ほんきっき

アスペルガー夫に悶絶する新妻のほんきにっき

最短の英語勉強法

自分の英語力を高めるため

いつもやっていること。

 

それはネットフリックスの

海外ドラマを観ること。

 

詳しくはこちらに書いた。

yukimimame.hatenablog.com

 

海外ドラマを見ていると

わからない単語に毎日出会う。

 

それをせっかくなので

これからこのブログに記録していこうと思う。

 

それは自分のためでもあるし

同じようにドラマや映画で

英語を勉強している人の足しになればと思う。

 

 

海外ドラマや映画は

日本人が書いた英語参考書より

断然楽しく勉強できる。

 

うそっぽい日本製参考書が嫌いだ。

 

綺麗事を書いた本の中に

スラングなど全く出てこない。

 

でも実際のドラマや映画、

そして現実世界では

スラングだらけの会話だ。

 

教科書や参考書で勉強し

いくら優等生だったとしても

現地に行くと全くついていけない。

 

こういった経験は

留学したり旅行した人なら

よくわかるだろう。

 

全員が綺麗な英語を話してくれる

というわけではなく

アクセントがきつかったり

なまった英語も多い。

 

そんななまり英語に

参考書のCDで触れることは皆無だ。

アナウンサーばりの綺麗な英語で

しかもゆっくり話してくれる。

 

そんな参考書だけで

もし英語ができるようになるなら

もう日本人はみんな

英語を話せているだろう。

 

 

 

高校生の時に留学し

英語が得意だったはずの私は

完全に打ちのめされた。

 

彼らが何を話しているのか

さっぱり検討もつかなかった。

一生懸命聞いても

なまっていて早くて

全く理解できなかった。

 

くやしかった。

学校で学んできたのはなんだったの。

16歳だった私は

日本の英語教育を恨んだ。

なんだ、役に立たないじゃないか!

と。

 

 

なので、生の英語に触れる以外

最短の英語勉強法はないと

今は確信している。

 

だからといって日本では

日頃から外国人と英語で話す

環境作りは誰もできないだろう。

 

外国人の彼氏彼女を作るか

外資系企業に入るしかない。

 

なぜなら日本は

他の国ほど多民族の国ではない。

周りを見回しても

ほとんどが日本人だろう。

 

そんな環境の中

生の英語に触れる機会が

乏しい日本人にとっては、

海外ドラマや映画を使って

英語を勉強することは効率がいい。

 

もっと英語を勉強する日本人皆が

生の英語に触れる重要性を

理解するべきだと思う。

 

これからそんな海外ドラマでの

英語勉強の楽しさを

伝えていきたいと思っている。

 

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アスペルガー男と恐怖の三角関係

アスペルガー夫とまだ付き合っていたころ、

まぁ、恋愛もこじれてそれはひどいものだった。

今から思えば、ザ・アスペルガー

 

今日は、アスペルガー男との恐怖交際体験について。

 

彼とは10年前一緒の職場で上司として知り合い、

またどんなご縁か、10年後に再会し一緒に働くことになった。

 

今回もまた、彼は私の上司となった。

 

 

働き始めたころの私は

彼を男性として見る気持ちは皆無だった。

 

彼は女性にまるで興味のなさそうな人だと思っていた。

周りも絶対、彼のことをゲイではないかとひそかに疑ってだろう。

 

恋愛とは程遠そうな人だと思い込んでいた。

それがいけなかった。

  

彼は自分が誘って入社した私を後輩としてとても可愛がってくれた。

 よく食事にも一緒に行き、熱心に相談に乗ってくれるいい人だった。

 

 

そうやって2,3ヶ月が経ったころ、びっくりなことが起きた。

 

また彼と食事に行き朝6時まではしごをして飲み明かした。

酔っ払った勢いで彼が私にキスをしてきた。

私はまさか彼がそんなことをする人なんて想像もつかなかったので

とにかく心からびっくり仰天した。

 

酔っ払ってただけかと思ったらそうではなかったようで、

また次の日もキスをされた。

後々に聞くと、その行動がアスペ男なりの「好意を伝える行動」

だったらしい。

 

超、わかりにくい。

 

行動でわかってね、というのがアスペ男の考え方のようだ。

 

でもその頃彼がアスペルガーだと知らない私には、

宇宙人としか思えない男だった。

 

と、そんな状態のままなんとなく私たちの関係は

「付き合ってるような」状態になった。

 

「付き合おう」とか「好きだ」とか

そんな言葉を待ってもみたが

結局言われなかった。

 

それもそのはず、アスペ男にできるはずはなかった。

 

「付き合う時は付き合おうといいましょう」

とか、本でも読んで勉強しておいてくれるといいんだけど。

彼らには「ふつう」とか「常識」というものが皆無だ。

 

そうやって「私たち、付き合っているんだろうな」

と思って過ごしていたある日仰天することがあった。

 

これもアスペ男ならしかねないことだと今なら思う。

 

 

 

私がある日勤務中に同じ職場の男性と話をしていた時。

私が彼とよく食事に行ってるという話をしていたら

その同僚から

「○○さん、〜さんと付き合ってるんでしょ

大丈夫なの?」と聞かれた。

 

「・・・は?彼女いるの??」

 

度肝を抜いてくれた。

 

うそでしょう。

 

彼は女に興味がないどころか、なんと二股をかけていた。

 

フツフツと怒りがわいてきた。

 

 

その夜彼に直接聞いた。

「彼女いるの??」

 

彼は

「まぁ・・いいじゃん!色々あるんだよ。

でももうすぐ終わるから」

と半分はぐらかしつつ認めた。

 

 

なんだこの意味のわからない人は・・

理解ができない。

全く理解ができない。

 

怒りが収まらなかった。

 

 

そう。これも今思うと、

アスペは人の気持ちがわからない。

この瞬間私を傷つけていることもわからない。

そして自分がわるいことをしている意識も0。

 

 

一般人の私は彼に色々問い詰めた。

するとこんな事実が判明した。

 

・彼女がいて7年間付き合っている

・6年同棲している

・もう上手くいっていなくて近々別れる

・彼女は精神不安定で自殺しかねないから時間が掛かる

 

といった内容。

 

 

「一体だれなの??」

と問いただすと同じ職場にいる女性だった。

 

そしてこれが、恐怖の

メロドラマの始まりだった。

 

それを聞いて

背筋が凍りそうになった。

 

というのも

つい先日職場内で

たいそう私に話しかけてくる

女性がいたのだが

それが彼女だったからだ。

 

 

彼女は私と違う部署だったが

突然ある日彼女が私へ向かってきた。

 

ニコニコと優しそうな様子で

「はじめまして!

綺麗な人がいるなと気になってて!

友達になりたいんです」と言ってきた。

 

あまり人を疑わない私は

言葉通り親切と受け取った。

よくわからないが

仲良くしてくれる人なんだなと思っていた。

私よりおそらく5,6個は上のスラリと綺麗な女性だった。

 

 

私がバカだった。

 

彼女は

私がいつも彼と食事に行っていると

知っていての行動だったのだ。

 

 

私はその時の会話を思い出し

さらに怖くなった。

 

 

その女性は私に色々な質問をした。

「どこから来たんですか〜?」

「彼はいるの〜?」

「子供は好き??私は大好き!」

「今度一緒に旅行に行こう!」

 

と、30分くらい立ち話をして

最後はなぜか一緒に旅行に誘われた。

 

一体どんな気持ちで

私を旅行に誘っていたのですか。

 

もし旅行に行ったら、崖から突き落とされでもしたのだろうか。

 

 

 その後、彼女の行動がエスカレートしてくる。

 

 

そんなメロドラマな出来事は

また次回書こうと思う。

 

XOXO

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もっと早く母に打ち明けてもよかった

 

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アスペルガー夫と結婚して1年2ヶ月が過ぎた。

 

つい最近も心の底から離婚しようかと思うことがあったが、なんとか順調だ。

 

夫がアスペルガーだと思われることをこの間、初めて母に打ち明けてみた。

 

母に心配を掛けたくなかった私は、このことを打ち明ける勇気をこれまで出せずにいた。

でも夫の話の流れでなんとなく言える空気を感じ、意を決してボソリと告白してみた。

 

夫のことをなぜか芸能人ばりに「ファンなの♡」と気に入っている母だったためさぞびっくりするかと思いきや、なんともびっくり、意外とすんなり受け入れてくれた。

 

それもそのはずだった。よく聞いてみれば、元からアスペルガーらしいと聞いていた孫以外にも、母の弟や親しい友人がこぞってアスペルガーの疑いがあるようなのだ。母はかなりアスペ免疫を持つ強者だった。

「いや実はさ〜、あの人もこの人もアスペルガーだと思うんだよね〜。」と色々な母の周りのアスペ該当者の話を聞き、たしかに詳しく聞くとその方々の症状はまさしくアスペルガーだった。

母はそんな環境の中かなり勉強したようで、アスペルガーの特性をよく理解し頭に入っていた。

 

夫について「でも、本当にアスペルガーなの?」と聞いてきたので、「うん、突然きれたり、全部忘れてたり・・」と色々例を挙げると、

「あー。うん、それはアスペルガーの症状だね」と、すんなり納得していた。

これまでこのようにアスペルガー関連の話を理解してくれた人が周りに居なかった私は拍子抜けし、ホッともした。実は母がそこまで理解してくれるとは意外だった。

 

母は続けてこう言った。「でもね、大丈夫だと思うよ。お母さん接してても、全く問題ないし、空気も読める人だから。だってお母さんファンだし。」

最後の内容はさて置いても、なんだか理解者が増えたようで心強かった。

母は強し。さすが年の功というものはあるようで、懐の深さというものだろうか。

打ち明けるまでは、孫もアスペルガーで、私の夫までアスペルガーと聞いたら動揺して母を悲しませるかと心配していたのだ。

 

私が「アスペルガーの天才的なところを伸ばしてくれたらいいなと思ってる」と言うと、「ほんとそうだよね!!天才だよね!S(孫)も絵がほんとに上手くってびっくりするよ〜」と、2人でアスペ話に花を咲かせた。

 

こういった理解者が身近にいるということは、世の中のアスペ夫に悩むカサンドラ症候群の妻の方々も心底望まれていることだろう。

なぜならアスペ夫に悩む配偶者にとって1番辛いのは、この苦しみを誰に説明してもイマイチわかってもらえないことだからと思う。

友人に言っても「あー、私の夫もそういうとこあるよ」と言われてしまう。

親に打ち明けても、普通の親なら「なにそれ?あなたの努力が足りないんじゃないの?もうちょっとがんばってみたら」なんて言われて絶望する。

 

アスペ夫以上に、妻が一番必死だ。アスペ夫は全く人生に困っていない。困っている人もいるだろうが、困っていない人が意外に多い。それより困っているのは妻なので、彼に理解を求められない。妻は自分しかわからない違和感や言いようのない辛さがあって、誰かわかる人に聞いてもらえるだけでどれだけ心が救われるだろう。

 

それでもひと昔前に比べたら恵まれているのだと思う。昔はインターネットもなく、アスペルガーなどという名前も存在していなくて、もし自分の夫がなにか変だと思っても自分を責めるしかなかったのだろう。

自分の努力が足りない、夫婦は頑張ってやっていくもの、我慢が必要、彼を選んだのは自分、など、色々な常識に阻まれてまさか夫が脳障害の一種で発達障害というものだなんてわかる術もなかった。

 

そう考えると、今この時代にあっては、インターネットでなんでも調べ、人と交流することができる。

こういったブログなどで他の人のアスペルガー夫婦生活事情も共有できる。そういった環境は多いに活用し、乗り越えられるところは乗り越え、諦めるところは諦める。そんな新時代の対処法をしていく必要性を感じている。

 

私もまだまだアスペ夫の扱いに大苦戦中。信頼できる先輩方のブログや情報などを得つつ、上手に自分の精神面もケアしながらやっていこうと思っている。

 

アスペに有効なサプリなどもあるようなので、それらもこれから使用して情報共有していく予定だ。

 

余談だが、「ナイアシン」というサプリをiherbで買って今日届いた。早速使ってみたのだが、その使用状況を近々アップしようと思っている。アスペルガーにも効くそうなので、早速今日夫が帰って来たら飲んでもらおうと思う。

 

アスペルガー夫との付き合い方は、情報戦のところもあるように感じている今日この頃。彼とうまくやっていけるよう、栄養の知識や心理学なども駆使しながらトライアンドエラーを繰り返していこうと思っている。

 

益々勉学に勤しみます。

キラキラ起業もそろそろ疲れる

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最近すごい数の“キラキラ女子起業家”がいる。

今日はそれに関する違和感について考察。

 

実は1年半ほど前、このキラキラ女子起業家に混ざってみたことがあった。

その頃、なんとなく将来は起業しようと考えていた自分は、そういった今どき起業女子に興味があり、その輪の中に入ってどんなものか体験してみた。

 

結果、自分には全く合わなかった。

 

「将来起業しようと思ってるんです」

とその起業女子先輩方に話すと、色々な今時の手順を教えてくれた。

例えば、

 

  1. フェイスブックは実名で顔出しをして、毎日アップする
  2. フェイスブックでできる限り友達申請をして、友達を増やす(知らない女子と)
  3. 自分の特性を知る

 

といったこと。

 

私は素直に面白く思い、一通りやってみた。滅多にアップしていなかったフェイスブックを実名にし、友達だけの公開を全員へ公開へ変更し、毎日のように楽しそうな“リア充”写真をアップ。

知らない女子へ友達申請をして友達を増やし、そうするとバンバン逆に起業女子達から友達申請をいただくようになりそれを承認し続け友人の数を増やす。

そして、自分の強みやビジネスの上で役立つ自分の特性を掘り下げて“自分探し”してみる

 

先輩曰く、そういうことをすることで自分の認知を広げ、自分を知ってもらうことが大切だということ。お客様は知らない人からではなく知っている人から買いたいと思うからだということ。そして自分の強みを知って活かすことで、スムーズにビジネスを進めることができること。そんなことを教えてくれた。

 

そんなことを半年ほどやって、大変申し訳ないが、飽きた。完全に飽きた。

 

なにかが違う。

違和感をたっぷり感じて、その違和感はなんなのか、この度改めて考えてみた。

 

それは、皆同じことをやっているということだった。

 

まだ起業女子の走り始めの頃は上記のような方法でビジネスを展開しても女性のビジネスとしては成り立って成功したのかもしれない。

でも今はどうだろう。日常に不満を持つ主婦や会社員女性などが一気にプチ起業をし始め、今となっては女子ビジネスが完全飽和状態だ。

そんな状況で、みんながキラキラとフェイスブックに自分を売り込み、鮮やかな洋服でゴージャスなランチやディナーを楽しみ写真に撮って挙げ、私幸せ!みたいなことを日本中で同時に行っても、なんら目を引くことも差別化することもできないのではないだろうか。

そんな違和感をだんだん感じることになり、そんな人々と交流することも見ることも疲れてしまった。

元々、女子でつるむのが学生のころから苦手だったのだ。昔から集団行動でキャピキャピする傾向のある女子のグループが苦痛で仕方なかった。

そんなものだから、もちろんこういった起業女子グループの輪にも継続して所属できなかった。

 

でも、私だけではないだろうと思う。

 

こんなキラキラを「演出」することは人生を疲弊させ疲れてくる。

 

もちろんキラキラすることに憧れがあり、それで自己欲求を満たせて幸せを感じる人はおすすめする。でも“頑張って”そうすることが女子起業成功の道だからと言われ、それを信じて頑張り続けている人は、今一度思い直してもいいのではないだろうか。

 

本当の成功は、自分のビジネスの売上が自分の理想とする状態にあることが第一だ。なぜなら、売上や利益が確保できないと、継続ができずビジネスが成り立たないからだ。

長い目で見て売上が上がってきていると思うのなら良いが、どう考えてもそのキラキラアピールにかけるコストが費用対効果につながっていないと疑いが湧いて来たら、やめる勇気も必要だと思う。

 

ここまでキラキラ系起業が増えたからこそできる、逆ビジネスだってあるだろうから。

こんな中、逆に目立つためにはどうするべきか。

 

私なら、こんなことをするだろうか。

  • 逆に見つけるのが困難なサイトを作って、知る人ぞ知る秘密の商品やサービスを提供する
  • 会員だけが買える商品やサービスを提供する
  • 紹介でしか買えない商品やサービスを提供する

 

キラキラでオープンが今の主流なら、ミステリアスでクローズな路線とか。秘密的な感じでいくとおもしろそうだと思う。

 

人と同じことをして集団行動をしたがるのが女の性だろうか。人と違う自分に恐怖を覚えるのも女性の方が男性より多いのかもしれない。

 

また、女性の特徴として、ビジネスがスピリチュアル系に偏りやすいということも違和感を感じる。もちろん女子からの需要が多いから供給が増えるという事実もあるだろうが、あまりスピリチュアルに偏りすぎることは避けるべきだろう。現実逃避や誤った人生の決断を起こす可能性がある。

 

女性にスピリチュアルな力を持つ人が多かったり、日本女性自身にその力を開発できる資質が備わっていることもあるだろうが、だからといって。

現実とスピリチュアルのバランスを取ることを、女性は人一倍気をつけておかなければならないと思う。

フと我に帰った時、なんでそんなにスピリチュアルな世界にのめり込んでしまったんだろうと後で思うかもしれないが、その時は気づきづらいのだ。

 

何事も中庸、バランスが大事。

 

そんなことを、自分も日々気をつけて生きていこうと感じている。

アスペ夫との戦い方。

昨日繰り広げたアスペルガー夫との仁義なき戦い

 

アスペルガー夫をお持ちの妻の方々はわかっていただけると思うが、彼らとまともな話し合いをしようと希望を持っても粉々に打ち砕かれる。

道徳や常識というものは彼らの頭にインプットされておらず、理不尽極まりない論理を平気でかざして迫ってくる。

普段や穏やかで優しい夫であることも多いため、豹変したエキセントリックぶりに怯みそうになり、ブチギレて発狂されてしまうと最後、こちらのメンタルが折れて精神を蝕まれる結果になる。

 

普通の夫をお持ちの方には読んでも理解が難しいかと思われるが、アスペルガー夫の妻には「わかる」と思っていただける内容ではなかろうか。

昨日私はそんな不毛な戦いを彼と繰り広げ、散々な結果に終わった。

といっても話自体は丸く収まったといえば収まったのだが、こちらは疲労困憊、泣き腫らした目はパンパンで酷い顔をしている。私のメンタルはまだまだ彼の特性を上手く扱えるまで鍛えられていない。

 

喧嘩の内容は、私が一泊を伴う仕事で遠方に行くことに彼が不満を感じ、文句を言い続けること」だった。

月に1,2度フリーの仕事で出張をし始めた私に対し、その仕事が入ったと彼に報告する度に彼の機嫌が悪くなり何度も喧嘩になり、私は困っていた。なんとか解決したいと思い、決死の覚悟で戦いを望んだのが昨日だった。

 

会話はこんな感じだ。

夫「主婦が一泊でとこかに行くなんておかしくないの??普通なの?だめでしょう?」

私「いや、おかしくはないと思うよ。仕事だし。あなたも仕事で出張行くでしょう。その時私は行かないで!とか言わないじゃん。なにがおかしいと思うのか、その理由をちゃんと言ってみてよ」

夫「気にくわないからだよ」

私「(なんだそれ)気にくわない理由を言ってみて」

夫「理由はない!気にくわないのが理由なんだ!」

私「(あー、キレ出した)あなたは10歳児?気にくわないからなんでもしていいと思ってるの?器がちっちゃいんだね」

夫「俺はどーせ器がちっちゃいんだよ!あなたのことが好きだから行ってほしくないの!!」

私「私のことが好きだから束縛するんだ。それ大人がすることなの?あなた父親になったら子供が好きだからって同じように束縛するの?そんな父親かっこいいと思う?」

夫「・・・・・」「ふんっじゃぁもういいよ、好きにすればいいじゃん!勝手に行きゃぁいいじゃん!」

私「そんなすねて投げやりになって終わるの?それじゃこれから一泊で仕事があるたびにこうやってあなたと喧嘩しないといけないの?そんな体力ないよ、私。」

夫「俺はあなたが一泊でどこかに行くことが気にくわない。あなたはそう言う俺のことが気にくわない。解決しようがないよね。」

私「あなたの言ってることが正しくないかもと思うことはないんだ?相手が好きだから側に置いときたいって思うのが間違ってると自覚はしないんだね」

夫「俺は間違ってないと思う。」

私「じゃぁ自分の母親でも妹でも同僚でも部下でも、みんなに聞いてみたら?世の中の人がどう考えるか。妻がこんなことするっていうんだけど間違ってない?って」

夫「もういいよ、行きゃぁいいじゃん!どうせ行くんでしょ?俺が何言ったって無駄じゃん!」

 

こんな会話を永遠続けながら、私は絶望する。「この人とまともな会話は望めない」

そんな中でも、どうにか解決の糸口を探ってみる。

でも努力は虚しく、話は発展し、この後離婚するどうするまで飛躍する。「離婚したいならすりゃーいいじゃん」と夫は軽々口にし、「本気で言ってるの」と私が問うと「うん」と言う。

「じゃぁ離婚するんだね」と私が言うと、夫は「離婚したいと思ってるわけじゃない」という。「本気で離婚するって言ったんでしょ」と私言うと、「そんなことは言ってない」と夫は言う。

おいおい、どんな記憶構造をしているんだ。

アスペルガーの典型的な特徴だ。「自分の言ったことを覚えていない」もしくは「自分の言ったことを違う風に記憶している」ということ。

だからアスペルガーとまともにやりあっても、そもそも彼には記憶を留めることができないため、お話にならない。言った言わない論で無駄な労力を使うことになるのだ。

 

アスペルガーとまともにやりあってはいけない」と肝に命じているのだが、うまくいかないもので。言われた冷徹な言葉や鋭い目つきにやられてしまい、感情が動く。

「人間だもの。」あいだみつを様様だ。

観音様レベルに行きつきたいものです。

 

結局朝4時まで話してヘトヘトになり、重い頭とともに眠りについた。

朝起きたら彼は清々しそうに、何もなかったかのようにベタベタくっついてくる。恐怖だ

それはまるでDV夫が妻を殴りまくった後に「ごめんね・・愛してる・・」と言ってくる位恐ろしい。ケロッと忘れられるアスペルガーの特性あなたには「気持ちを引きづる」私の複雑な心境がわかるまい。「どうしたの〜仲良くしようよ〜」と迫ってくるアスペ夫を振りのけ、今回の失敗を振り返りながらまた戦略を練り直す。トライアンドエラー。もしくはPDCAサイクル

 

アスペルガー夫とうまくやっていこうと思うなら、こちらの頭を使わざるを得ない。

感情でぶつかっても絶対うまく行く日はやってこない。ビジネスのPDCAサイクルのごとく、P(PLAN=計画)→D(DO=実行)→C(CHECK=確認)→A(ACTION=改善)を淡々と繰り返し、だんだん関係をよくしていく必要がある。それは根気と頭脳が必要な苦行だ。これを楽しめるくらいのメンタルを持たないとやっていけないと思う。

私がそのメンタルをどこまで強化できるかはわからない。ただ、諦めるのはやってからでもいいかな、とは考えている。やらずに諦めるのは性に合わない。なるべく、ゲーム感覚でやっていけるよう工夫を重ねていこうと思う。それは決して彼のためではなく、自分の身を守るためにだ。自分の身を守らないと、人を幸せになんてできない。まずは自分のためにしっかり行動することを大事にしている。

 

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では、また。

「彼って宇宙人みたいなの」という言葉には危険が孕んでいる。

あなたの彼や夫を「宇宙人みたい」と感じたことはあるだろうか。

あれば要注意。

 

これは、私が「宇宙人のような」彼と結婚した結果、結婚後8ヶ月で早くも離婚届を突き出すにいたったある話。

 

 私にはアルペルガー夫がいる。 

本人は認めたくないようで、診断もしていないが99.9%そうだ。

こういう場合よく世間で言われているのが、

「診断していないのに発達障害ADHDアスペルガーと決めつけるのはよくないのではないか」

 という声。でも私はそうではないと思う。なぜなら身内、特に配偶者には必ずわかるだろうほぼ明確な事実だからだ。

もちろん、昔のように何も情報がなかった時代、自分の夫や妻がアスペルガーでも気づかないことも多かったと思う。相手の個性や性格と捉え、我慢してきた夫婦はたくさんいると思う。アスペルガーなどの発達障害は男性が多いと言われているため、主に妻の方が多く悩み耐えてきたと思われる。

でも今は現代。科学も進歩し研究も進んでいる。現時点で夫や妻を発達障害アスペルガーADHDと特定することは容易いと思う。

友人によく聞かれることがある。 

「どうして付き合ってる時に気づかなかったの?」 

この問いの答えは、当事者なら皆わかるのではないだろうか。

それは、

 「結婚してから本性を出すのが発達障害者だから」

 である。

 付き合っている時にはわからない。

私の夫の場合、付き合っているときももちろん不思議なところは多々あった。私は彼のことを人に説明するときは決まって、

 「宇宙人みたいな人」

 と表現していた。

よくわからない返答や行動や、メールの内容や表情をする変な人だと思っていた。歩き方も話し方も普通の人とちょっと違う。同じ星の人とは思えなかったのだ。

ただ、そこがおもしろいと思っていた。独特で個性的。なにより仕事が抜群に出来て、尊敬していた。私に危害を加えることもなかった。

それが結婚してなぜ彼がアスペルガーだと気付いたのか。それは、異常に発狂し出したり、物を投げたり、私に暴言を吐いたり、そういった家庭内モラハラと言える異常行動が増えたときだった。

もう我慢ならないと思ったのは、この行動。

「怒り狂って家の中に唾を吐いた」

この瞬間、私の中でなにかが終わった。

そして妙に納得した。

それは、「この人、なにかおかしい。」ということだった。そう思って本からインターネットから情報を漁り出すと、一つの答えに行き着いた。

あぁ、これだ。

発達障害。」

彼の変わったこれまでの行動言動全てが、発達障害者の症状にぴったり合致していた。そうか、これなら全て納得がいく。おもしろいくらい、彼の症状全てがモデルケースかのごとく本に書いてあった。

「急に発狂する、暴れる、暴言を吐く、ものを投げる、次の日に全て忘れている、ころっと態度が変わる、謝れない、自分が悪いと自覚できない、すぐ逆ギレする・・」なんだこの人、典型的な発達障害者ではないか。

 初めは面食らった。

なぜなら私の知識が浅すぎて、アスペルガーというものは空気が読めない、仕事ができない”色々できない”人だとばかり思っていたからだ。こんなに仕事が出来て頭の回転が早くすごい人だと思っていた人が、発達障害者なんて信じられなかった。

でも、そういう人が山ほどいることを調べていく内に知っていった。むしろ、アスペルガーの特徴の1つがIQが高く知能が高いことだ。天才的な特性を持つ人なのだ。

 私が彼をアスペルガーだと考える理由はもう1つあった。それは、以前彼が「俺、文字が読めないんだよね。いや、読めるんだけど、頭の中に意味として入ってこないの。意味わかる?本とか教科書とか昔から読めなくて、大人になって知ったんだけど、それが“学習障害”ってやつだったみたいなの。」と言っていたことだ。その時私は「へ〜。」と聞いていただけだったが、発達障害のことを調べていくと衝撃的なことが書いてあり、またびっくりした。

発達障害は、文字が読めないなどの識字障害と併発することが非常に多い」

という事実だった。そうか、ますます確実ではないか。彼は発達障害と識字障害を併発している人だった。

そこから私の彼との新たな戦いが始まった。

第一段階:本人に「あなたは発達障害だと思われる」と告げてみた。

ことあるごとに発狂されて暴れられてはたまらないからだ。本人の自覚を促すしか解決策はないと思った。

でもこういう状況になった方のあるあるかもしれないが、本人は決して認めない。「自分は違うと思う。むしろあなたが発達障害ではないか」と言い返される始末だった。アスペルガーの特性だが、まともにやり合うとらちがあかない。それでも、ぶつかりながら何度か本人に伝えていった。しぶしぶ、もしかしたらそうかも、と本人が若干認めるまでにはなった。

ただ本人も発達障害を認めたと思ったら認めなかったり、当事者に自覚を促すことは困難を極めた。なぜなら重要なのはこのひとつに尽きる。 

「本人が困っていない」

彼は仕事でも上手くいっており、人からの信頼も厚く、人への態度もよく、いたって順調だからだ。私との関係以外は。

どうして周りには優しく穏やかで、家に帰ってきた途端私にはわがままで自分勝手な男になるのか。理解不能だった。家庭ではただのわがまま男だった。いや、2歳児に戻った聞かん坊の悪ガキだった。

いやいや、周りに優しくできるなら、私にもしろよ。

私の色々な攻防、抵抗、防御虚しく、心が病みそうになって疲れ果ててしまったのは、結婚後たった8ヶ月後だった。ああ、これが「カサンドラ症候群」というやつね。いくらなりたくなくてもなってしまう怖さを感じた。「早めに逃げた方がいいかも」と思った。

 第二段階:本人に「離婚してくれ」と告げた。

私は彼に離婚届を突き出した。

「もう耐えられない。こんな結婚生活が続くのは私にとって地獄。私は仏ではないし、あなたの自己中心的な行動に永遠耐え続けることは不可能です。もう無理なので、離婚して。」と、できるだけ感情を入れず、淡々と伝えた。アスペルガーは人が感情的になると全く受け付けないと本で読んだとおり、あえて目をそらしながら伝えた。

彼は相当ショックだったようで、怒ったり、「そんなに俺のことが嫌いならもういいよ、離婚しよう」と言ったり、「やっぱりもう少しがんばれないの」と言ったり、二転三転しながらも、最終的には「もうちょっとがんばりたい」という気持ちに落ち着いたようだった。

第三段階:条件を突き出し、もう一度がんばってみることを告げた。

翌日、私は「キレないこと」「ちゃんと診断を受けにいくこと」など彼にいくつか条件を出し、それを守ってくれるならもう少しがんばってみることを告げた。

 

現状:奮闘中。 

離婚届を突き出してから約4ヶ月が過ぎた。

なんとかまだやっている。診断はまだ行くことが叶ってないが、いずれまた事が深刻になる日が来たら病院に連れていこうと思っている。やはり、本人も私からではなく、専門家からきちんと手順を踏んで「あなたは発達障害です。」または「グレーゾーンです」とでも言われたほうが納得がいくだろうからだ。

 

アスペルガー夫の妻に必要とされることはなにか。それは、鋼のメンタル。

発達障害者の妻というのは、この鋼のメンタルがなければただコテンパンに打ち負かされてノックアウト。私はこのメンタル強化と戦法強化のため、日々必死で訓練中。これからの道のりは長い。

では、そんなに苦労してアスペルガー夫と一緒にいるメリットは?

 そんなに大変なら、彼のようなアスペルガーなりADHDなりの発達障害者と一緒にいるメリットはゼロではないかと思われるかもしれないが、そういうわけではない。

彼らには誰も持っていない長所をふんだんに備えている。彼らは特殊能力を備え、彼らしかできないころでこの世界が良くなるよう貢献できる人たちだ。私が彼とまだ頑張ろうと思えるのは、そんな彼の将来の可能性が楽しみだからではある。一緒に何か世界に対して良い事を成せたとき、全てが報われるように思う。

そして、その綺麗事とは別に、あわよくば、この人の特殊能力を活かして本人に活躍して稼いでもらって、ラクさせてもらおう。そんなメリット(得)を享受してやろう、という気持ちも併せ持っている。これだけこちらが苦労しているのだから、そのくらいいいことがないとコスパが悪すぎる。そのくらい図太く、こちらもメリットがあるから一緒にいると思わないと、慈善事業でやってては身がもたない。間違っても「この人を支えなくちゃ」とか「私がいないとこの人どうなっちゃうかわからないから」などとは考えない。

 

もっとも、その可能性が見出せなくなったときはどうなるかわからない。今のところ、最善を尽くして上手くやっていこうと思っている次第です。

 

同じ境遇で悩む方々にとって少しでも何かお役に立てればと思い書いてみた。これからも夫とのことを色々書いていこうと思う。

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人生に迷ったらアンパンマンにきこう。

なんのために生まれて

なにをして生きるのか

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!

 

こんにちは、今日は少し深いことに踏み込もうと思っているらんです。

今日は過去の私が、部下たちへある気づきを促そうと行った、ちょっと変わったワークショップについて。

 

以前会社でマネージャー職をしていたとき、 わたしは危機感を感じていた。

それは、赴任した当時、部下の皆がとにかくつらそうに毎日働いていたことだった。私の目には、彼らは仕事をただの作業として、“なんのためにその仕事をしているか” を考える間もなく、漠然と生きている様子にしか映らなかった。

 皆そのまま生きていたら、ますます生きがいを感じられないまま人生を歩み続けると予測ができた。それは少なくとも楽しい人生ではないだろう。

上司としてというよりは、1人の人間として、これはなんとかしないと、と思っていた。この仕事は人に幸せを与えるすばらしい仕事なんだ、ということに気づき、少しでもそれぞれが自分の人生に生きがいを感じれるようになってほしかった。

 

ただ、そんな無気力になってしまっていたのは彼らのせいばかりではないとも思っていた。それは上司の力量や社風の力で変えれるはずのことであるのだが、これまで生きてきた中で、会社はもちろん学校でも誰も教えてくれなかったのだ。

「なんのために生きるのか」「なんのために働くのか」「なんのためにその仕事をするのか」ということを、親も知らずに生きているから親からも教わらずに大人になってしまっている。

なので、彼らが人生に迷うのは当然にも思えた。周りに合わせること重視され、人の目を気にするよう育てられ、我慢が美徳とされるこの日本は、幸せを実感しずらいお国柄でもある。

 

 

私の部下たちだけではなく、日本で働く9割以上の人は、こんなこと誰も考えていないだろう。むしろ、友人に「ねぇ、人ってなんのために生きてると思う?」と聞いたところで「え、どうしたの大丈夫?なんか病んでる?」と病人扱いされるだろう。

 

でも本当は、こういった人間の根本的な問いを考える間もなく、ただ生きていることのほうがつらいことなのではないだろうか。

 

私は上司として1番にするべきことは、部下にこの「なんのために」ということを考える機会をつくることではないか、と考えていた。なのでコッソリ以下の企画をし、実行した。

 

それはとあるワークショップ。

ある日私は、部署のスタッフを大きなホールに集め、ワークショップを開くことにした。それは会社にしては型破りであろう、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」について考える会だった。

 

本来会社の研修やミーティングなどは、もっと実践的なことを教えることが多いが、今の状況でそんな上っ面のことをしても意味がない。根っこにある問題から手を付けて根本的問題解決をしようという思いからだった。

 

大ホールを真っ暗にし、明かりは私が自分の司会者台に置いた小さなランプだけ。考えることが促進されそうな不思議系音楽をBGMで流した。2日間に渡って、1日ごとに約20人ほどスクリーン前に座ってもらった。

マイクを持って私は一通り色々なことを語ったあと、大きなスクリーンにこの言葉を映した。

 

なんのために生まれて

なにをして生きるのか

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!

 

「これはある有名な歌の一節ですが、わかる人はいますか?」

こう皆に問いかけると、私よりうんと年上で頑張っていただいていた、ある女性がすかさず手を挙げ即答した。

アンパンマンのマーチですね。」

 

「その通り、さすがですね。」と私は答えた。若い子たちはまったくわからないようだった。

 

私はアンパンマンの作者、やなせたかしさんの人生観を題材に、「なんのために生まれてなにをして生きるのか」 をそれぞれ考え答えを導き出してほしいという意図を持って、このワークショップを組み立てていた。

 

この歌詞のとおり、アンパンマンのマーチはかなり内容が深い。上記の歌詞は曲の1番だ。みんながよく知っているアンパンマンマーチ「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ」は2番の歌詞である。

 

次に私は、やなせたかしさん著書の文庫「明日をひらく言葉」にあるまえがきを朗読した。そこに「なんのために生まれて なにをして生きるのか」がやなせさん自身への問いかけであったということが書かれており、やなせさんの人生が凝縮して説明されていた。彼のことを全く知らない若い子達に紹介するのにはとてもいい内容だった。

 

その内容の一節に、こう書いてあった。

人生の最大のよろこびは何か?

それはつまるところ、人をよろこばせることだと思った。「人生はよろこばせごっこ」だと気づいたとき、とても気が楽になった。

 これがやなせさんの導き出した、「なんのために生まれて なにをして生きるのか」への答えだった。60歳を過ぎてわかったと本人は言っている。

 

私はこの一節がとても好きだ。これを読んだおかげで私もはっきりわかった。自分の人生は、「人をよろこばせるためにある」ということを。

 

でも、誰だって多少の差はあれど、だいたいは一緒の答えではないだろうか。生きる意味に共通の答えを出すとしたらこれしかないのではないか、と私は考えるようになった。

 

そこで、更にもう2つの例を引用して、そのワークショップで紹介した。

困っている人を助けたとき、心があたたかくなって、その時わかったんだ。

僕がなんのために生まれてきたのか。

なにをして生きていくのか。

なにが僕の幸せか。

これは、アンパンマンの映画「いのちの星のドーリィ」で、なんのために生きているのか問われたアンパンマンが答えた言葉だ。そしてこの映画は、やなせさんが「なんのために生まれて なにをして生きるのか」 という問いへの答えだと語っている。

 

私は部下たちに語りかけた。

「みなさんも、日々感じているのではないでしょうか。人になにかしてあげたとき、人から喜ばれたとき、自分の心があたたかくなることを。」

 

私はこう思う。自分で答えがわからなくても、知らずとみんな肌でこのことを感じているということを。人になにかをして喜んてもらったとき、まさにこのアンパンマンの言葉通り「こころがあたたかくなる」のだ。自分のこころの反応を感じる力が鈍っているだけで、こころはしっかりあたたかく反応しているのだと思う。

 

 

最後に1つ紹介した。

人は自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬ、というほど強くない 

「これは有名な作家の三島由紀夫さんの言葉です。」

「どうでしょうか。もし、自分のことばかり考えて、自分のためだけにお金を使って物を買い、自分のしたいことだけをして生きたとしたら。

幸せで楽しいかと思うと、実は楽しくない。人生がつまらなく思えてきて、だんだんなんのために生きているのかわからなくなってくる。生きる意味や生き甲斐を失って、つらくてしょうがなくなってくる。それに耐えられるほど人間は強くないということではないでしょうか。つまり、人間は人のために何かするようにできている。そうしないと生きられないようになっているのではないでしょうか。」

 

 

結論としては、

生きるということは、人を喜ばせること。よろこばせごっこだということ。

だから、人を喜ばせるあなたたちの今の仕事はすばらしいことをしているのだということ。

 

ここにいる全員が、こんな気持ちで仕事や人生に生き甲斐を感じれますように。

そんな思いで、このワークショップは幕を閉じた。

 

 

暗いホールでも、皆の顔が変わっていたのが見えていた。

特に新入社員の若い子達に顕著だった。涙を浮かべて食い入るようにスクリーンを見つめ、なにかを感じ取ってくれているようだった。その純粋な表情に、こちらが感動して泣きそうだった。

 

終わって、みんなに思い思いの感想を提出してもらった。そこにはそれぞれの深い思いが記されてあり、うれしくなった。

「なんのために働いているかわからずつらいことも多かったけど、なにかわかった気がします」「心に残りました」など、それぞれ何かを持って帰ってくれたようだった。

 

 

その後、ゆるやかに部署内に変化が現れていった。元々は文句を言い合う環境だった重い雰囲気だった場所が、だんだんとその空気が入れ替わっていった。

文句を言いつづけていたスタッフは去っていき、空気の循環も起こっていった。

今、その時一生懸命話を聞いてくれていた新入社員たちが第一線でキラキラと活躍してくれている。

 私はもうその職場には今いないが、いつまでもその子達の活躍を心から応援している。いつまでも、「なんのために」と問いつづけて生きていってくれることを願いながら。

 

 

あなたはどのように答えますか?

「なんのために今の仕事をしていますか?」

 

 

時々わからなくなったら、あなたのこころとアンパンマンに聞いてみるとよいと思う。

 

この本が今回のワークショップの主役でした。まえがきからすでにおすすめ。 

やなせたかし 明日をひらく言葉 (PHP文庫)

やなせたかし 明日をひらく言葉 (PHP文庫)

 

 

このアンパンマンの映画は最高傑作だと思う。私はわんわん泣けた。大人こそ見るべき映画だと思う。やなせさんの想いがこれでもかと伝わってきて胸が痛いほどだった。今の日本人全員が見直すべき映画だと思う。

それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ [DVD]

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 ではまた。