと思い書いてみた。

 

ちなみに私は今の夫と結婚したことは後悔していない。

それは、付き合っているころに彼が発達障害だと気づかなかったから。

後悔しようにもしようがない。

結婚して知ってしまったものはどうしようもないので、本気で離婚しようと決意するまでは、苦悩に悶絶しつつも、楽しめるところは楽しみながら夫との生活を受け入れていこうと考えている。

なってしまったものは、まぁ運命だろう、と思っている。

でも運命だとしても自分で変えられるものでもあるはずなので、自分が破滅するまで頑張るつもりはない。線引きは自分で、と考えている。

 

だから、今そういう気づきがある方は、後悔しないように慎重に考えてみることをおすすめする。

 

 

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